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2024.11.03

聴こえない親に、いじめられていることを相談できなかった理由

ろうの両親の元に生まれ「コーダ(聴こえる子ども)」として育った、作家でありエッセイストである五十嵐大さん。小さな港町で家族に愛され健やかに育つも、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づき──。誰も知らない場所でふつうに生きたいと、逃げるように向かった東京で五十嵐さんが知った本当の幸せとは? 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』から一部を抜粋して紹介します。 ※画像はイメージです

ぼくが通っている中学校ではいじめが起きていた。それに気づいたのは入学してすぐの頃だ。同じ小学校だった女の子が一部の女子から無視されているらしい、という噂を耳にした。いじめの主犯格は、ぼくらとは異なる小学校に通っていた生徒たち。制服を着崩し、髪の毛を茶色く染めている彼らは、見るからに近寄りがたい。

関わらない方がいい。反射的にそう思った。彼らに目をつけられたら終わりだ。波風を立てないよう、出来る限り目立たず静かに生きることを心がけた。でも、どんなに目立っていなくたって、彼らのなかに「いじめる理由」が生まれれば、あっという間に標的にされてしまう。一年生の冬、ぼくはいじめのターゲットにされてしまった。

最初は些細なことだった。廊下ですれ違いざまにからかわれる。もう覚えていないけれど、「なよなよしてんなよ」とか「うざい」とか、そんなことを言われた気がする。そのうち、根も葉もない噂を流されるようになった。「五十嵐は何組の◯◯が好きらしい」とかその程度のもの。相手にしても無駄なので、それらを無視して振る舞っていた。

すると、ぼくが応えないのが面白くなかったのか、放課後に呼び出されるようになった。掃除をしていると、「後で何組で待ってるから」と胸ぐらを摑まれる。もちろん、ぼくみたいにカーストの最底辺にいるような生徒に拒否権はない。むしろ、行かなければ翌日なにをされるかわからない。

指定された教室へ向かうと、ぼくをいじめていた奴らが待ち構えている。ただならぬ雰囲気を察知して、大人しい生徒たちはそそくさと出て行ってしまう。何人かに取り囲まれる。

「お前さ、態度よくないと思うよ?」
「ビクビクしてんなよ」
「いっつも暗くてキモいんだけど」

そんなことを言われても、どうしたらいいのか。ただひたすらヘラヘラ笑って、心を殺した。これくらい大丈夫。大丈夫だから。

そこまでされても学校を休んだりはしなかった。いじめに負けてしまうことがかっこ悪いと思っていたし、なにより、母になんと説明したらいいのかわからなかったからだ。

手話をきちんと学ばなかったぼくにとって、それは片言の英語みたいなもの。不十分な語彙で自分が置かれている状況を正確に伝えるなんて、無理な話だ。第一、ぼくがいじめられていることを知ったら、母はきっと自分を責めるだろう。自分の耳が聴こえないから、障害者の子どもだから、この子はいじめられている。そう受け止めてしまうに違いないと思った。母を守るために、耐えることを選んだ。

でも、耐えていたって状況はなにも変わらない。いや、もしかしたら、このまま我慢し続けていれば、彼らもやがては飽きてターゲットを変えるかもしれない。ただ、それがいつになるかはわからないし、卒業するまでこのままかもしれない。それまで心がもつだろうか。

いじめられるようになって、およそ三カ月が過ぎた頃だ。決意が固まった。このままじゃダメだ。誰にも頼れないのなら、自分でどうにかするしかないじゃないか。

いつものように呼び出され、彼らが待つ放課後の教室へと向かった。机の上に腰掛けた彼らが、教室に踏み入ったぼくに鋭い視線をぶつけてくる。

「お前、うぜえんだよ」

いつもいつも変わらない、脅し文句。この頃には彼らの罵声(ばせい)にも慣れていた。もう別に怖くない、と自分に言い聞かせた。

「……うざいのは、どっちだよ!」

反論すると、一斉に驚いた表情を浮かべる。いままで踏みつけていた虫けらに嚙(か)みつかれ、呆気(あっけ)に取られているようだった。

「そうやって群れていないとなにもできないくせに! ひとりじゃなにもできないくせに!」

半ば興奮状態だったぼくは、一気にまくし立てた。いままで彼らにされてきたことを全否定し、怒りと軽蔑を込め、思いの丈(たけ)を吐き出した。そして、「これ以上ぼくに関わらないで!」と吐き捨てると、そのまま教室から駆け出した。

教科書の入ったカバンがとても重かったけれど、途中で立ち止まれなかった。振り向いたら後ろに彼らがいる気がして、止まればすぐに捕まってしまう気がして、夢中で自宅まで走った。呼吸が乱れ、涙が出てくる。カバンの重みでストラップが肩に食い込む。痛い。それでも必死に走り続けた。

自宅に着くと、母がぼくを見るなり肝を潰したような顔をした。

──どうしたの!? 大丈夫?
──なんでもない、大丈夫だから。
──なんでもないことないでしょ?
──大丈夫だから!

顔をグシャグシャにしていて、なにが大丈夫なのだろう。でも、それしか言えなかった。

心配する母を振り切って自室にこもると、ぼくは声をあげて泣いた。

本当は苦しいのに、怖いのに、それをうまく伝えられない。そのもどかしさに身を切られそうになりながら、制服の袖口で何度も涙を拭った。この泣き声も母には届かないんだと思うと、余計に涙が溢れた。

この記事は幻冬舎plusからの転載です。
連載:ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
五十嵐大

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