2023年7月7日にスタートするテレビ朝日の金曜ナイトドラマ『警部補ダイマジン』。手がけるのはバイオレンス映画の巨匠として世界中にファンを持つ三池崇史監督だ。1992年の監督デビューから30余年が経つが、一度たりとも停滞することなく、精力的に動き続けている。嘘か真か「仕事はオファー順に受けます」と笑う三池監督の、仕事術に迫った。インタビュー後編。#前編
チームを強くするために任せる
バイオレンス映画の巨匠・三池崇史が初めて手がけた地上波の連ドラ『警部補ダイマジン』。三池は2話分の演出を、助監督のチーフ・倉橋龍介に任せたという。倉橋は、『土竜の唄』や『テラフォーマーズ』といった三池の作品で、助監督を務めてきた人物だ。そこには、三池流のチーム作りの哲学があった。
「自分のチームが他と若干違うのは、自分に助監督でついてくれた人たちは、100%監督になってるんですよ。ただ、監督になったからといって食えているかは別で。なので今回のように、優秀な人に助監督として入ってもらったら、2話分の演出を任せる。そうやって自分の武器になる人を何人かキープすることで、現場がスムーズに回っていくというのはありますよね。
そういう関係を作っていかないと、向こうにもあんまりいいことないじゃないですか。三池組で助監督とかやってても(笑)。今は普通になりましたけど、かつてのコンプライアンスなき時代はスケジュールがキツかった。2週間で1本撮り上げるから、寝なくても平気だろう、みたいな。現場でバタバタ倒れてました。(照明部の)レフ(板)を持ってたやつがパターンって。それでも楽しんで作っていた時代でした。朝、新宿や渋谷の集合場所に、いろんな撮影チームがいるわけです。そこでうちの組のスタッフは、『久しぶり! 今何組やってんの?』『三池組』『かわいそうに大変だね』みたいなことを言われていたみたいです(笑)」
Win-Winの関係を築きながら優秀な人材を育てる
20代で助監督としてさまざまな監督についた三池が、監督デビューを果たしたのは32歳のときだった。監督デビュー作では、ベテランスタッフで固めて盤石の布陣を敷くケースが多いが、三池は自分が入っていた現場のセカンドの助監督やカメラマンに声をかけ、チーフに昇格して起用したという。
「そういうチームの作り方や仕事の進め方をしたことで、そんな意図はないんだけど、結果的に人を育てていたのかもしれない。この業界全体を憂いている人たちはいっぱいる。10年後の業界のことを考えると、俺は監督をやってないだろうけど、不安がないといえば嘘になる。でもその感覚は俺にはあんまりない。俺の力じゃ、業界全体を底上げしてどうこうっていうのは無理なので」
自分にできることは、優秀な人材を自分の作品に呼んで、Win-Winの関係を築きながら、監督として羽ばたかせること。
「『こいつ使えるな!』っていうやつには、次の仕事にも声をかけます。それで乗ってくるかどうかは本人に任せているので、口説いたりはしない。その人自身が持っている運、人生の流れみたいなものがあるはずだから、そこに介入するほどの責任は、自分には取れない。介入して歪めると、本来の彼らしさがなくなるかもしれないので。相手に委ねて、気がついたら5年一緒にやってる、くらいの関係がいいんだろうなと」
監督として30年が過ぎゆくなかで、時代も大きく変わっていった。若いスタッフと接する際に、意識していること、気をつけていることはあるのだろうか?
「あまり交流しないですね。その作品のなかで、彼らには彼らの仕事があるじゃないですか。監督の仕事と彼らの仕事は、(活動する)時間が合わない。助監督は撮影が終わってからが仕事みたいなところもあるから忙しいし。僕らが助監督の頃は、それでも『飲みに行くぞ』って無理やり連れて行かれたり。それはそれで楽しいけど、ひどい酒乱だったりすると地獄。『明日朝5時に現場に入ってなきゃいけないんです』と言っても帰してもらえない(笑)。だからというわけじゃないけど、今のスタッフとは、作品が始まるときに『よろしくね』って飯を食いに行くくらいです。スタッフたちも、そういうことをあまり望んでないので、その日の撮影が終わったらバラバラ。それぞれに自分の時間を過ごすので、撮影期間中に仕事以外の話はせずに終わる人たちもたくさんいます」
帰って飲むビールが美味いと思われる現場がいい
前編で、「45歳で(忙しさの)潮が引くと思っていた」という発言があったが、62歳になった現在も、三池崇史は日本映画の最前線を走り続けている。現場でのモットーは、「全方位サービス業」だ。
「わりと、“サービス業意識”は強いですよ。助監督を除く全方位へのサービス業。スタッフにも役者にも、他の現場よりも楽しい瞬間が多くあってほしいし、帰って飲むビールが美味くなる現場だといいなと。たとえば、撮影助手がピントを送ったときに、台本と、役者の芝居と、ピントがピタッと一致したら、助手も幸せだし、作品にとってもいいこと。それぞれの仕事のなかで『バチッと決まった!』という瞬間があったり、自分のなかに可能性を感じてもらったり、『役者をやっててよかったな』と思ってもらいたい。会ったこともないお客さんの心を揺さぶるのは大変だけど、スタッフがそういう仕事をするためのサービスだったら、俺にもできるんじゃないかと。彼らが一番身近なお客さん。そうやって作られた作品が、会ったこともない国の人たちに広がっていったらいいなと」
ただし、映画が公開されてからの動員数や興行収入といった“数字”に関しては、一線を引いている。
「もちろんヒットしたほうがいいと思いますが、そこはもうギャンブル。僕らはギャンブルのプレーヤーじゃない。ギャンブルのプレーヤーたちが張っている、競馬の馬やジョッキー(笑)。誰がどれくらいの思いで自分にいくら掛けてくれているのかもわからないし、勝ったって自分は儲からない。勝てば次の作品のギャランティは上がっていくわけだけど。そこはもうシンプルに考えて、もちろん勝ちたいに決まっているので、一生懸命走るだけ」
アドレナリンが出る瞬間を映像に収める
走り続けている三池にとって、オンは「現場にいる時間」だけで、それ以外の時間は打ち合わせも編集もオフに含まれるという。
「仕事の合間のフリー時間や、撮休日などで突然できた空き時間は、特に何もしてないです。大谷(翔平)さんを応援するくらい(笑)。テレビやネットで見る程度で、自分で行動してアナハイムまで行って応援するかっていうとそんな感じでもないから趣味とはいえない。要は、フリーになった時間をうまく使えず、無駄にしてしまうので、“休日”がいらない人。今でも撮休の日の夜は、『今日1日をもっと有意義に使えなかったんだろうか……』と悔やみます」
気分転換は、愛車(レクサス LC500 コンバーチブル V8)を軽く走らせること。
「エンジンの付いているものが好きですね。ドライブに行くほど時間がなかったりするので、一瞬アクセルを踏んだだけで楽しいクルマに乗ったりとか。今乗っているLC500はまず、屋根の開き方がカッコいい。それと、今どき5000ccもいらないだろうっていうオーバースペックなところも。都内を走っているときは、(このクルマにとっては)ほとんどアイドリング。時速80〜100kmで走っていると、足回りもエンジンも余裕だから気持ちがいいし、時たま前方車を追い抜くときにアクセルをキュッと踏むと、ブオンッ!という合法的な快感がある。もっと走れるスペックがあるのにそれを出さない。そんなクルマを所有していることにも、喜びを感じますね。
あと、モータースポーツで早いヤツを見ると、それだけで尊敬しちゃう。大谷さんもすごいけど、佐藤琢磨とかを見ると、あんな天才はいないな、すごいなと思います。レーサーってものすごいハイリスクななかで生きていて、苦しいし大変だけど、バッキバキにアドレナリンが出まくって楽しいだろうなと。
僕らの周りだと、カースタントの人間に重なるものがありますね。今はそういう撮影はなかなか許されないけど、僕が助手の頃は、これはどううまくやったとしても絶対にリスクが高いよね、ケガするよねっていう撮影があった。そういう日の朝、そのスタントマンからは、ものすごいフェロモンが出てて。要は、生きるか死ぬかのギリギリに立たされて、緊張しているときに出す人間のエネルギーってカッコいい。グッと惹きつけられる魅力がある。本来自分たちが持っている何かを、今は眠っているだけなんだと感じさせてくれる。そういう瞬間が好き」
日常生活ではなかなか感じられないアドレナリンが出る瞬間を、キャラクターをとおして映像に収めていくこともまた、三池が作品を作る理由のひとつなのだろうか。
「そうですね。現場でも、アドレナリンが出る瞬間は結構あります。イレギュラーなことが起こるので。天気予報では全然そんなこと言ってなかったのに、これからだっていうときに雨が降り出して。やっべーっていうなかで、役者も含めて誰も『やめる』と言い出さず、そのまま撮影を強行したとき、アドレナリンが出る。役者がケガして病院に行って戻ってきて、その痛んでるところを隠してどう撮るかっていうときも。
明らかなのは、何かしらイレギュラーなことが起きたシーンでは、だいたい後になって『あのシーンいいよね』ってなる。何かが起こったときに、『やめよ!』と逃げてしまえばそのままなんですけど、何かね、やめる気にならない。大げさにいうと、どうやって生き抜くか、みたいなことになったときに、普段では撮れない画になっていたり、物語上になんらかの影響を与えるんだなと。それを身をもって感じています」
イレギュラーな事態に動じないどころか、演出の糧にしてしまう三池。その柔軟性と粘り強さが、三池崇史の100作品を超えるフィルモグラフィーを支えている。
▶︎▶︎前編:三池崇史監督、オファーが絶えない仕事術「45歳で潮が引くと思っていた」
三池崇史/Takashi Miike
1960年8月24日生まれ、大阪府出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)で学び、1980年代は今村昌平監督らの現場の助監督に就く。1991年にビデオ映画作品で監督デビュー。劇場長編映画デビュー作は1995年『新宿黒社会 チャイナ マフィア戦争』。ジャンルを問わず、ビデオ映画と劇場映画で多くの作品を監督し、近年は舞台作品やテレビドラマの演出も手掛ける。『十三人の刺客』(2010年)がベネチア国際映画祭に、『一命』(2011年)と『藁の楯』(2013年)がカンヌ国際映画祭で上映された。代表作に『殺し屋1』『ゼブラーマン』シリーズ、『妖怪大戦争』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(2007年)、『クローズZERO』シリーズ、『ヤッターマン』『悪の教典』『土竜の唄』シリーズ、『ガールズ✕戦士シリーズ』など。バイオレンス映画の巨匠として世界中にファンがいる。