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2021.01.03

調教師の弟・武幸四郎から見た武豊の人物像とは? 34年の騎手キャリアから武豊を徹底分析!

ジョッキー武豊は、実に30年以上もの間、誰もが知る一流の存在として、平然と生き続ける。「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る」。これは、皇帝ナポレオン1世が残した言葉である。その捉え方には諸説あるが、先の世界を見ることは「狂人」にしかできない、とも解釈できる。きっと、武豊には武豊にしか見えない「未来」がある。その生き様を「狂人」として見つめてみたい。【武豊の独占インタビューはこちら】【武豊と藤田晋の特別対談はこちら】【武豊が愛用する勝負アイテムはこちら

弟・武幸四郎から見た武豊

僕から見ると、武豊は家族としてのアニキであり、ジョッキーとしての大先輩であり、競馬の世界を一般社会に広めたJRAの最大功労者、かつ有名人ですね(笑)。

僕が5歳の時にアニキは競馬学校に入ったから、例えば兄弟でキャッチボールとかをして遊んだ記憶はないですが、小学校高学年ぐらいになり、テレビでアニキのレース姿を見て「カッコいいな」と思いましたし、憧れてましたね。

今、僕は調教師になって改めて思うことがあります。「50歳を過ぎて、武豊はまだ進化している」と。元ジョッキーから見ても「力強さ」が増しているなと感じます。

ひいき目じゃなく、馬に乗ってきたからわかる感覚です。騎手だけで馬は制御できないし、人馬一体じゃないけど、騎乗に体力だけではないパワフルさを感じます。一緒に乗っている現役騎手が一番わかってるんじゃないかな。

昔、第三コーナーを回った時に、芝の上をヘビが横切ったことがありました。

アニキは「ヤバイ! 踏んじゃう」って思ったらしく、レースが終わって他の騎手に「ヘビやばかったね」って言ったら、皆「えっ?」と誰も気づいてなかった。勝負勘、展開の読みなど、技術だけじゃないのが騎手。ヘビに気づける特殊能力を持つアニキは「まだ一番上手い」と思います。ウチの廐舎(きゅうしゃ)の「頼れる主戦ジョッキー」ですから!

僕がジョッキーを辞めたのは、乗れる体力や技術に不安があった訳ではなく、モチベーションが追いつかなかった。でも、アニキを見ていると、無理にモチベーションを作ってないし、いい意味でジョッキー馬鹿。本当に競馬が好きなんだと思いますし、馬にしか興味ないから楽しそう(笑)。そこが最大の武器、すごさ、強みな気がしますね。

たぶん調教師にも興味ないだろうし、周りの声も気にしないと思う。もっと上手くなりたい、もっと勝ちたいという、貪欲さがありすぎる。でもこの「欲」の気持ちが勝負の世界では大切なんだとアニキを見ていると改めて思います。

アニキが何歳まで「乗る」かわかりませんが、クタクタになるまで乗ったらいいんです(笑)。アニキだから切り拓けた競馬界の歴史がありますから、好きなようにやればいい。いつか、僕の管理馬で、アニキが騎乗して、大きいレースを獲れれば……。そう思える家族環境や競馬サークルに感謝しますし、弟としては幸せですね。

武豊から見た武幸四郎

10学年下の弟は僕に憧れて騎手になったそうで、子供の時に弟の部屋に入ったら俺のポスターが貼ってあった(笑)。年が近かったらライバル感とかあったかもしれないけど、そこがないからね。調教師になっても、一番気になる存在だし心配もする。大切な弟ですよね。

 

競馬界の歴史に輝く、30年以上のキャリアから見た武豊

1987
3月1日、アグネスディクターでデビュー。翌週にダイナビショップで初勝利。10月、トウカイローマンで京都大賞典に勝ち重賞初V。新人最多勝記録を更新。
69勝/554騎乗 勝率0.125

1988
スーパークリークに騎乗して菊花賞を制しJRAGⅠ初勝利。史上最年少19歳8ヵ月でクラシックを制覇し、年間113勝で関西リーディングジョッキーとなる。
113勝/669騎乗 勝率0.169

1989
米アーリントン競馬場でグランマジーに騎乗してアローワンスを制し、海外初勝利を挙げる。年間133勝で自身初のJRA全国リーディングジョッキーに。
133勝※/726騎乗 勝率0.183

1990
仏ドーヴィル競馬場でレジデントに騎乗してモン・カニシー賞を制し、ヨーロッパ初勝利。オグリキャップに騎乗し有馬記念を制覇。同馬のラストランを飾った。
116勝※/723騎乗 勝率0.160

1991
米サラトガ競馬場でエルセニョールに騎乗してセネカH(GⅢ)を制し、海外初重賞勝利。メジロマックイーン騎乗で天皇賞春3連覇達成。最年少通算500勝。
96勝/642騎乗 勝率0.150

1992
師匠の武田作十郎がデビューから所属していた廐舎を解散。フリー騎手に。メジロマックイーンに騎乗し、トウカイテイオーとの対決を制して天皇賞春4連覇。
130勝※/606騎乗 勝率0.215

1993
桜花賞(ベガ)、皐月賞(ナリタタイシン)、オークス(ベガ)と、春のクラシック戦線3連勝を達成。自身初めてとなるフェアプレー賞を獲得。
137勝※/699騎乗 勝率0.196

1994
仏ロンシャン競馬場でスキーパラダイスに騎乗してムーラン・ド・ロンシャン賞(GⅠ)を制し、JRAの日本人騎手として初の海外GⅠジョッキーとなる。
134勝※/582騎乗 勝率0.230

1995
史上最速・最年少(26歳4ヵ月)で通算1000勝達成。スキーキャプテンで日本人騎手として初めてケンタッキーダービーに参戦するも、結果は14着。
134勝※/693騎乗 勝率0.193

1996
名牝エアグルーヴに騎乗してオークスを連覇。菊花賞をダンスインザダークで制覇。159勝を挙げ、岡部幸雄が持つ138勝の年間最多勝を更新。
159勝※/755騎乗 勝率0.211

1997
史上最年少の28歳4ヵ月でJRA重賞通算100勝達成。史上2人目の中央競馬全10場で重賞制覇を達成。168勝で年間最多勝記録をさらに更新。
168勝※/722騎乗 勝率0.233

1998
仏モーリス・ド・ギース賞をシーキングザパールで制し日本調教馬海外GⅠ初V。スペシャルウィークで日本ダービー初V。天皇賞秋でサイレンススズカが故障。
169勝※/749騎乗 勝率0.226

1999
アドマイヤベガで日本ダービー連覇。アグネスワールドで仏アベイユ・ド・ロンシャン賞(GⅠ)制覇。178勝で最多勝記録を更新。10度目の年間最多勝。
178勝※/809騎乗 勝率0.220

2000
拠点を米国西海岸に移しながらも、帰国の際には国内でも精力的に騎乗しJRA全国リーディングジョッキーを獲得。エアシャカールで皐月賞と菊花賞を制覇。
130勝※/552騎乗 勝率0.236

2001
仏の名門ジョン・ハモンド廐舎の主戦騎手として招かれ、活動拠点を欧州に。香港ヴァーズをステイゴールドで制し、国産の日本調教馬として初海外GⅠ制覇。
65勝/355騎乗 勝率0.183

2002
2月に骨盤骨折を負うも約8週間で復帰。1年の半分を仏で活動しながら、国内年間最多勝獲得。タニノギムレットで史上初の日本ダービー3勝。通算2000勝。
133勝※/457騎乗 勝率0.291

2003
東京大賞典(連覇)を含む交流GⅠ3勝。前人未到の年間200勝達成。最終的には年間204勝の大記録を打ち立てた。JRA・地方における全GⅠ騎乗達成。
204勝※/866騎乗 勝率0.236

2004
競馬功労者として農林水産大臣感謝状を授与される。エリザベス女王杯4連覇を達成したほか年間勝利数では211勝。前年に自らが樹立した大記録を更新した。
211勝※/912騎乗 勝率0.231

2005
ディープインパクトで史上2例目の無敗牡馬3冠。9月に騎乗機会6連勝、1節12勝、1開催26勝(複数競馬場)のJRA新記録樹立。3年連続年間200勝達成。
212勝※/855騎乗 勝率0.248

2006
フェブラリーSを制して19年連続GⅠ勝利。3月のドバイ遠征ではユートピアに騎乗してゴドルフィンマイルを逃げ切り、4年ぶりの海外重賞制覇。
178勝※/790騎乗 勝率0.225

2007
アドマイヤムーンでドバイデューティーフリーを制し6年ぶりの海外GⅠ制覇。通算2944勝に到達し岡部幸雄の最多勝記録更新。前人未到の3000勝達成。
156勝※/713騎乗 勝率0.219

2008
ヴァーミリアンに騎乗し、フェブラリーSを制し連続GⅠ勝利記録を21年に更新。11月に落馬で右前腕骨折の重傷を負うも、驚異の回復力で1ヵ月後に戦列復帰。
143勝※/653騎乗 勝率0.219

2009
ウオッカでヴィクトリアマイルを制し、連続GⅠ勝利記録を22年に。名古屋で開催されたJBCクラシックでは、ヴァーミリアンとともに3連覇を成し遂げた。
140勝/768騎乗 勝率0.182

2010
3月に落馬負傷して自身最長の4ヵ月に及ぶ戦線離脱を余儀なくされる。日本騎手クラブ会長に就任。ジャパンCをローズキングダムで制し、23年連続GⅠ勝利。
69勝/413騎乗 勝率0.167

2011
JBCクラシックをスマートファルコンで制し、前人未到の同レース5連覇。東日本大震災の復興支援では、騎手会長として被災地訪問、募金活動などを先導。
64勝/635騎乗 勝率0.101

2012
京都記念を制し、新人時代から続く重賞勝利を26年連続に更新。マイルCSではサダムパテックに騎乗して2年ぶりのGⅠ制覇を飾った。
56勝/591騎乗 勝率0.095

2013
通算3500勝を達成。日本ダービーをキズナで制覇し、前人未到の同レース5勝目。トーセンラーでマイルCSを連覇し、GⅠ100勝を達成した。
97勝/649騎乗 勝率0.149

2014
10月に地元京都でピエナトップガンに騎乗し、JRA通算騎乗数を18648回に更新。岡部幸雄が保持していたJRA最多騎乗記録を更新した。
86勝/672騎乗 勝率0.128

2015
シリウスステークスでアウォーディーに騎乗し、前代未聞のJRA重賞300賞を達成。12月にシャティン競馬場で行われた香港カップをエイシンヒカリで制覇。
106勝/763騎乗 勝率0.139

2016
アメリカジョッキークラブカップ(AJCC)で勝利を収め、新人時代から続く重賞勝利を30年連続に更新した。JRA通算3800勝を達成。
74勝/667騎乗 勝率0.111

2017
京都金杯をエアスピネルとのコンビで勝利し、重賞勝利記録を31年連続に更新。キタサンブラックに騎乗し、GⅠ4勝。JRA通算3900勝を達成。
82勝/605騎乗 勝率0.136

2018
京都金杯でブラックムーンに騎乗して勝利し、重賞勝利記録を32年連続に更新。9月にはJRA通算4000勝を達成し前人未到の偉業を成し遂げた。
76勝/554騎乗 勝率0.137

2019
GⅠのフェブラリーSをインティで制覇。菊花賞でワールドプレミアに騎乗し勝利。昭和・平成に続いて令和での勝利となり、3元号同一GⅠ制覇を達成。
111勝/659騎乗 勝率0.168

2020
サウジアラビアで行われたサンバサウジダービーをフルフラットで優勝。当地で日本人騎手初勝利を挙げ、自身海外9ヵ国目の勝利。連続重賞勝利記録を34年に。
115勝/667騎乗 勝率0.172

 

JRA通算(2020年現在)4244勝/22725騎乗/勝率 0.187

※全国リーディングジョッキー(年間最多勝)を獲得

 

Yutaka Take

Yutaka Take
1969年3月15日、京都府生まれ。’79年乗馬を始め、’84年にJRAの競馬学校に入学。’87年に騎手デビューを果たし、翌年菊花賞を制しGⅠ初勝利。地方海外含め100勝以上のGⅠ制覇、史上最速・最年少(26歳4ヵ月)で通算1000勝達成、通算4200勝達成など数々の伝説的な最多記録を持つ。2005年、ディープインパクトとのコンビで史上2例目の無敗での牡馬3冠を達成。’10年の落馬負傷により、約3年に及ぶスランプに陥るも’13年の日本ダービーをキズナで制して完全復活。50歳を迎えた’19年も昭和・平成・令和と3元号GⅠ制覇を達成。父は元ジョッキーで調教師も務めた故・武邦彦。弟は元ジョッキーで、現在は調教師を務める武幸四郎。

PHOTOGRAPH=Getty Images

COOPERATION=小林克己

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