「仕事や育児、人間関係でちょっと疲れてしまった」「何となくうまくいかなくて、心がモヤモヤする」。そんな思いを抱えながらも毎日を一生懸命に生きる人たちに向けて、お笑い界きっての読書家であるティモンディの前田裕太さんが、“心にジュワッと沁みこんでくる言葉”をセレクトします。第2回は、瀬尾まいこ著『幸福な食卓』からの一節。

「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
『幸福な食卓』(瀬尾まいこ/講談社文庫)
みんな“あるべき姿”に縛られてしまう
生きていたら、みんなそれぞれ求められる役割ってあるでしょう。
私であれば、どの仕事現場でも円滑に収録を上手くいかせるような調整役であることが多い。替えの効く歯車としての役割を求められがちです。
「仕事なんだから甘んじて受け入れろ!」という意見も飛んできそうですが、今回はその手の類いの話ではないから早まらないで。
私みたいな芸人なんて風変わりな職種ではなくても、みんなだって、長男として生まれれば長男らしい振る舞いを、母親であれば正しい母親としての姿を求められると思います。
要は、それぞれみんな各自が持っている肩書きに応じて、あるべき姿を強要され、そこから外れたり至らなかったりすると批判されて、よくない人であると評価される世の中な訳です。
時には、「役割を全うしていない!」と責められることだってされるでしょう。
まだ仕事であれば、それに見合う対価を貰っている以上は責任も伴うのでしょうけれど、人間関係においても必要以上に"あるべき姿”を求める社会なのではないかと感じています。
SNSで自分の無知を棚に上げて、よく調べもせずに誰かの役割と至らぬ部分を書きだして非難する。恐らく読者諸兄姉もそんな光景を目にしたことがあると思います。
そんな世の中だから、無理して、あるべき姿に自分を押し込めなければならない日常に苦しむ人も多いのではないでしょうか。
心に沁みる、瀬尾まいこ『幸福な食卓』の言葉
『幸福な食卓』では、主人公の父は父親であるという役割、肩書きからひとりの人として再出発をするところから話が始まります。
本書は高校受験を控えた主人公、父親を辞めた父、別居している母親、天才なのに大学に進学せず農業をしている兄という、歪な形の家族の幸せを再確認する温かい話です。
実際の社会で「父親が父親を辞めようと思う」なんて口にしたら「親としての責任はどうするの?」とか「生活費は誰が稼ぐの?」だとか、そんな言葉で責められるでしょう。
しかし『幸福な食卓』はお互いの、自分とは異なる価値観、非難されるかもしれない決断、響きの悪い言葉たちを、優しく包み込むような、そんな家族の作品です。
他にも染みる言葉でいうと、「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」の後に続いて、「いいんじゃない?」と兄が許容したところにグッときます。
心配する主人公を他所に「肩書きが変わるだけだよ」なんて気楽に構えている兄の姿は、本来は他者に向ける優しさの在り方として、これが正しいのでは? と思わせるくらいの温かさがあります。
目に見える優しさは賞賛されがちですが、他者に許容と容認の心を持つだけで、幸福な環境というものはつくられるのだなと、きっとこの作品を読んだ方は思うでしょう。
私もこの作品に何度心を救われたか分かりません。
かといって、そんな簡単に、自分に与えられた役割や肩書きを簡単に投げ捨てることはできないのですが、せめて私自身は、誰かが自分の肩書きを捨てた時に、その決断を尊重して、優しくあろうと思うきっかけになりました。

1992年神奈川県生まれ。お笑いコンビ、ティモンディのツッコミ・ネタ作成担当。愛媛県の済美高校の野球部で高岸宏行と出会い、2015年にティモンディを結成する。教育番組『天才てれびくん』(NHK Eテレ)の14代目MC。読書大好き芸人としても活動。また、保護猫ボランティアにも携わり、その様子を発信している。