どんなスーパースターでも最初からそうだったわけではない。誰にでも雌伏の時期は存在しており、一つの試合やプレーがきっかけとなって才能が花開くというのもスポーツの世界ではよくあることである。そんな選手にとって大きなターニングポイントとなった瞬間にスポットを当てながら、スターとなる前夜とともに紹介していきたいと思う。連載【スターたちの夜明け前】
2009年6月10日・全日本大学野球選手権1回戦 創価大戦
日本シリーズ4連覇中のソフトバンクで不動の中軸として活躍しているのが柳田悠岐だ。シーズンMVP2回、首位打者2回、最多安打1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞5回など数々のタイトルを獲得し、総合力では現役の野手でもナンバーワンという声も多い。そんな柳田だが、高校では名門の広島商に所属していながらも全く名前の知られた存在ではなかった。チームは柳田が1年の時に夏の甲子園にも出場しているが、本人はベンチ入りしていない。筆者がそのプレーを初めて見たのは2年秋の広島県大会、如水館戦。柳田は背番号5をつけて代打で出場しヒットを放っているが、そのプレーについては全く何の印象も残っていない。名門校出身ながら首都圏や関西圏の大学ではなく、県内の広島経済大に進学しているというところにも、当時の評価がよく表れていると言えるだろう。
柳田のことを初めて私が意識したのは大学3年で出場した全日本大学野球選手権だ。大学野球最大の全国大会で、今年も6月7日に開幕したばかりだ。この大会前に行われた広島六大学野球のリーグ戦で柳田は打率.528をマークしており、その成績もあって下級生ながら注目すべき選手の1人ということで注目していた。しかし結果から先に書くと、柳田はプロ注目の創価大のエース大塚豊(元日本ハム)の前に空振り三振、ファーストゴロ、力のないライトフライと完璧に抑え込まれ、ほろ苦い全国デビューとなっている。187㎝、85㎏と体格は立派だが、大塚の緩急を使った攻めには全く対応できておらず、典型的な未完の大器という印象が残った。
柳田は翌年も全日本大学野球選手権に出場。1回戦の三重中京大戦ではヒットを1本放っているが、リリーフで登板した則本昂大(楽天)にはノーヒットに抑え込まれている。大塚、則本ともにドラフト2位でプロ入りしており、大学球界ではトップクラスの投手だったが、そのようなレベルの投手に対してはまだまだ通用しないというのが率直な感想だった。
一塁まで3秒98という一流の走力を披露
ただそんな柳田だが、全国の舞台で唯一残した爪痕がある。それがその圧倒的な脚力だ。打者が打ってから一塁に到達するまでのタイムは報道されることも増えており、4.00秒を切れば一般的に俊足と言われているが、柳田は創価大戦のファーストゴロの時に3.98秒をマークしていたのだ。しかも柳田は常にフルスイングするスタイルの打撃であり、リードオフマンタイプの選手に比べると明らかにスタートは遅れるが、それでもこれだけのタイムを叩き出しているというところにただならぬポテンシャルの高さが表れていたことは間違いない。当時の私は取材ノートに「体の割れが不十分で、高いレベルの変化球には対応できていない。バッティングに関してはかなり時間がかかりそう。ただ大型で運動能力の高さがあるのは魅力」と書いている。ちなみに同学年で同じ左打の外野手である秋山翔吾も筆者が計測した中では一塁到達タイムで4.00秒を切ることはなかった。
ドラフトの時に王会長が複数いた野手の候補の中で「誰が一番(遠くへ打球を)飛ばすんだ?」と聞き、その会話から柳田を2位で指名したという話は有名だが、大学4年時の打撃の完成度を考えると、飛ばす力だけで上位指名するだけのリスクをとることは難しかったはずである。ソフトバンクとしても柳田の2位指名はある意味、ギャンブル的な要素を含んでいたことは間違いないが、大舞台でも見せた圧倒的な脚力がその後押しとなった部分は大きかったはずだ。
Norifumi Nishio
1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。在学中から野球専門誌への寄稿を開始し、大学院修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。