HEALTH

2026.08.23

未発達の“第3の歯”を生やす! 未来の歯の再生治療「歯生え薬」の現在地

もし歯を失っても、また生やせばいい。京大発スタートアップ企業が2030年の実用化を目指す「薬で歯を再生する」歯科医療の新潮流に迫った。【特集 歯こそ最強のビジネス戦略】

喜早ほのか氏と高橋克氏

潜在的に人間の顎の骨の奥深くには、未発達の「第3の歯」が存在している

歯科医療の常識を覆す最先端の治療が今、日本から世界へ発信されようとしている。京都大学発のスタートアップ企業、トレジェムバイオファーマが開発を進める世界初の「歯生え薬」だ。歯の成長を止めるタンパク質の働きを制御する抗体(薬)を投与することで、人間が本来持っている「歯の芽」を呼び覚まして再生させる。

同社はすでに成人男性を対象とした第1段階の治験を終え、安全性を確認。現在は生まれつき歯が足りない「先天性無歯症」の子供(2~12歳)たちを対象とした第2段階の治験(効果の検証)へと歩みを進めている。

歯科医師であり、医学博士として同社を率いる喜早ほのか代表取締役社長に、開発の経緯と、この新薬がもたらす歯科医療の未来について聞いた。

「大人の永久歯は、一度失えば二度と生えてきません。これが現代の常識でした。サメやワニといった一部の脊椎動物は、生涯にわたって何度も歯が生え変わりますが、人間を含む哺乳類の多くは幼少期の乳歯と、その後に生え変わる永久歯の2回しか歯が生えません。永久歯を失った場合、入れ歯やインプラント治療を選択することになります」

この常識に風穴を開けたのが、同社の高橋克CTOが30年以上にわたり積み重ねてきた分子生物学・歯科口腔外科領域の研究だった。高橋氏は近年の研究結果の解析により、人間の顎の骨の中には、永久歯がすべて生え揃ったその奥深くに、未発達のまま眠っている「第3の歯の芽(歯胚)」が潜在的に存在していることを確信していた。

「人間は進化の過程で、3回目の歯を萌出(ほうしゅつ)させるシグナルを止めただけ。実際には今も体内に芽が残っています。この『第3の歯の芽』に外から適切な刺激を与え、ブレーキを解除してやれば、自力で再生できる。高橋が提唱したこの仮説が開発のスタートでした」

薬の投与で歯を生やす。マウスでの実験に成功し、次はヒトへの臨床応用へ

研究が決定的な転機を迎えたのは2007年。高橋氏らの研究グループは、生まれつき通常よりも歯の数が多い特殊なマウスを解析していた。

USAG-1遺伝子を欠損(ノックアウト)させたマウスを解析した結果、USAG-1タンパク質が歯の発生を抑制する役割を持つことが明らかになった。

このUSAG-1こそが、歯の成長にブレーキをかける“ストッパー”の役割を果たしていた。ならば、このUSAG-1の働きを阻害する薬(抗体)を開発すれば、眠っている歯の芽のブレーキが外れ、自然と歯が生えてくるのではないか。この革新的なロジックをもとに、2015年からは日本医療研究開発機構(AMED)の補助金を受け、ヒトへの応用研究が加速した。当時、大学院生として高橋氏のラボにいたのが、喜早社長である。

「私自身も中学生の時に顎の骨の病気を患い、大切な歯を失った経験がありました。歯を再生させる先端医療に携わりたい思いがあり、歯科医師を目指したんです。高橋の研究を知ってラボの門を叩きました」

しかし、常識を覆す世界初への挑戦は平坦ではなかった。薬の開発は一筋縄ではいかず、明確な成果が出ないまま歳月が流れた。そして2018年3月、「これ以上の進展は見込めない」として、補助金打ち切りという最悪の決定が下される。資金が途絶えれば研究の中止は避けられない。万策尽きたかと思われた、まさにその翌月のことだった。

「誰もいない週末の研究室で、開発中だった薬『抗USAG-1抗体』を投与したマウスの口内を緊張しながら確認しました。するとそこに、真っ白な歯がしっかり生えているのが見えたんです。驚きのあまり、高橋のもとへ猛ダッシュし、『先生、生えてます!』と叫んでいました」

この瞬間、世界で初めて「薬の投与だけで歯が生える」という事実が証明されたのだ。マウスでの成功を経て、ヒトへの臨床応用へ向けて動きだす。しかし、人間の身体に投与できる極めて高い安全基準を満たした治験薬を製造するためには、最低でも数億円から十数億円という巨額の資金が必要となる。打開策を求め、喜早社長らは国内の主要な大手製薬企業に相談した。しかし、前向きな反応は少なかった。

「どこの会社に行っても、『歯科独自の医療用医薬品は前例がない』『うちは歯科領域の開発候補品は扱っていない』と門前払いされました。命に直接関わらない歯の欠損は、製薬ビジネスのなかでは優先度が高い領域ではありませんでした」

大企業が動かないのであれば、自分たちで資金を調達し、開発の全責任を負うしかない。

「私たちの本気度を知ってもらうためにも、起業するしか道はないと思いました」

2020年5月、京都大学のベンチャー支援プログラムに応募し、出資を取り付ける形で、喜早氏が代表取締役に就任。トレジェムバイオファーマ社を設立した。

高い安全性と簡便性が要。2030年の実用化へ、未来の歯科医療につなぐ

ここで、同社が開発した「抗USAG-1抗体(TRG035)」の科学的メカニズムについて、改めて明確にしておきたい。

「簡単に言うと、歯の芽の成長スイッチを押す薬です。歯の芽が成長していくプロセスのなかでUSAG-1が過剰に働き、成長スイッチをオフにします。私たちの薬は、このUSAG-1に結合し、その働きを一時的にシャットダウンします。ブレーキを外されて目覚めた歯の芽は、人間が持つ生命力によって、歯の頭(歯冠)を形成して根っこを伸ばし、自然な歯として生えることが期待できます」

体内にもともとある、正しい位置に存在する芽にしか作用しないため極めて安全。かつ静脈点滴という簡便な方法で投与できる点が、これまでの再生医療の常識を覆すことになった。

外部からの支援や資金調達がかなった現在は、他の専門機関とも連携しながら開発を進めている。安全性が確認された薬を、点滴によって1回のみ投与し、8ヵ月後に画像診断を行う。現時点で高橋氏が主任部長を務める大阪市の北野病院をはじめ数カ所の研究機関とともに第2フェーズの治験など、さらなる開発を進めている。

研究が進み、治験の効果が証明された暁には、先天性無歯症の患者を対象に、2030年の実用化を目指す。将来的には一般の大人が虫歯や歯周病、事故などで歯を失った際に「第3の歯」を再生させる投与薬の開発へとつなげ、世界の歯科医療の未来を変えるために歩みを進めるという。

「おかげさまで、世界の歯科界からも注目を集め、新たな治療の可能性として期待されています。現時点で米国での治験申請の準備も進んでいます」

世界も注目する先端研究は歯を失くさない“守り”から予防して生やす“攻め”へ

喜早氏に今後の展望を聞いた。

「私たちが目指すのは、ひとつの新薬を開発してゴールという近視眼的なビジネスではありません。世界的にもレベルが高い日本の歯科研究の知財を活かし、将来的には歯科医療全体の底上げを牽引する企業になりたいと考えています。これまでの歯科治療は悪くなった永久歯をいかに持たせるかという“守り”の医療でした。私たちが提案したいのは、そもそも疾病リスクを極限まで下げる先進的な予防ケアと、万が一失ったとしても自身の歯を再生できる“攻め”の医療です。まずは先天性無歯症の子供たちに、一刻も早く薬を届けること、それが私たちのミッションです。そして未来、『歯を失うことが怖くない社会の実現』を目指します」

Toregem BioPharma
京都大学発のバイオベンチャー企業として、2020年5月に設立。取締役CTO髙橋克氏が京都大学大学院医学研究科口腔外科学准教授時代に手がけた研究成果をもとに、歯の再生治療薬の研究開発・上市を目的に起業。歯科医師で医学博士の喜早ほのか氏が代表取締役社長を務める。「先天性無歯症」の治療薬の2030年実用化を目指す。

喜早ほのか氏
喜早ほのか/Honoka Kiso
歯科医師、医学博士、MBA。京都市生まれ。2006年大阪歯科大学卒業。2008年京都大学大学院医学研究科博士課程に入学し、高橋氏のラボに入所。以来、歯の再生研究に取り組む。2020年のトレジェムバイオファーマ社の起業にともない、代表取締役に就任した。
高橋克氏
高橋克/Katsu Takahashi
歯科医師、医学博士。京都市生まれ。徳島大学歯学部卒業。1995年に京都大学大学院医学研究科を修了し、米国での研究員を経て、京都大学准教授などを歴任。2020年にトレジェムバイオファーマ取締役CTOに就任、2021年からは北野病院歯科口腔外科主任部長も務める。

【特集 歯こそ最強のビジネス戦略】

この記事はGOETHE 2026年9月号「総力特集:歯こそ最強のビジネス戦略」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら

TEXT=中井シノブ ILLUSTRATION=東海林巨樹

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