NSC(吉本総合芸能学院)で10年以上人気講師1位を獲得し続ける桝本壮志さんが、縁の深い芸人・クリエイターと語り合う本連載。今回は、25年以上の付き合いになるピース・又吉直樹さんが登場。芸人になった当初の姿や、ピースが解散危機に直面した食事会まで、2人だけが語れる記憶を振り返る。【1回目】

19歳の“まったん”との出会い、舞台で垣間見えた異才
桝本 今日は「又吉さん」じゃなく、普段のように「まったん」と呼ばせてください。まったんは自著や対談で、自身について色んなことを書き、語ってきた人やから、今回は僕しか知らないところを中心に話そうかなと。
又吉 桝本さんに初めて会ったのは僕が19歳か20歳の頃ですよね。
桝本 うん。初めてまったんを見たのは、当時は西大井にあったNSC。ライブの稽古に行ったら、なぜか先輩芸人に、三角コーンの突端に座らされていたの。
又吉 覚えてないです……。線香花火(又吉の以前のコンビ)時代ですよね。
桝本 そう。でも、ちゃんと話したのは演劇のときかな?
又吉 はい。桝本さん作演の。
桝本 いま振り返ると芥川賞作家に申し訳ないんですけど、僕の舞台に出てくれていたんですよね。吉本興業の方に「宝塚の人をマネジメントすることになったから、宝塚っぽいものを書いてくれ」と言われて、宝塚とお笑いを融合した舞台を書いて(笑)。
又吉 すごくありがたかった、完全にボケ役だったので。
桝本 当時からただならぬ雰囲気を感じていたんでしょうね。他の人たちはガッチリした台本があるんですけど、まったんだけフリーだったから。いまだに覚えてるのは、舞台の2日目か3日目に「桝本さん、僕このホン(脚本)好きですわ」とまったんが言ってくれたこと。僕のお守りみたいな言葉になってます。
又吉 その後で『笑いの巣』がありましたよね。
桝本 日本テレビ深夜のコント番組ですね(2000年~2001年放送)。バナナマン、おぎやはぎ、ラーメンズ、底ぬけAIR-LINE、アンタッチャブル、スピードワゴンと、錚々たるメンバーのなかに、まったんの線香花火がいた。あのとき芸歴はどれぐらい?
又吉 2年目ぐらいですかね。
桝本 異例の大抜擢やったよね。線香花火はピースとはまた違う、幼なじみの2人ならではのサンパチマイクを挟んだ火花のような掛け合いがあった。でも、その後に僕が担当した3組(次長課長・ライセンス・線香花火)によるトークライブの途中で、線香花火が解散することになって‥‥‥。
又吉 あの頃を知ってくださっているのは貴重ですよね。

1980年大阪府寝屋川市生まれ。NSC東京校5期。前コンビでの活動を経て2003年に綾部祐二とお笑いコンビ「ピース」を結成。文筆業では2015年『火花』で第153回芥川賞受賞。近著にヨシタケ シンスケとの共著『本でした』など。2026年1月に新作小説を刊行予定。
線香花火が消えた日――芸人を辞めようと考えた“岐路”
桝本 バーっと出会いからの経歴を喋ってきたけど、初対面の僕はどんな印象でした?
又吉 接し方は今と全く変わってないですね。僕は桝本さんの5年くらい後輩なんですけど、「お笑いに対して真っ直ぐな方なんやな」と感じてました。『笑いの巣』では(作家として参加していた)桝本さんのコントがいつも採用されてましたけど、ディレクターの方にダメ出しをされたときに本気で悔しがっていた姿を見てたので。
桝本 若気の至りですね。大家になられる又吉先生を前に、舞台の打ち上げで偉そうなこと喋ってもいたし。
又吉 打ち上げ、覚えてますよ。僕、当時はまだ芸人ノリに慣れてなくて、打ち上げが苦手で、途中で1時間くらい散歩で抜けてるんですよね。けど、みんな酔うてるから気づいてなくて。
桝本 それは全然気づかなかった(笑)。線香花火の相方は元気なの?
又吉 元気です。今は音楽イベントとか文筆業、編集業なんかをやっていて、ときどき仕事で会うこともあります。
桝本 あなた、人を大切にするよね。
又吉 でも、解散した後はしばらく会えなくて、再会する時もメチャクチャ恥ずかしかったですね。自分から「今日何してんの?」ってメール送ったら「誰ですか?」って返信がきて。俺の連絡先を登録してなかったんですよ。
桝本 元相方なのに(笑)。
又吉 結局、その日に会ってくれたんですけどね。
桝本 線香花火を解散したとき、まったんは芸人辞めようとしてたよね。
又吉 「原と一緒にやりたい」という思いが強かったんで、それがアカンってなった時は、僕からしたら転職するような感覚でした。極端ですけど、「京都でお坊さんになろうかな」とかも思ってましたし。 それを綾部に相談したら「早いんちゃうか?」みたいに言われて、徐々に気持ちが変わって。
桝本 一番強く止めてくれたのが綾部くんだったんだよね。
又吉 そうです。それで相方になって。
桝本 僕はピースともいろいろ縁があって、綾部とジャンポケ太田のトークライブの作家もしていたんですよ。
又吉 え、そうだったんですか?
桝本 うん、綾部が会場から気に入った熟女を壇上に上げるくだらないライブでした(笑)。

1975年広島県生まれ。放送作家として多数の番組を担当。タレント養成所・吉本総合芸能学院(NSC)および、よしもとクリエイティブアカデミー(YCA)の講師。2連覇した令和ロマンをはじめ、多くの教え子をM-1決勝に輩出している。新著『時間と自信を奪う人とは距離を置く』が絶賛発売中! 桝本壮志へのお悩み相談はコチラまで。
ピース解散危機の夜、食卓でぶつかった“すれ違いの正体”
桝本 ピースの仲がこじれてしまったとき、僕が仲裁したこともあったね。
又吉 覚えてます。
桝本 ピースと同期の作家から「あの2人、メッチャ才能あるのに仲悪くて解散の危機なんです。今度ピースとメシ食うときに桝本さんも来てくれません?」と言われて、僕もその食事に参加したんです。そこでその作家が「いまお互いをどう思ってんねん」と2人に話させて。
又吉 あの頃は一番ギクシャクしている時期でしたね。僕はコンビという強い幻想を抱いてるタイプで、「お互いが助け合って上を目指すもの」と思ってたんです。でも当時は「コンビの中でどっちが先に売れるか」みたいに切磋琢磨して、どんどん面白くなっていく人たちが沢山いたじゃないですか。
桝本 うん、いっぱいいた。
又吉 それを僕は寂しく感じてたんですよね。「2人でやってる意味があんまりないな」みたいに思っちゃって。でも綾部の方が正統派の芸人の考え方だと思うんですよ。
桝本 まったんは「コンビとは両輪で前進していくもの」みたいな考えだったね。
又吉 そうですね。前のコンビ(線香花火)が同級生でしたし。あと線香花火では、僕がボケたらツッコミがきて、話を広げてくれてさらにボケを重ねて……って漫才をやってたのが、綾部はピン芸人の時代もあるし、1人で自立できる芸人なんです。
だから僕がボケても「じゃあ次は俺」みたいな感じでボケを重ねられて、「綾部は自分でボケて自分で落とせるから、こっちにフリが来ないってあんねや」と思うこともあって。そうやって「お互いが頑張って売れていこう」っていう綾部のスタンスと僕のスタンスが一番ズレていて、「全部が何か上手くいかない」と感じてる時期やと思うんですよね。
桝本 うんうん、確かにそう言ってたね。
又吉 僕もあの食事のとき、初めてそういう話をしたんですよね。ただ僕は、綾部の特性は分かってるんですよ。僕よりプレゼン能力が高いから、「考えるのは自分でも、それをうまく伝えるのは綾部だな」と思って任せてる部分もあったし。でも、僕が思ってるのと違う伝わり方をすることが結構あったんですよね。あの桝本さんがおる会でも、綾部が雑誌の取材の時みたいにどんどん1人で喋って……。
桝本 そうね、まず綾部がとうとうと喋り始めたんだよね。
又吉 桝本さんも来てくれてるし、喋り方を間違ったら綾部のプライドを剥がしてしまうことにもなるから、「黙っとこうかな」とも思ったんですけど、結局言ったんですよね。「事実誤認があります」「こことここは全部違います」って。
桝本 それで綾部が「えっ? えっ?」って動揺してたのも覚えてる。でも、あそこで「そんな風に考えてたんや」って納得してくれたからこそ、2人が変化と進化をしていったとも思う。
又吉 綾部も僕の意見に対して「そんなことはない!」とは言わなかったんですよね。
桝本 彼、すごく大人でしたね。今思うと、まったんはどこかで前の相方の影を追いかけてたのもあったのかな。
又吉 それもあったでしょうね。
綾部のスピード感、プレゼンの巧さが生んだ、2人の微妙な距離
又吉 あと、テレビ番組の打ち合わせをするときとかも、綾部はちゃんと準備する人だから、「打ち合わせの前に2人で喋ろう」とコンビで打ち合わせをするんですよね。それで僕が言ったことに色々と意見を言ってきて、僕に別案も出させたうえで、それをメモして。それで番組の打ち合わせが始まったら、さっきまであいつは僕の話を聞いてる立場だったのに、自分で考えたことみたいに全力でプレゼンをするんです(笑)。それがまた上手いじゃないですか。
桝本 うまいうまい。
又吉 なのでスタッフさんも「いいですね!」ってなるし。同じ案でも僕が大人しめにプレゼンしてたら、同じような伝わり方はしなかったかもしれないですし、それはコンビの助け合いとして良いことだと思うんです。でも、どこかで綾部の記憶が変わってて、僕が言ったことを「自分で考えたこと」になってることがたまにあったんで、僕がそういう間違いを一つずつ明らかにしていって。
桝本 名探偵が謎を解くように(笑)。
又吉 ただ綾部って、今よりも世の中がゆったり動いていた時代に、1人だけ現代に通用するくらいのスピード感で「なんとか世に出よう」と動いてる人でもあったんですよ。だから、僕のゆったりしたスタンスが歯がゆかったのはあったでしょうね。
桝本 彼の「ハリウッドスターになる」って夢を叶えるためには、普通のスピードじゃ間に合わなかったんだろうね。あと、2人にそんな時期があったことも知ってるから、まったんが芥川賞を獲ったときに、綾部が我がことのように喜んでいたのが、僕はすごく嬉しかったな。
又吉 僕らピースのように、桝本さんはたくさんの芸人の悩みに向き合ってきた人ですよね。
桝本 うん、NSCの教え子だけで1万人を超えたからね。
又吉 そういった経験が、桝本さんの新刊『時間と自信を奪う人とは距離を置く』には詰まっていましたね。
桝本 読んでくれてありがとう。これまでの知見をもとに、誰もが抱えている悩みや葛藤と向き合うマインドセット法を書いたの。そういえば、まったんが芥川賞を獲って日テレでばったり会ったとき、僕が「花火読んだよ!」と言ったら、「火花です」って冷静に訂正された。あのとき綾部の動揺する気持ちが分かったよ。
又吉 (笑)。
※2回目に続く

