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2024.11.01
「親が障害者だから、僕を犯人扱いするのですか?」その場面を目撃した母親は──
ろうの両親の元に生まれ「コーダ(聴こえる子ども)」として育った、作家でありエッセイストである五十嵐大さん。小さな港町で家族に愛され健やかに育つも、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づき──。誰も知らない場所でふつうに生きたいと、逃げるように向かった東京で五十嵐さんが知った本当の幸せとは? 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』から一部を抜粋して紹介します。 ※画像はイメージです
手話は変。クラスメイトが言ったひとことは、心に深く根を張った。外で母と手話を使って会話しようとすると、手が止まる。どうしても周囲の人の視線が気になってしまう。
おかしいと思われているのではないか。笑われているのではないか。一度湧いた疑念は、時間とともにどんどん膨らんでいく。比例するように、母とうまく会話できなくなっていった。結局、“手話クラブ”は一年で辞めてしまった。手話に関わることが嫌になってしまったのだ。
そして、その頃から、障害者に対する差別や偏見というものに敏感になっていった。目を凝らしてみると、世のなかには想像以上にそれらが蔓延(はびこ)っていることに気づく。なかでも忘れられないのが、小学六年生になったときに遭遇した出来事だった。
家の近所にはひとり暮らしのお婆さんがいた。ぼくは彼女ととても仲がよく、しょっちゅう遊びに行っていた。どうやら彼女は親族と疎遠になっているらしい。遊びに行くと、まるでぼくを孫のように招き入れてくれて、お菓子やジュースを振る舞ってくれた。
彼女の庭にはさまざまな草花が植えられていて、季節ごとの移り変わりが美しかった。花に水をやるときのコツや、一つひとつの花言葉を教えてくれた。
授業が終わり、ひとりで自宅に向かっていたときのことだ。お婆さんの家の前を通りかかると、彼女と隣に住むMさんが話し込んでいる様子が目に飛び込んできた。お婆さんはなにやら困っている。
なにがあったんだろう。そう訝(いぶか)しんでいると、ぼくに気づいたMさんが声をあげた。
「あんたが犯人でしょう」
突然、大人に詰問(きつもん)され、その場に立ちすくんでしまう。Mさんは忌々(いまいま)しげな表情を浮かべ、ぼくを睨んでいる。隣で呆然としているお婆さんは、とても哀しそうだ。
その足元に目をやると、色とりどりの花弁が散っていた。どうやら、お婆さんが大切にしていた花壇が踏み荒らされてしまったらしい。
Mさんは、その犯人をぼくだと決めつけているようだった。
「知りません。ぼくじゃないです」
「そんなわけない。あんたでしょう」
「違います」
いくら否定しても押し問答だった。仲良しのお婆さんの花壇を荒らすわけがない。でも、信じてもらえない。そしてMさんは続けた。
「どうせこの子がやったんですよ。親が障害者だから、仕方ないかもしれないけど」
Mさんはいつもそうだった。「障害者の子どもだから」という理由で、常に差別的な眼差しを向けてくる人だった。
Mさんにはぼくと同世代のふたりの子どもがいた。でも、彼らは決してぼくと仲良くしようとはしなかった。近所の子どもたちが集まって遊んでいても、必ずぼくはのけ者にされてしまう。
理由はわかっていた。ぼくが障害者の子どもだからだ。Mさんの差別的な思想は、ふたりの子どもにも浸透していた。
それでも、いつも我慢していた。歯向かったって意味がない。
ただし、このときばかりは違う。やってもいないことの犯人にされるなんて、耐えられない。
「ほら、早く謝りなさいよ」
Mさんにそう言われた瞬間、なにかが音を立てて崩れてしまった。泣いちゃいけないと思っても、次から次へと涙がこぼれてくる。そして、堰止(せきと)められていた感情が溢れ出した。
「ぼくの両親が障害者だから、こうやって意地悪するんですか?」
ぼくの言葉を聞き、Mさんは顔を強張(こわば)らせる。
「誰もそんなこと言ってないでしょう」
いくらMさんが否定しても、納得できない。三十分ほど反論を続けた。
すると、Mさんがバツの悪そうな表情を浮かべた。視線の先を追うと、そこには母が立っていた。どうやら近所の人が母を呼んだようだった。
母はMさんに不信の目を向けている。Mさんが障害者に偏見を持っていることは母も気づいていた。そんな人の前で息子が泣いているのだ。なにがあったのか、一目瞭然だったのだろう。
その場に母が来たことで、ぼくはすべてを諦めようとした。気弱な母から「もういいから、おうちに帰ろう」と言われるに違いないと思ったのだ。
けれど、そうではなかった。母はぼくの前に立ち、毅然(きぜん)と言った。
「わたしの耳が聴こえないから、わたしが障害者だから、息子をいじめるの?」
このとき母が発した声はうまく音にならなかった。それでも「いじめ」という単語だけが、はっきりと響いた。大人しいはずの母に反論され、Mさんが狼狽しているのがわかる。
Mさんはああでもないこうでもないと言い訳を並べていた。母はそれを真っ直ぐ見つめている。そして、母はお婆さんに「騒がせてごめんなさい」と頭を下げ、ぼくの手を引いた。
その手はとても熱かった。汗が滲んでいて、母の鼓動までも伝わってくるようだ。見上げた母の瞳には、怒りと哀しみが滲んでいるようだった。
それから数日後、Mさんが謝罪に来たという。それ以降、道端ですれ違うと、挨拶もされるようになった。その豹変ぶりが理解できなかったものの、母はうれしそうに会釈を返していた。
大人になってから知ったことだけれど、その後、母とMさんとは仲が深まったという。いまではお互いの家を行き来する茶飲み友達として付き合っているらしい。
その事実を知ったとき、思わず「あのときのこと、Mさんにされたこと、忘れたの?」と言ってしまった。すると母は「いつまで昔のことを言ってるの」ととぼけたように笑い飛ばした。
自分に偏見の眼差しを向けてきた他者を許す。それは決して容易なことではない。それなのに、母はどうしてそんなことができるのだろう。そのときのぼくにはうまく理解できなかった。
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