2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
東京23区唯一の地酒『江戸開城』
洗米、蒸米、麹づくり、酒母づくり、もろみ仕込み、しぼり、火入れ、貯蔵と日本酒づくりには多くの過程が必要だ。酒蔵に行くと、大きなタンクや、窯、しぼりのための圧搾機、冷蔵施設が敷地に置かれている。歴史のある酒蔵が多いので、風情のある建物も多く、地域の歴史的建造物に指定されている蔵も少なくない。そんな酒蔵に対する固定概念を根本から覆すのが、東京都港区の東京港醸造だ。
幹線道路にほど近い路地裏に立つ鉄筋コンクリートの4階建て。敷地22坪は、失礼ながらオフィスビルとしてもせまいくらい。ここで酒づくりが行われているなんて、通りかかっただけでは想像すらできない。中に入り急な階段を昇っていくと、酒づくりのための機械が所せましと並んでいた。タンクも圧搾機も普通の4分の1ほどのミニチュアサイズだ。
「ぜんぶ特注でつくってもらいました。なるべく多くのものを可動式にし、作業ごとに動かして、スペースを有効に使えるようにしています」(杜氏の寺澤善実さん)
3階で米を洗い、4階のベランダで米を蒸し、同じ4階で麹づくりをし、3階の仕込み部屋のタンクへ。ここで醸された酒は2階でしぼり、1階で瓶詰め。上から下へとコンパクトながらも効率的に酒づくりが行われている。
この場所には、明治時代まで若松屋という造り酒屋があった。1812年に創業し、併設する居酒屋には西郷隆盛や勝海舟も足繁く通ったというが、後継者問題などもあり、1911年に廃業。その若松屋を東京港醸造とあらため、100年以上の時を越えて、この東京での酒づくりを復活させたのが7代目の齊藤俊一さんだ。
都心とはいえ、オフィスビルばかりで地域の元気がなくなっているのを感じていました。地域を活性化するのに酒づくりを復活させたらどうだろうと考えていましたが、実際にやるのはかなり大変でした。経験豊富な寺澤さんの協力がなければぜったいに無理だったと思います」(齊藤社長)
ここでつくられる東京23区では唯一の地酒は、『江戸開城』。一升瓶で270本ほどしか仕込めないが、あえて毎回製造方法や使用酵母を変えているので、味や香りが微妙に変化しているそう。
「どんどん変化、進化するのが東京らしいかなと。保管スペースもないので、たくさんつくってもしょうがない。そのぶん1タンクごとこだわってつくっています。どんな料理にもあう食中酒として楽しんでもらえたらいいですね」
蔵を見学したあとは、蔵の前の角打ちで立ちのみでの日本酒談義。
「この小さな蔵でつくられたとは思えない味わいです。日本酒というと地方のイメージがありますが、こういうきちんとした日本酒が都心でつくられているということをもっと多くの人に知ってほしいですね」(中田英寿)
情熱と創意工夫で蘇った東京の地酒。路地裏の角打ちには、夕方くらいから人が集まり、賑わいをみせているという。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん”の”ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/