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2023.11.29

【ホーキンソン】不可能を可能にする「ホーク・メンタリティ」が、日本バスケ界の未来を救う

2023年8月に行われたワールドカップ(以下、W杯)において、格上の強豪国であるフィンランドやベネズエラを打ち破り、実に48年ぶりとなる、自力でのパリ五輪出場権を獲得したバスケットボール男子日本代表「アカツキ ジャパン」。その歴史的快挙を成し遂げたメンバーのなかでも、最大の殊勲者であり、今年になって日本国籍を取得、帰化選手になったばかりのジョシュ・ホーキンソンに、自身の哲学を訊いた。

ジョシュ・ホーキンソン/Josh Hawkinson
1995年アメリカ・ワシントン州シアトル生まれ。元プロバスケットボール選手の両親の元に生まれ、高校時代は野球で頭角を現し、150km近い速球を投げる投手として注目。ワシントン州立大学でバスケに専念し、「通算1000得点、1000リバウンド」という記録を樹立。しかしNBAドラフトでは惜しくも指名漏れという結果に終わり、2017年夏、当時B2だったファイティングイーグルス名古屋でB.LEAGUEのキャリアをスタートさせる。2020年からB1の信州ブレイブウォリアーズ、2023年からサンロッカーズ渋谷に所属し、同年に日本国籍を取得。日本名は名字の「Hawk(鷹)」から「鷹大(たかひろ)」とし、ファンからは「鷹ちゃん」の愛称で親しまれる。

完璧なプレイヤーになりたい

2023年夏に沖縄アリーナで開催されたW杯全出場チームのなかでも、最も活躍したビッグマンとして世界にその名を轟かせた、ジョシュ・ホーキンソンとは何者なのか? 元プロバスケットボール選手だった両親をはじめ、ホーキンソン家に伝わる不屈の精神性「ホーク・メンタリティ」を紐解きながら、アカツキ ジャパンをパリ五輪へと導き、日本バスケ界の未来を力強く切り拓いていく、アメリカ生まれの侍の素顔に迫る。

Q: ジョシュさんは子供の頃からスポーツ万能で、野球とバスケットボールに打ちこんでいたそうですが、その頃に憧れていたアスリートはどんな人たちですか?

僕はシアトルで生まれ育ったこともあり、子供の頃の憧れはシアトル・マリナーズのイチロー選手でした。バスケで好きな選手はたくさんいますが、やっぱり僕の世代だと、コービー・ブライアント。一番憧れました。バッシュは必ずコービーシリーズを履いていますし、僕の背番号は大学時代からつねにコービーと同じ24番。でも、今季移籍したサンロッカーズ渋谷では、24番が永久欠番になっているので、代わりに8番をつけることにしました。だって8番は、24番になる前のコービーの背番号ですから(笑)!

ただ、僕のプレイスタイルはコービーとは違うので、実際に目標にしていた選手で言うと、ダーク・ノビツキーやケヴィン・ラブですね。彼らはビッグマンでありながら、外からシュートも打てる。身体の使い方や、細かいスキルを参考にしていました。ダークはW杯にも来ていて、ちょっとだけお会いすることができたんですが、それがちょうどフィンランド戦の翌日だったので、「君は昨日リバウンドを20本も取ったプレイヤーだろ?」って言ってくれて。レジェンドが僕のことを知ってくれていてすごく興奮しました。

Q: でもダークは、ジョシュさんのようにリバウンドを取ってからひとりでボールを運んで、そのままダンクをするコースト・トゥ・コーストを決めたり、フルゲーム出場して走り続けるようなことはしませんよね?

僕はコートのなかを走り続けることが好きですし、ダークよりも速く、長く走り続けることができると思います。多くのプレイヤーは何かひとつのことを得意としていますが、僕の場合は、コートの上で何でもできる完璧なプレイヤーになりたいんです。オフェンスもディフェンスもうまくなりたいし、チームの流れを変えて勝利に貢献するクラッチプレイもしたい。試合に勝つためならどんな役割でも請け負います。今回のW杯でも、僕は普段センターではなくパワーフォワードでプレイしますが、日本には背の高い選手があまりいないのと、他のセンターのプレイヤーたちが怪我をしていたこともあり、まずはビッグマンとして、ペイントエリア(自陣のゴール下)を守り続けることが最大の仕事でした。同時に、トム・ホーバス=ヘッドコーチは、つねにスピード感があって、多くのスリーポイントを打つスタイルのバスケットボールを求めているので、私もそれに応える必要があります。

バスケをプレイしている時も全然楽しくなかった

Q: ジョシュさんは大学を卒業したあと、2017年に21歳で来日し、当時B2だったファイティングイーグルス名古屋でBリーグのキャリアをスタートしましたが、日本のプレイスタイルや環境にはすぐになじめましたか?

両親と一緒に海外旅行をしたことはありましたが、知らない国にひとりで住んだことなんてもちろんない状態だったので、最初は正直、日本での生活にはまったくなじめませんでした(笑)。周りに英語を話せる人は少ないし、外を歩けばジロジロ見られるし、重度のホームシックで、バスケをプレイしている時も全然楽しくなかったことをよく覚えています。

来日してから数ヵ月経った頃に父親が様子を見に来日したんですが、僕がいまだにスーツケースを開けずに放置しているところを見て、どれほどつらい思いをしているのかすぐに理解してくれました。そこで父がくれたアドバイスは、まず外に出て、自分が住んでいる街を知り、文化に触れ、楽しいことを見つけてくること。それから僕と父は、名古屋城に行ってツアーガイドの説明を5時間も聞いたり、大須商店街を散歩したり、初めての名古屋観光をしました。ホームシックの最高の治療法は、自分がいる場所について学び、文化に浸り、美味しい食べものを知り、地元の人々と話し、彼らがどのような生活をしているのかを模倣し、理解しようとすることだと学んだ出来事です。

Q: 名古屋や日本のことはすぐに好きになれましたか?

本当の意味で日本になじめたのは、今でも名古屋の父と呼んでいる、ふたりの方に出会ったおかげです。ひとりは地元の理髪店の店主で、いつも髪を切ってもらっていました。僕は試合の翌日の月曜日だけが休みなんですが、その理髪店は月曜日が定休日。でも、毎回僕のためにわざわざお店を開けてくれました。彼は全然英語がしゃべれないし、私も日本語をしゃべれないけど、Google翻訳を使いながら、身振り手振りを交えながら会話していくうちに、とても仲良くなったんです。カットが終わると、いつもお店の前にある中華料理屋さんに入って、とっても辛い台湾ラーメンを食べるんです。

もうひとりはチームのメディカルトレーナー。足を怪我した時にご利益がある神社に連れていってくれて、お参りの仕方を教えてくれました。その他にも、日本人の考え方とか、箸の使い方とか、さまざまなマナーとか、日本での暮らし方を教えてくれた人です。彼らふたりのおかげで、僕はどんどん日本語を覚えることができて、日本での生活を楽しめるようになりました。今の僕の目標は、日本語を完璧に話すこと。自分が得意なバスケットボールのことであればいくらでも話すことができますが、自分の気持ちを正確に伝えることはまだまだ難しいですね。

Q: 来日6年目となる2023年、ついに日本の帰化選手になりましたが、帰化について考え始めたのはいつ頃からですか?

来日して3年が経った頃、名古屋からB1の信州ブレイブウォリアーズに移籍したんですが、その頃から帰化について考え始め、本格的に日本語を勉強し始めました。帰化するためには6年以上日本に滞在し、日本語のテストにも合格する必要があるからです。それから毎日真剣に勉強して、ようやく来日6年目の今年に、日本国籍を取得することができました。今回のW杯で日本のユニフォームを着てコートに立ち、国歌を聴いている時に、思わず涙が溢れそうになりました。名古屋の父たちをはじめ、僕が今立っている地点にたどり着くことを、つねに優しくサポートしてくれた人たちのことを思いだしたからです。他の代表メンバーは日本で生まれて、日本で育っているので、彼らにとって自国を代表するということは、また別の意味を持っていると思います。僕は日本で育っていないからこそ、世界的な舞台で日本のためにプレイする機会を与えてくれたことへの感謝が、大きなモチベーションとなりました。

ホーキンソン家に伝わるメンタリティ

Q: 今回のW杯に日本代表として参加する上で、チームとしての目標はパリ五輪への出場権の獲得でしたが、ご自身ではどんな目標がありましたか?

僕の目標は、日本のバスケットボールの発展に貢献することです。今回のW杯で、日本国内での関心を得ることには成功したと思いますし、アメリカのメディアも日本のバスケに興味を示し始めたことは、大きな収穫だったと思います。国の代表としてプレイするということは、自分の持てる力を捧げることです。私の祖父は、ほとんどお金をもたずに、ノルウェーからアメリカに移住しました。そして彼は家族のためにすべてを捧げ、朝から晩まで一所懸命に働きました。祖父は、自分が最高の人生を送れなかったとしても、彼の子供たちや、その子供たちが最高の人生を送れることを、第一に考えていたんです。そして彼は私たちに、「ネヴァー・ギヴ・アップ。どんな状況であれ、常に戦い続けること」と教えてくれました。

自分がいまこの場所にいるということは、自分の周りの人たちの並々ならぬ努力やサポートがあったからこそ。自分よりももっと大きな何かのために尽くすこと。それが、ホーキンソン家に伝わるメンタリティなんです。僕の大好きなコービー・ブライアントの強い意思と猛烈な集中力は「マンバ(毒蛇)・メンタリティ」と呼ばれていますが、大きな目的のための自己犠牲を尊ぶホーキンソン家の精神性は、「ホーク(鷹)・メンタリティ」と呼べるかもしれません(笑)。

Q: 日本のファンには鷹ちゃんという愛称で親しまれ、今ではホームシックだったことなどまったく感じさせないほど、日本文化になじみ、日本での生活を楽しんでいるように見えます。それもホーク・メンタリティのおかげですね。

そうです(笑)。ホームシックの時は本当にバスケが嫌いになり、日本での生活も嫌になってしまいましたが、それが例えば日本ではなくてヨーロッパだったとしても、私は必ず同じ状態になったと思います。でも私の父は、私のホームシックなんて、まったく可愛らしいものだったとよく言います。父もプロバスケットボール選手として海外でプレイしていましたが、その頃はインターネットも携帯電話もなかったから、世界から完全に切り離された状態だったそうです。父はことあるごとに、「寂しくなったらいつでも電話でもメッセージでも家族や親友に連絡が取れるなんて、お前はラッキーだよ。私の時は家族に連絡したくても、手紙を送って相手に届くのが1カ月後で、返事が来るのが2カ月後なんだから」って、当時の大変さをよく語っていますから。

※2回目に続く。

TEXT=佐野慎悟

PHOTOGRAPH=秦 淳司

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