2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
世界が認めるクオリティ
絹といえば光沢のある生地をイメージするが、同じ絹製品でも紬の場合は光沢が抑えられ、どこか素朴な味わいが漂う。繭玉を煮て真綿にし、そこから糸を手で“つむぐ”。そんな昔ながらの製法を用いた結城紬が、茨城県西部の結城市でいまも受け継がれている。結城紬の歴史守る職人のひとり、森肇さんの工房を訪ねる。
「細く糸を取り出したら、自分の唾で撚り合わせていくんです。唾に含まれているタンパク質が1本1本の繊維を束にすることで1本の糸になっていきます」(森さん)
結城紬は軽く、しなやかでそして温かい。そのクオリティは世界に知られており、これまで世界の有名ブランドとコラボレーションして、スーツやインテリアの生地として採用されてきた。明治40年の創業以来、本場結城紬を守り続ける奥順株式会社の5代目、奥澤順之専務がその特徴を語る。
「結城紬の特長は、真綿から手つむぎした糸を使い手機で織ることです。その中でも地機は一般的な織り機よりも低い位置で作業します。独特の形状や人が全身をつかって織る様子から『鶴の恩返し』のモデルになったとも言われています。熟練の職人が真綿から糸をつむぎ、40以上の工程をかけて作るため、1反できあがるまでは最低でも5ヵ月、柄にこだわったものは数年かかることもあります」
中田も糸をつむぐ作業に挑戦してみる。傍目にはうまくつむげているように見えるが、ところどころどうしても糸が太くなってしまうようだ。大きな真綿から細い糸をたぐり出し、手でつむぐ。確かに気が遠くなるくらい時間のかかる作業だ。
「繭はお蚕様の生命を守る家。紫外線を通さず、温度や湿度を適度に保ち、さらに防菌効果もあります。この効果は結城紬にも受け継がれていて、着ていても疲れないんです」(奥澤専務)
森さんの専門である絣くくり(柄をつくる作業)も体験。糸の束にさらに糸をくくりつけ、“染まらない部分”を作っていく。数ミリごとに糸を束ね、染色した時に糸をくくりつけた部分は染まらず、染まらず残った一点一点がやがて織った時の柄になるのだ。糸と糸を絡ませないよう、気をつけなければならない。森さんはこの作業を1日2000回以上繰り返すこともあるという。
「ここまでやるからこそ、あの美しい柄が生まれるんですね。これだけ手間ひまをかけて作られた生地にぜひ袖を通してみたいですね」
数年おきに和服をつくっている中田の”次‟の有力候補になったようだ。とほうもない時間をかけてつくられる軽やかでしなやかな結城紬。その生地で作られた着物に包まれたら、どれほど心地いいのか。いつかその着心地をレポートで届けることができるかもしれない。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。