PERSON

2022.04.02

【堀米雄斗】「重圧がすごくて、東京オリンピックを最後にしようと思った」<中編>

母国開催となった東京オリンピック2020。新競技のスケートボード・男子ストリートで金メダルを獲得し、世界的なスターとなった堀米雄斗。高校卒業とともに渡米し、スケートボードの本場で活動を続ける堀米に、アメリカを目指した理由、東京オリンピックでの重圧、スケートシーンの未来などについてお聞きした。3回にわたるインタビューの中編は、東京オリンピックの舞台裏。前編「成功するために必要なこと」はこちら。後編「次代を担う子供や、その親世代に伝えたいこと」はこちら

これまでの人生で、いちばんうれしかった

――2016年8月、スケートボードが東京オリンピックの追加種目になることが決定した。当時は自分がオリンピックに出場することなど、想像もしなかった。

堀米:その頃は「ストリートリーグに出たい」という思いが強くて、オリンピックのことはまったく頭になかったですね。意識するようになったのは、開催を1年後に控えた2019年頃から。オリンピックの種目になって最初の大会だし、日本が舞台だし。そんな機会は一生に二度とないから、出られるものなら出てみたいと思うようになりましたね。そして、もし出たなら、絶対に勝ちたいと。

――コロナの影響を受けて、東京オリンピックは1年遅れの2021年に開催。開幕までは、いつもと変わらずに大会を楽しむ余裕があったという。

堀米:開会式の時までは楽しかったんです。開会式の様子をインスタに上げたりしてましたから。でも、その後は何も考える余裕がなくなった。今まで経験したことがないプレッシャーで頭の中がいっぱい。「もし負けたら…」と考えると、怖くてたまらなかった。今まで支援してくれたスポンサーも離れていくだろうし、応援してくれるファンの期待も裏切ってしまう。「こんなにプレッシャーがきついんだったら、もうコンテストに出るのは最後にしよう」と考えていました。

――絶対に勝たなければならない。堀米の心中には、スケートシーンを発展させたいとの思いもあった。

堀米:自分か、ナイジャ(=ナイジャ・ヒューストン。現在のスケートボード界のスーパースター)が勝ったら、世界のスケートボードシーンがさらに盛り上がるはずだと。特に日本ではスケボーはマイナーな競技なので、もしも僕が金メダルを獲ればスケートボードのおもしろさを少しは伝えることができるだろうなと考えました。だから負けられないし、勝てないにしても自分の最高の滑りを出し切りたいと思って、試合に挑みました。

――結果は金メダル。

堀米:これまでの人生で、いちばんうれしかった瞬間です。

――堀米雄斗の偉業によって、少なからずの日本人がスケートボードの魅力を知ることになった。その変化を堀米も感じた。

堀米:僕自身は何も変わらないんですけど、周囲は変わりましたね。取材が増え、SNSのフォロワーも急増した。みんな、僕にやさしくしてくれる(笑)。ギフトもいっぱい貰えるし、会いたかった人に会わせてくれるよう、場をつくってくれたりもするし。これまで日本ではスケートボードはマイナーだったけど、スケートボードは稼げるし、ご飯を食べていけるもの。「スケートボードで夢をかなえられる」と伝えることができて、本当によかったと思います。

――最近出会った憧れの有名人。印象深かったのは誰か?

堀米:那須川天心。彼とは気が合い、一緒にギャラリーへ遊びに行ったり、スケートボードをしたり。昨年の大みそか、天心が出たRIZINの試合も応援に行きました。ずっと憧れだった藤原ヒロシさんにも、初めて直接お会いすることができました。それと、アメリカでリル・ウェインに会わせてもらった。ずっと大好きだったラッパーです。リルとスケートボード・セッションをしたのは、めっちゃ楽しかった。リルの頭の上を跳び越える動画をSNSで公開したんですけど、後から見ると、僕もさすがに「これ、ヤバイな」と。「頭に当てたらどうするんだ!」と、後々みんなに言われました(苦笑)。

――オリンピック後、堀米はLAに戻った。そして、現在はいつも通りの日常を過ごしている。

堀米:オリンピックが終わって、アメリカに戻った時に「自分のホームに帰ってきた」という気持ちが湧いてきました。いまではアメリカのほうが落ち着くんですよ。好きな時に好きな場所でスケートできるし、やっぱりスケートボード文化が浸透しているアメリカは楽しいです。オリンピックの後は「自分のストリートパートを映像に残したい」という思いが強まって、3か月くらい、毎日のように撮影に励みました。でき上がった映像は、自分でもいままでで最高のものだと思う。評価も高くて、「ユウトはオリンピックだけじゃないんだね」と言ってもらえた。映像を作って、よかったです。

――日本、特に東京ではスケートボードを楽しみにくい。「日本が大好き」と話す堀米だが、現実的に住むことは叶わない。日本のスケートボード環境が少しずつでも変わっていってほしいという願いはある。

堀米:日本ではオリンピックの競技としてのスケートボードしか知らない人が多いので、そこを少しずつ変えていいきたいですね。アメリカのスケートシーンを伝えていって、日本でもスケートボードが自転車のような「普通」の存在になっていったらうれしい。もちろん、スケーターはルールを守る必要があり、人に迷惑をかけてはいけない。でも、自転車用の道路などは滑れたらいいと思うし、うまく共存していってほしい。僕は高校生の頃、登下校時の交通ルールをしっかり守って、放課後は友達と公園で夜遅くまで練習に励んだ。そうした記憶っていつまでも残ります。「あの頃がいちばん楽しかったな」と思い出すことも多いです。スケートボードが社会にうまく溶け込んでいく日が来るのを願っています。

今年4月22日~24日、千葉県・幕張にて日本で初めてとなる「X-Games」が開催される。堀米雄斗はスケートボードの魅力を伝えるために、出場を決意した。

※インタビュー前編「成功するために必要なこと」はこちら

※インタビューは後編「次代を担う子供や、その親世代に伝えたいこと」はこちら

YUTO HORIGOME
1999年1月7日、東京都江東区生まれ。スケーターであった父親の影響で6歳からスケートボードを始める。幼少の頃より3メートルもあるバーチカルランプを滑り実力をつけ、10代はじめからは国内の大会では常に上位にランクイン。海外経験も豊富だったが、高校卒業後に本格的な渡米を果たして以降さらなる才能が開花。2017年にスケートボードで世界最高峰のコンペティションであるストリートリーグへの挑戦権を得ただけでも快挙であった中、初参戦からいきなり表彰台を連発。2018年には見事初優勝を果たし、瞬く間に世界のトップ選手に君臨。世界のスケートボードは堀米雄斗の時代に突入した。2019年には上海でのX—GAMESを日本人として同種目初制覇、またロサンゼルスでのストリートリーグを制すると、世界選手権でも準優勝を果たした。2021年には世界選手権を優勝。東京オリンピックでは、スケートボード男子ストリート、初代金メダリストとなった。

堀米雄斗

『いままでとこれから』 ¥2200(税込) 著/堀米雄斗 発行:KADOKAWA
4月1日発売、堀米雄斗初の自伝フォトエッセイ。堀米雄斗の生い立ちからスケートに対する思い、さまざまな選択や決断、そしてこれからのヴィジョンを、本人が飾らない言葉で綴った。「仲のいい友達や日本代表コーチの早川大輔さんが、僕について語ってくれているページもあって、いい本になったんじゃないかなと。本が仕上がって改めて読んでみると、びっくりするくらいトントンきちゃっている。本当にラッキーな人生だったなと思います」(堀米)

TEXT=川岸徹

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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