師匠か、恩師か、目をかける若手か、はたまた一生のライバルか。第16回は、代々続く老舗企業の現当主であるおふたり。
堀井良教が語る、髙津克幸
初めて会った時、もうすでに取締役だったんですが、肩書きは係長になっていて、びっくりしたのを覚えています(笑)。その後、会うたびに名刺の肩書きが変わって、出世魚かのようにみるみる出世されたのにも驚きました。
これだけの名門企業の跡取りですから、飲み会が終わって、当然タクシーで帰られるのかと思ったら、ギュウギュウ詰めの銀座線で一緒に。溜池山王まで我慢ですよね、なんて言葉を聞いて、とても好印象を持ちました。
タカラトミーのそばづくりおもちゃに関わってもらったり、フードサービス研究会で講師をしてもらったり、アメリカでの和食イベントのスポンサーになってもらったり、日本料理アカデミーの副委員長になってもらったり。「これは髙津さんに相談しよう」と顔が真っ先に浮かぶんですが、快く引き受けてもらえて。
100円で飲める出汁バー「日本橋だし場」など、斬新な取り組みもされている。和食を広めるための熱意、行動力にいつも感動しきりです。
(これより、WEB限定テキストです)
また東都のれん会のみんなでお酒も飲みに行きたいですね。最も印象に残っているのは、もう10年以上前の若かりし頃、青年会の懇親会で二次会に上野の仮装カラオケに行ったことです。いろんな衣装が店に置かれていたので、それに着替えて歌ったんです。私は身体にぴったりのドレスを着たみたいですが、髙津さんは、身体から白鳥が生えてました(笑)。あれは最高に楽しかった。盛り上がりましたね。髙津さんは堅そうに見えて、飲むと明るくなって、本当にノリがいいんです。
これからも肩肘張らない、自然なお付き合いをお願いできたら、と思っています。
髙津克幸が語る、堀井良教
江戸から東京、3代以上100年以上、今も生業で続いている50数社が集まる東都のれん会。その青年会でお会いしてから、もう20年近くになりますね。当時はまだ職人として現場でそばを打っておられたからでしょうか、角刈りで見た目もごつくて、僕たちは勝手に「刑事(デカ)長」と呼ばせていただいていました。
印象深いのは、ミラノサローネの厨房が狭いから、とジャパンデーの会場になった宮殿の裏の敷地で、黙々とそばを打っておられた姿。晴天の下、イタリアで「何をしてるのかって、見りゃわかるでしょ(笑)」と言われて微笑まれたのをよく覚えています。
のれん会でも三越に出店する江戸催事の幹事役やのれん会のホームページを作る委員会でよくご一緒したり、アメリカでの和食イベントをお手伝いさせてもらったりしました。お互いよく飲みますし、これからも昼から夜から夜中まで、お互い変わらぬお付き合いをお願いできたら、と思っています。
(これより、WEB限定テキストです)
東都のれん会は、みんな親から事業を引き継いだ人たち。気心もしれて、とても心地良い集まりで、なおかつ年代もさまざまなんですよね。堀井さんは、僕にとってはアニキみたいな存在ですし、中には親みたいな存在の人もいる。外に親父がいっぱいいるようなもので、たくさんのことを教えてもらいました。
中堅の世代になってきて、これからは上にしてもらったことを、下にもしていかないといけないな、と思っています。
料理人の会でもご一緒していて、今後は料理についてご教授いただきたいですね。
総本家 更科堀井 代表取締役 堀井良教(左)
1961年、総本家更科の一族に生まれる。大学卒業後、父が独立した総本家 更科堀井へ。機械から手打ちに切り替えるなど改革も推し進め麻布十番の人気店に。
にんべん 代表取締役社長 髙津克幸(右)
1970年、にんべん創業家に生まれる。大学卒業後、髙島屋横浜店入社。96年にんべん入社。商品部、営業部、総務部、副社長を経て、2009年4月より現職。