放送作家を中心に活躍する傍ら、NSC(吉本総合芸能学院)の講師として10年連続で人気投票数1位を獲得している桝本壮志さん。そのコラム連載「僕が売れっ子芸人へ伝えた言葉」がスタート。第一回のテーマは「大切なんはサボってもズル休みしてもええから辞めんこと。続ければ、その先に何かあるで」という授業でよく伝える言葉。コットン、空気階段、次長課長、ブラマヨ……。講師や同期として接してきた芸人たちの成功の背景とは?
真面目に授業に出る生徒、休みがちな生徒。でも売れるやつは売れる
「キングオブコント決勝いきました、桝本さん!」
昨秋のコットン西村の電話はうれしかった。
自分の幸福には不感症だが教え子の吉報にはすこぶる弱い。喜びすぎて食べかけのナポリタンの存在も忘れた。翌朝、食品サンプルみたいに固まった姿で対面した。ちょっとスプーンも浮いていた。それくらい弱い。
芸人学校の講師は「まだ何者でもなかった時代」を知っている。なので弱い。とくに西村は、一度はアナウンサーになるも脱サラ。退路を断って吉本NSCに入ってきた。いつも授業をまじめに受け、その代のリーダー格になったのも、背負っている『想い』の強さにあっただろう。
のちの相方・きょんもピュアに授業に出ていた。彼らがコンビを組むときも「どんなネタやるの?」と聞いたら、外国人だらけの六本木なのに、ハードロックカフェの店内なのにフルで漫才を見せてくれた。そんなピュアさは、今もお手本として語り継いでいる。
コットンの同期には、キングオブコント王者になる空気階段、M-1王者に肉薄するオズワルドの4人もいた。彼らもNSC卒業後にコンビを結成したのだが、在学中はマイペースで授業に顔を見せない日もあった。多くの学校がそうであるように、吉本も遅刻と欠席には厳しい。社員さんに怒られている背中もチラホラ見ている。
だが、言葉を選ばず言えば、僕にはどうでもよかった。丁寧に授業と向き合うコットン、ぬらりくらりな空気階段とオズワルド、「どっちもアリちゃう?」だった。
その根底にあったのは「第二の自分」をつくらないことだ。
芸人廃業から学んだ「人にはそれぞれ時刻表がある」という教訓
かつて僕もNSCの生徒だったが、途中で行かなくなり、けっきょく芸人を廃業した。
まじめに出ていた次長課長や野性爆弾は早々に売れ、遺書を書くほど苦境に立たされたブラックマヨネーズは10年踏ん張ってM-1王者に。さらに今、芸歴30年目にしてブレイク中のチャンス大城っていう同期もいるんだから未来ってのは分からない。
そんな経験から学んだのは「人にはそれぞれ時刻表がある」ってことだ。
これはどんな職場でも同じだろう。入社してすぐに結果を出す「快速電車タイプ」もいれば、じっくり時間をかけて主力になる「各駅停車タイプ」もいる。だが長い目で見れば、どちらも同じ目的地に行けたりする。ドラフト1位の大谷翔平選手と育成出身だった千賀滉大投手が、共にMLBで輝いている現状もそれだ。
なので僕はよく「大切なんはサボってもズル休みしてもええから辞めんこと。続ければ、その先に何かあるで」と伝えている。
13年の講師生活で、サボりもズルもせず授業の最前列でまじめにノートをとっている生徒ほど、心が1回ポキリと折れるとそのままフェードアウト。あっさり辞めてしまうケースが多いことも知っているから。
ダメな医師が傷つけるのは1人。でもダメな先生は一度に100人を傷つける
生徒を同じ電車に乗せず、それぞれの時刻表を大切にしてもらうということは、「鋭利な言葉で下車させない」ということでもある。
ダメな医者は一度に1人しか傷つけないが、ダメな先生は一度に100人を傷つけることもある。これを自覚する。会社のリーダーポジションも同じだろう。
学校も企業も、新人はその組織に入ってくるとき、大きな火を心に灯してやって来る。その火を先生やリーダーがわざわざ消す必要はない。せっかく着火させた「最初のやる気」に、オイルを注していき、少しでも火力を大きくして卒業や2年目の社員になる春へとつなぐ。それで充分。
金八先生やGTO鬼塚みたいな派手さはいらない。そもそも生徒(部下)の人生を劇的に変える力など先生(リーダー)には無い。僕らなんぞは24時間テレビのランナーに並走する伴走者。それくらいの感覚でいいのである。