サッカー選手、監督、起業家、投資家、教育者……。いくつもの顔を持つ男が今、そして未来について、長きにわたり本田を追い続けるスポーツ紙記者に語った。インタビュー後編。前編はこちら。完全保存版のインタビューが掲載されている最新号はこちら!
本質を見極め認めるべきものは認める
名選手、名監督にあらずーー。サッカーに限らず、野球でも、ビジネスの世界でも、ずっと言われ続けてきた。この言葉を投げかけると、自信ありげに、首を横に振った。
「僕には、『お前なんでできへんねん、俺がやる』というのはないですね。もともと、プレイヤーとして天才気質じゃなかった。自分は、できないところから、どうやったらできるかを考え、いろんな練習メニューを自分で構築して、できるようになってきた人間。『そりゃできへんよな、俺もできへんかった』から入るんで」
最大の武器のひとつが、傾聴力だろう。会話中に興奮しすぎて、一人称の「僕」が「俺」にさえ変わらなければ、本当によく人の話に耳を傾け、常に学びを得ている。
6月末にインターネットTVのABEMAに生出演した際、15歳も年下のサッカー日本代表選手、久保建英について聞かれた。すると「久保さんは」と、自然に「さん」づけで答えた。
この例に限らず、「年下のほうが優れていることもあるじゃないですか。それを認めているだけ」と年齢ではなく、本質を見極め、認めるべきものは認めるという姿勢がある。
もし、監督業に必要な知識や、驚くような視点を持つ15歳に出会ったら、すぐに食らいつくという。
「たとえ15歳でも、関係ない。15歳に何かを教えてもらえるんだったら、アタマを下げて教えてもらう」
土下座が必要だったら? と聞けば、「土下座はせん」と1度は言い切ったものの、「いや、必要とあらば、土下座も。僕の先生ですよね、その15歳」と答える。即断即決だが、やはりこちらだと思えば、考えを改めることも厭わない。
勝つために、成長を感じることが幸せだと言い切る成長中毒者。ほぼ毎朝5時に起き、早朝に2時間の本格的な英語の勉強を続けて、2年以上がたつ。1日も休んでいない。小さな成功体験があるから、できる。
「成長の実感って、サッカー選手が一番簡単。筋トレしたら、筋肉痛になるんですよ。それが成長の実感。生きてるって感じです」
筋肉の痛みひとつでさえ、前に進むエネルギーに替えられる。
本田には、自己実現できるサッカーという存在が、身近にずっとある。そのサッカーは、教育格差の是正や機会の創出など、課題解決に一石を投じようと社会的な意義も帯びたビジネス面でも、役立っている。
ただ、誰にでも、本田にとってのサッカーのような存在が隣にあるわけではない。成長を感じられず落ちこみ、ネガティブになって、立ち止まってしまう人も多いだろう。
ある意味、それが普通で、世の中はそんなに単純ではない。
その点には理解を示す。ただ、それでも、人生を豊かにする方法や価値観は、人それぞれであると強調する。
「人生を豊かにって、僕は今、この時代、昔にくらべて、どんどん簡単になってきていると思うんです。理由は成功の定義。幅が広がっている。昔だったら、お金稼いだヤツが成功みたいな雰囲気が、今よりはるかにあったと思うんです。でも今って、そこだけの指標じゃないですよね? 人の評価って。それにみんな気づき始めている。田舎に住んで、リモートで働いて、このくらいの給料で、家族で楽しく暮らす。それでOKと思える人が多くなって、それに対して何か言うような人も、いなくなってきていると思うんです」
自分の物差しで、幸せに生きることができたら、それもいいーー。ただ、できるなら、楽しく、笑っていたい。誰もがそんな人生を送ることができる世の中になればいいと、本気で願って行動している。
もしできるなら、少しだけ、外に目を向けてみようというのが、本田の主張だ。
五輪を目指していた間、幸せを感じられていた
海外で暮らして15年近くになった。住んでみて、初めて素晴らしい国だと知ったアゼルバイジャンでは、戦争がリアルな現実で、身近なものだった。
だからこそ、言いたい。
「監督としてワールドカップで優勝することが僕の人生を最も豊かにし、幸せな人生を歩ませてくれるものだとしたら、世界平和、僕が取り組んでいる教育や教育格差(の是正)につながっているところは、僕のミッションといえます。日本で生まれて、自分がこの立場にいられるのは、自分の環境が恵まれていたから。僕は、環境70%、自分によるものは30%くらいだと思うんです。だから環境。僕だって全員を救うことはできない。でも、救えるところは救いたい。それも(自分の)幸せの一部です。自分が世の中のためにいいことをやっているということが、自己満足につながっている、幸せの一部になっている。偽善でいい。やらない偽善より、やる偽善です」
ミッションに世界平和という壮大なものを据え、自身の人生の目標を、ワールドカップ優勝ともう1度定めて、歩きだした。
35歳になった6月には、目指してきた東京オリンピックの日本代表から、あっさり落選した。
「この2、3年間(目標に向かって)幸せな気持ちにさせてもらった。オリンピックを目指すと言っただけで、幸せな人生を歩めたわけじゃないですか。ブラジルで、ポルトガルで、アゼルバイジャンで。それで、落ちてどうか? そんなん、3日で忘れますから。3日でみんな忘れるんで」
笑い飛ばすとはこういうことなんだろうという、手本を見た気がした。
もちろん日本代表は、今も特別な存在であり続ける。オリンピックも「しっかり応援します。サッカーファンとして楽しみたい」とフォローし続けるが、恨み節も、ああだこうだの言い訳もいっさいなかった。
あまりに泰然としている。最後に、気になって思わず聞いてしまった。
もし、今死んでしまっても、後悔のない人生だったと思えるんじゃないですか?と。
「嫌よ。やりたいこと多いですから。まだ全然やりきれていない。自分ではこの間まで星稜高校で学ラン着ていたと思っていて、それくらいピュアですよ、気持ちは。あっという間にここまで来たから」
本田圭佑ーーサッカーのユニホームもスーツも、金髪も長髪も、すべてを自分色に染めてしまう変わった男が、長い髪を揺らし、そこでニヤリと笑っていた。
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