2025年10月10日公開のアニメ映画『ホウセンカ』で、主人公・阿久津実の声を演じる小林薫。物語で描かれている1980年代は、小林にとってどんな時代だったのか。映画のキーワードである「大逆転」や、小林薫のもうひとつの顔である馬主としての活動についても話を聞いた。【前編はコチラ】

「自分は仕事をしない役者でした」
映画『ホウセンカ』は1980年代と現在を行き来しながらストーリーが展開していく。物語の一方の舞台である1980年代は、小林薫が『風の歌を聴け』(1981年)、『お葬式』(1984年)、『恋文』(1985年)、『それから』(1985年)などの話題作に次々と出演し、スター役者としての地位を築いた時期。小林にとって、80年代とはどんな時代だったのか。
「“毎日が忙しく働き詰めだったのでは?”と聞かれることもありますが、そんなことはありません。当時の僕は、関係者の間で“仕事をしない役者”として有名でしたから。仕事はしないけれど、毎日飲み歩いて、家にはほとんど帰らない。たまに家に帰っても“これから銀座に出てこい”と電話がくる。銀座、六本木と何軒も飲み歩いて、結局朝帰り。あまりにも僕が家に帰らないので、飼っていた猫が嫉妬したほどです(笑)」
その経験が“芸の肥やし”となることも多かったのではないか。小林は80年代から40年以上にわたって、演技派の役者として第一線で活躍を続けている。
「芸の肥やしといえるような立派なものではありません。でも、映画や広告の関係者、作家、デザイナーなど、知り合いは増えましたね。80年代は、そんな時代。知り合いも、知り合いじゃない人も集まって、ワーッと騒いで交流の輪を広げていく。今の若い人には信じられないかもしれないけど、そんな空気の中で刺激も受けたし、いろいろなことを吸収できた」
逆転には縁がない
映画『ホウセンカ』では「大逆転」という言葉がひとつのキーワードになっている。小林が演じる主人公の阿久津は、大逆転に人生のすべてを懸けるが、小林自身が長いキャリアの中で大逆転を意識した瞬間はあるのだろうか。
「阿久津と異なり、僕は大逆転を考えたことは一度もありません。大逆転というのは何かの事情によって、最低のラインまで落ちてしまった時、状況を一気に覆すために目指すものですよね。あまり現実的ではないのかなと。人生って紙一重だなと思います。右に行くか左に行くか、そういった日々の選択を1つ1つ積み重ねていくうちに、少しずつ枝分かれしていく。あえて、人生における大逆転の瞬間を挙げるとすれば、演劇というものとの出会い。それが明らかに人生の転換点になりました」
今後の人生で極めたいことは?
インタビュー当日、74歳の誕生日を迎えた小林薫。これからの人生で、挑戦してみたいこと、極めていきたいことは何か。
「極めたいこと? そんなもの、ないですよ。挑戦とか、極めたいとか、そういうものとは縁遠く生きてきたので、これからも極めないまま人生を送っていくでしょう。僕は競走馬が好きで、馬主としての活動も続けています。ですから、“重賞を勝ちたいですよね”などと言われますが、そうした気持ちもない。仔馬が生まれる時から付き合って、成長を見ていくのが楽しい。そういう付き合い方をしているから、馬が持っている技量を正しく把握しています。その技量に合わせて、長く健康に走ってくれたらいいなと。馬も人間も、大逆転を目指して勝負することが、決して重要ではないんですよ」

小林薫/Kaoru Kobayashi
1951年京都府生まれ。1971年から1980年まで唐十郎主宰の劇団「状況劇場」に在籍。以降、数多くの映画・ドラマに出演し、日本演劇界に欠かせない名優としての地位を築く。テレビ東京『美の巨人たち』などのナレーターやアニメーション作品の声優としても活躍する。