PERSON

2021.07.31

本田圭佑「潰えた五輪出場とW杯優勝の夢」前編

サッカー選手、監督、起業家、投資家、教育者……。いくつもの顔を持つ男が今、そして未来について、長きにわたり本田を追い続けるスポーツ紙記者に語った。インタビュー前編。完全保存版のインタビューが掲載されている最新号はこちら

Keisuke Honda

ジャケット¥192,500、パンツ¥49,500(ともにカンタータ/カルネ TEL:03-6407-1847) タイ¥6,800(マン アバウト タウン/人間味 TEL:03-4577-8603) 靴¥36,300(アンジェロ ルッフォ/ハイブリッジインターナショナル TEL:03-3486-8844) その他スタイリスト私物

肩書きは「挑戦者」、本田圭佑の次なるミッション

もう1年半近く、1度もハサミを入れていない本田圭佑の髪は、肩に届くほどになっていた。

髪色も、光を放つような金色ではなく、しっとり落ち着いた茶系。肉体改造で、いっそうたくましさを増した体つきと、その髪形は、着流し姿なら武士のように見えるかもしれない。

サッカー選手として有名だが、「挑戦者」を名乗る男は、髪をかき上げ、「全然イケてないでしょ?」と笑った。

選手をしながら、監督も務め、サッカークラブに実質的な経営者や発起人として、深くかかわる。さらに起業家であり投資家、そして教育者としても活動するが、すべてひっくるめて「Challenger」となる。

伸びっぱなしになった髪には理由がある。もう10年以上、ひとりの美容師に、すべてを任せている。毎回、住んでいる海外まで足を運んでもらっていたが、コロナ禍の渡航制限で、日本からの来訪が事実上、不可能となり、感染拡大とともに髪が伸びていった。

居住先でも、いつでも髪を切ることはできた。ただ、何か引っかかるものがあった。

「他の人に切ってもらうのは嫌やなって。まあ、(その人との)関係性はありますよね、関係性というか、こだわり。忠誠心とかそういうことではなく、こだわりです」

人を大切にする本田らしい理由だった。敢えて「こだわり」と、ふわっとした言葉でつつんで、照れ隠しのようにしたのも、実に本田らしい気がした。

髪に思いを込めたのは、今回が初めてではない。

厳しい祖父母のもとで育ち、大阪で昭和ど真ん中のしつけをされ、古風だったやんちゃな若者は、18歳でプロ入りした当時、黒髪だった。

劇的な変身は、欧州に渡って少したった21歳のころ。一気にステップアップすることをもくろんでいたが、チームは大敗続き。個人成績も振るわない。日本とは何もかもが違う。結果がすべて。結果だけがモノをいう、弱肉強食の世界。どちらかといえば、内容重視だったが、大勝負に打って出た欧州で、いきなり埋もれて消えてしまいそうな強烈な危機感を覚えていた。

もう、ただただ貪欲に点を取り続けてアピールするしかないーー。ゴールだけを目指そうと、プレイスタイルを大きく変え、決意を刻みこむため、髪色を変えた。

後に広く世に知られることになる、金髪の本田圭佑の誕生。それは、生まれ変わって生き残るという決意を込めた変革だった。

「何かを変えないといけなかった。プロになったころから『俺は染めへん』と、黒髪へのこだわりを豪語していたんです。そんな硬派な発言をしていたヤツにとっては、たかが髪を染めただけでしたけど、内面的にも、大きな変化を必要としていたわけです。周りにもひと目でわかりますから、変化が」

この金髪への変革から、サッカー選手としての「成り上がりフェーズ」が、急激に動きだす。点を取り続け、2010年に南アフリカで開催されたワールドカップで日本代表になって活躍。日本の新たな顔になった。その後も、しっかり整えられた短い金髪はいつも同じで、とにかく目立っていた。

ピッチを離れればサングラス。そして両腕に時計。ここに、ビッグマウスを加えてできあがる、猛烈にキャラクターの濃い一風変わったスターは、時にアンチヒーローにもなる物言いで物議を醸す。その振れ幅がまた、魅力的でもあった。

そんな本田は、この1年半ほど、髪が伸びる過程で自らと向き合い、進むべき道を模索していた。

Keisuke Honda
1986年大阪府生まれ。名古屋グランパスエイトでサッカー選手としてプロデビュー。W杯に3大会連続で出場し、全大会でアシストと得点を記録。選手としてだけでなくカンボジア代表GMを務めながら、ソーシャルオンラインスクール「NowDo」代表ほか起業家として、また投資家としての顔を持つ。

誰かの敷いたレールではなく自分の道は自分でつくる

新型コロナの感染拡大が爆発的なスピードで進んだ昨年。世界で有数の感染者と死者を出したブラジルに住んでいた。

「このコロナで、皆さんそうだと思うんですけど、考える時間があった。人の命の尊さ。たぶん、みんな1度は考えたと思うんです。家族の大切さ、今後の人生で、自分はどういう身の振り方をしていこうかとか。僕もまったく例外なく、同じように考えました。とにかく考える時間がありました。ブラジルで、あんなにたくさんの人が亡くなっている。だからこそ、余計にそんなことばかり考えていました」

膝の大けがで長期離脱した’11年ごろ、バルセロナで約半年のリハビリ生活を送っていた。この時も、自問自答し、「政治家になって、総理大臣を本気で目指そうか」と考えたこともあった。政治家という選択肢はもうなくなったが、その後も、どこか生き急ぐように、いろいろな取り組みを続けている。常に「死生観」を胸に抱き、考えながら生きている。

「1回しかない人生。もっと楽しく生きていくにはどうしたらいいか? そう考えて、ふと出てきたのが『ワールドカップで優勝したいんだ』だったと」

サッカーの世界一を決める4年に1度の世界大会が、ワールドカップ。日本代表の選手として3度出場し、そのたびに「優勝したい」と強く願った。’18年の大会を最後に封印した、その壮大な目標が、もう1度湧き上がってきた。

「僕が、自分に問うた質問があるんです。『もし、働かなくてよければ、もし、お金が十分にあるならば、お前は何をするのか?』と。ハワイで、のほほんと家族と幸せに暮らすか、ヨーロッパで歴史を感じながら暮らすのか。僕が出した答えは、『監督をやってワールドカップで優勝したい』でした」

いつも心のなかに住んでいるもうひとりの本田、「リトルホンダ」は無邪気で正直。サッカーの超名門チーム、ACミランに飛びこんだ時、決断を後押ししてくれた「リトル」には逆らえない。

選手として3度挑んで、最高でもベスト16が2度と、はね返され、たたきのめされた究極の目標に、再び挑戦する。それも、選手ではなく監督として。

ただ、ここでも一筋縄ではいかない。しばらくは、選手と監督の二足のわらじで挑戦するという。

「プレイングマネージャーじゃなくて、マネージングプレイヤーなんで」

かつてNHKの看板番組で密着取材され、決めゼリフの「プロフェッショナルとは?」と問われた。しばらく考え、自らがプロフェッショナルを体現するその象徴的存在になるという自負から「ケイスケホンダ」と答えた。質問者がすぐには理解できず、言葉を失うなか、いずれ「プロフェッショナル」という単語が、「ケイスケホンダ」に変わっていくんだと、マジメに言ってのけたことがあった。

今回も「マネージングプレイヤー」、勝手に言葉をつくってしまったが、進むべき道は、自分でつくる。誰かの敷いたレールには、興味がない。

ここ数年は、カンボジアの代表チームを実質的に指揮しながら、選手も続けてきた。今後もしばらくは選手であることで得られる監督業に必要な貴重な情報を得るため、現役も続ける。

いずれ現役を引退しても、監督業は続けられる。どれだけ体力が衰えても、プレイせず、チームを勝たせることができる。それが監督という仕事でもある。

「ライフミッション、自分が人生を通して成し遂げたい目標が、定まりました。こればかりは命ある限り目指せるんで、ワクワクしますよね」

声のトーンが一段高くなる。

勝負において、勝ち負けのすべてといっていい責任を負うことになる監督業は、うってつけだろう。

「僕は勝つのが好きなんです。それが幸せなんです。そして、そこに向かって成長を感じている時が一番幸せ。だから、学ぶんです」

※インタビュー後編はこちら

TEXT=八反 誠(日刊スポーツ)

PHOTOGRAPH=SHIN ISHIKAWA

STYLING=近藤 昌(TOOLS)、遠藤慎也(椅子)

HAIR&MAKE-UP=林 勲

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