2023年、107年ぶりの甲子園優勝を果たした慶應義塾高校野球部。その背景に“負け知らず”のメンタル術があったのをご存じだろうか? 同野球部のメンタルコーチを務める吉岡眞司氏によれば、2023年甲子園のピンチを切り抜けた塾高の選手たちも、元プロ野球投手の桑田真澄も、ある緊張コントロール術を使っていたという。ビジネス、ダイエット、受験など、あらゆる分野に活用できる“必ず目標達成ができるようになる”秘訣を『強いチームはなぜ「明るい」のか 』より一部を抜粋・再編集して紹介する。【その他の記事はコチラ】
自律神経をコントロールできる手法「呼吸」
緊張状態をコントロールするもう一つの方法は「呼吸」です。
人間の体には、血圧や心拍数、体温、消化、排泄など生命維持に必要なあらゆるプロセスを調節している「自律神経」という機能があります。自律神経には、「交感神経」と「副交感神経」があり、互いに相反する役割を担っています。交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキの役割を果たし、この2つが協力して働くことで全体の調和、バランスがとれ、心身の健康が保たれるのです。
交感神経は昼間や活動時に、副交感神経は夜間やリラックスしているときに活発になる神経です。この交感神経と副交感神経がシーソーのようにバランスをとりあいながら、体内のあらゆる機能をコントロールしています。
過度の緊張状態になると、交感神経の働きが優勢になり、体が震える、顔が赤くなる、呼吸が早くなる、心拍が高まる、汗をかくなどの反応が体に表れます。このようなとき、気づかないうちに呼吸が浅くなり、吸う息の量に対して吐く量が少ない状態になっています。それによって心拍数が上がり、緊張度合いがさらに高まってしまうのです。
自律神経の働きは、私たちの意思ではコントロールすることができないと言われていますが、実は呼吸と自律神経には深い関係性があることがわかっています。
呼吸は、私たちが意識をして、スピードや量を調節することができます。つまり、私たちは、呼吸を通じて、自分の意思を自律神経に対して働きかけることができるというわけです。
緊張を感じたときには、息を「吐く」ことに意識を向け、細く長く吐いてみましょう。そうすることで副交感神経の働きが優位になり、緊張状態を脱することができるのです。
たとえば、息を吸うときにお腹を膨らませ、吐くときにお腹をへこませる「腹式呼吸」を行うと、横隔膜が上下動して、副交感神経が優位なリラックス状態をつくることができます。
「あがり症」だったG君は、プラスの言葉の出力や腹式呼吸法などの対策法を学び、日頃から緊張時に実践することを習慣化してみたところ、腹式呼吸が本人にとって最も心を落ち着かせる方法であることがわかりました。呼吸のスピード、呼吸量など、腹式呼吸を行うタイミングも含めて試し、対処法を極めたことで、あがり症を見事に克服し、大事な面接にも自信を持って臨めるようになったそうです。
「一点を見つめる」ことで自分から意識をそらす
緊張状態をコントロールする方法は、まだあります。
その方法の一つが、一点を見つめる「一点凝視法」と呼ばれる手法です。
私たちは不安を抱えたり、緊張をしたりすると、目線が微細に揺れるそうです。そうなったときは目線を固定することで、脳にリラックスした状態だという信号を送ることができます。
たとえば、面接試験時に、ひどく緊張したとしましょう。そのときに、正面に座っている面接官が着ているスーツのボタン、あるいは眼鏡の中心部分などを3秒ほどじっと見つめてみます。すると、目線の揺れが止まるので、脳はリラックス状態だと認識し、緊張状態から解放されるわけです。
この一点凝視法は、見方を変えると、「自分」に向いていた意識をそらすことと言えます。緊張や不安を抱えている状態というのは、意識が「自分」に向いています。自分に向いているからこそ緊張を感じるわけです。よって、その意識を「自分」からそらせば緊張感から逃れることができるわけです。
塾高の選手たちも、2023年夏の甲子園で、意識を「自分」からそらすことを実践していました。
3回戦の広陵高校(広島県)戦。大会屈指の強豪校との対戦は、3対3のまま9回が終了し、延長戦に突入しました。タイブレークに入った初回、10回表に3点を奪い、6対3と勝ち越した塾高ですが、その裏に二死満塁の大ピンチを迎えます。ホームランが出れば逆転サヨナラ。不安と緊張が高まる場面です。
そのとき、伝令役の安達英輝選手がマウンドに向かい、グラウンドの選手たちにこう呼びかけました。
「みんなで青空、見上げてみようぜ!」
再び守備位置についた塾高ナインは、見事に次のバッターを打ち取り、広陵との大接戦を制しました。
ピンチを迎えた状態では、誰もが「何とかしなければと……」と内面に意識を向けがちになります。安達選手の一言が、その意識を「青空=自分の外」へと開放し、気持ちを落ち着かせる役割を果たしたのです。
かつてこの一点凝視法を採り入れていたのが、1980年代から90 年代にかけてプロ野球・読売ジャイアンツのエースの一人として活躍した桑田真澄さんです。
桑田さんは現役時代、ピンチを迎えたとき、マウンド上でボールを手にとって見つめブツブツつぶやいていました。試合中にその様子を見せ、勝ち投手となった翌日のスポーツ誌には「桑田、またブツブツ投法」などといった見出しとともに、そのシーンの写真が載ったものです。
実はそのとき、桑田さんはボールの縫い目を見つめながら自分の気持ちを高める言葉を発していたそうです。それによって「今、自分は不安じゃない」という信号を脳に送り、自分の緊張状態をコントロールしていたのです。