春原直人の絵に特に興味を持ったのはこのコラムの担当編集者だった。僕も2023年のポーラ美術館「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画」で彼の絵を見た時、もしかしたら彼のような作家が出現し、確かに日本画は「革新」しているのかもしれないと感じたものだ。

山を描く若き日本画家の、新たなる模索
先日、都内の「TOKASレジデンシー」に滞在中の彼を訪ねて話を聞いた。
彼にとって、山に登ること、描くこと、そして大学の授業がきっかけで始めた和太鼓を叩くことの根底にあるのは、現象学*だったという話も深掘りしたかったけれど、ここでは特に今回の東京でのリサーチと制作の話。
*事物の存在や意味を、それが意識に現れる様子からとらえる哲学的学問。ドイツの哲学者エドムント・フッサール(1859-1938)によって提唱された

1996年長野県生まれ。東北芸術工科大学大学院修士課程芸術文化専攻日本画領域 修了。山を主題に、登山(フィールドワーク)により蓄積された体感(リズム)を共鳴(リミックス)させ、新たな絵画のあり方、存在の可能性を模索する。写生を基に山、岩を墨・青墨・岩絵具でそのテクスチュアを描くと同時に、実際の現場と自身の思考の場が重なるような内面的な世界を描く。
――今回、このレジデンスで取り組んでいるのはどんな作品でしょうか。
平面作品を新たにやるというより、スタイルを模索している新しいシリーズをつくろうとしているところです。スキンシリーズっていうのを今つくろうとしています。これまでやってきたことを「山の作品」って自分でも言ってましたけど、実はとても違和感があって。山という対象を山という言葉で片づけたくないというのがずっとあって、山に代わる言葉を探してたんです。
というのも、僕が山に登り、そこで体感したものをまたアトリエに持って帰ってきて描くことをやっているうちに“描く”という行為と“登る”という行為をくっつけること、登ったからこそ描ける線だったり、塊みたいなものを作ること、そういう感覚みたいなところにずっと興味があったんです。山の形とかはあまり重要じゃなくて、登った先の寒いだとか息遣いみたいなものをそのまま画面の中でまたつくり直すというか。

2023年にポーラ美術館で開催された「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画」の展示風景。 写真:横田勇吾

そうしているうちに、これは果たして山なんだろうかと。むしろ自分の身体性の集まりだから、山というより人みたいだなと途中で思いはじめて。で、そういうことを悶々と考えて、山って言いたくない、ほかに言葉ないかなって探してるうちに、「山肌」っていう言葉に出合いました。
山肌ってすごく変な言葉ですよね。山に対して人の肌っていうものをくっつける。肌って「絵肌」とかでも使ったりするんですけど、そういう表現って英語ではあんまりないような気がします。
まだリサーチ不足かもしれないですけど、英語だとどうしても「surface」になっちゃうんですよね。山肌でもmountain surface。肌っていう言葉ってとても日本的な表現なのかなとか、気になっていて。それで、「山肌シリーズ」みたいなものをつくりはじめました。
さらにそこから「山」を取っ払って、もっと広い言い方のできる「肌」を使うようになりました。その「肌シリーズ」みたいなものを最近はつくろうとしてます。
この「スキン」っていう言葉も今後、また別の言葉に出合うかもしれない。表現として、直接的すぎるかもしれないですし。ただ、東京で肌の作品について考えるっていうのが今回の目的でした。
――東京のシリーズのリサーチというのはどういうふうに?
山に対して山登りっていうアプローチを取ってたように、東京でも同じようなことをやろうと思い、東京を歩くことになったんです。山の肌とは結局なんだったんだろうかってまず考えて。山の肌っていうのは、僕がイメージするような山肌とかではなくて、もしかしたら登っていたことが、そもそも肌に触れてたことになるんじゃないかと。
自分の肌と山に対しての関係というのが、「表面」対「表面」ではあるけれども、山の中に入っていって登ってたこと自体が肌っていう言い方ができないかなと。物質の肌というより、概念的な肌ですね。
東京という場所を一個の山みたいにしたときに、自分が歩くことで東京に触れている状態にして、その中でどういうものが見えてくるんだろう、みたいなことをずっとやっていました。
「山肌シリーズ」はモノクロームの山の絵がベースになっていて、最近新しく描いたものにはめちゃくちゃ色が入ってたりするんですけど。でも山から派生してて、いままでの作品スタイルでできてはいるんです。
ただ、東京の作品で考えてるのは、GPSと写真とドローイング。いろんな方向から東京を観察して、何が出てくるんだろう、みたいなことをまさにやってる段階という感じですね。
そういう感じでどんどん広げていく。とりあえずこのレジデンス期間中に、東京23区は全部歩こうと決めました。(スマホを見せながら)青い線が歩いたところなんですけど、基本的にこのレジデンスからスタートして、3時間か6時間くらい電車を使わずに歩いて。これを、このGPSログデータを3Dモデリングしたりして作品をつくろうとしています。
――立体作品ですか?
立体というか、このモニターの中で完結するイメージです。それをインスタレーションでリアルに持ってくるとかではないんですけど。デジタル作品に近いものを考えてます。過去に1度、上野バージョンをやったことがあるんです。2021年かな。上野公園を一周してGPSログを使って、それを骨組みみたいにして3Dで起こしました。
――人間3Dスキャナーみたいなことをやってるんですね。上野の山をスキャンしてるような。
そうですね。東京という場所を実際に歩いた体感としては自分の中に入っているけど、データとして残ってるものも同時に取ってある。そのギャップがけっこう僕はおもしろいと感じています。
また、データはデータで自分でつくり直して、新しい東京の大地みたいなのをつくろうとも考えています。これまでにもデータを使った作品はつくっていたんです。ペインティングを際立たせるために。ペインティングってすごく主観的な行為の集積だと思うので、そこにデータがポンってあったら、コントラストが生まれないかなという実験で。
そういう実際のデータと自分が歩いたギャップの中で生まれる新しい発見みたいなものに興味が高まってきて。それで、こんなことやってる感じですね。
――(山形)蔵王の山を描いたときも、行く前は山を引いた目で見てたけど、実際登ったことで、ディテールとか山の肌みたいなもの、登ったからこそ見えるものが投影できるようになったと以前、お話されていました。それでああいう生き生きとした山の表情が出る作品が増えたのかと思いましたが、この東京も似たようなアプローチですね。
僕は中途半端にしか東京を知らなかった。これまで、長期で滞在したことがなかったんです。意外と渋谷がこんな下の方にあったんだとか、逆に六本木って上の方だなとか知らなかった。
それも感覚的なものじゃないですか。自分の中でこれがここにあって、こっちの方向に行くためにはこの電車を使おうとか、それってやっぱり外部から見るとすごく特殊というか。僕が山に登ってて、こっちの方向に行けばいいっていうのがわかるような、そういう感覚みたいなものがおもしろいなって。
なので実際、歩き回ってみると発見がある。その細部をどう作品にするか。東京という街って、不思議な場所ですよね。建物とか人工物がたくさんあって、でも人工のものだから感覚として何も受け取れないとかじゃなくて、むしろ本当に山の中に入ってるときと同じような感覚で東京を巡れてるっていうのがけっこう興味深いなと思っています。

写真:アートフロントギャラリー
3Dとか、身体感覚とか、現象学とか一見、日本画からはかなり遠そうというか、結びつきそうもないことをやっていることで日本画に革新をもたらしてくれるのだろう。これはかなり楽しみになってきた。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。