師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿を紹介する連載「相師相愛」。その貴重な対談の数々をまとめて振り返る。※2017年3月号、11月号掲載記事を再編。固有名詞や肩書き、年齢等のデータは掲載時のまま
「200年も90年も」藤井隆太×南雲二郎 対談
南雲 27歳の時、藤井さんのお父様に初めて会って、人生や商売を教えてもらったんです。
藤井 僕はそういうことは親父から聞いたことがないんです。ましてや親父は会社を潰しかけましたから。ありがたかった教えといえば、楽しい酒を飲め、いい相手と飲め、ですね。
南雲 だいたい同じくらいの年齢、30代半ばで長い歴史のある企業の社長になりましたね。
藤井 龍角散が200年で八海山が90年。でも、そういうことを気にせず、南雲さんとは気楽に付き合えた。創立30年以上なら、ほとんど同じでしょう(笑)。
南雲 そういうことをいちいち考えている会社は、うまくいってないんじゃないですか(笑)。
藤井 大事なことは、むしろ先を見ること。それと、社長なんて嫌われまくったらいいと思うんです。会社が強くさえなれば。
南雲 これでもう完成した、と思った瞬間に終わりですからね。
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「3代以上100年以上」堀井良教×髙津克幸 対談
初めて会った時、もうすでに取締役だったんですが、肩書きは係長になっていて、びっくりしたのを覚えています(笑)。その後、会うたびに名刺の肩書きが変わって、出世魚かのようにみるみる出世されたのにも驚きました。
これだけの名門企業の跡取りですから、飲み会が終わって、当然タクシーで帰られるのかと思ったら、ギュウギュウ詰めの銀座線で一緒に。溜池山王まで我慢ですよね、なんて言葉を聞いて、とても好印象を持ちました。
タカラトミーのそばづくりおもちゃに関わってもらったり、フードサービス研究会で講師をしてもらったり、アメリカでの和食イベントのスポンサーになってもらったり、日本料理アカデミーの副委員長になってもらったり。「これは髙津さんに相談しよう」と顔が真っ先に浮かぶんですが、快く引き受けてもらえて。
100円で飲める出汁バー「日本橋だし場」など、斬新な取り組みもされている。和食を広めるための熱意、行動力にいつも感動しきりです。
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