無期懲役刑のヤクザは独房の中で何を思うのか。過去と現在が交錯しながらストーリーが展開するアニメ映画『ホウセンカ』。主役・阿久津実を演じた小林薫は「これまでの仕事の中で、精神的に最も疲れた作品」と話す。インタビュー前編では、その“疲れ”の理由と映画の見どころについて聞いた。

出演シーンはすべて独房の中
日本がバブル景気に沸いていた1987年。しがないヤクザの阿久津実は、6歳年下の女性・那奈とその息子・健介とともに、ホウセンカが庭に咲く素朴なアパートで暮らし始めた。兄貴分と慕う堤に世話された土地転がしのビジネスは順調だったが、大金を工面しなければならない状況になり、3億円の強奪を企てる。そして時は流れ、現在の阿久津は無期懲役の刑で刑務所に服役中だ。
2025年10月10日に公開となる映画『ホウセンカ』。主人公・阿久津の声は、二人の役者が担当している。35歳の阿久津を戸塚純貴が、73歳になった無期懲役囚の阿久津を小林薫が演じている。
「これまで刑務所に入る人物を演じたことはありますが、この映画のような役どころは初めて。出演シーンはすべて独房の中という設定で、人との会話は一切ありません。独房の中には人の言葉を操ることができる、空き缶に入ったホウセンカがひとつだけ置かれていて、阿久津はそのホウセンカと会話を繰り返し、過去の出来事を振り返っていくことで物語は進んでいきます。
最初に台本を読んだ時は、驚きました。こんな映画を誰が見るのだろうかと。独房で死にかけている老いぼれヤクザの言葉を聞きたいという人が本当にいるのかと、疑問に思いました。でも、制作者側と打ち合わせを重ねるうちに、興味が強まっていった。時代に迎合しなくたっていい、作りたい物を作ってやろうという挑戦的な意欲を感じました」
「ピエールくんと二人、全部を出し切った」
独房の中という特殊な設定のため、小林薫演じる阿久津のセリフは独り言とホウセンカとの対話のみ。収録はホウセンカの声を担当するピエール瀧と二人きりで行われた。
「肉体的にも、精神的にもクタクタになる仕事でした。収録を終えて家に帰ると、頭がボーっとして、しばらく放心状態になっていたんですよ。翌日も収録があり、ピエールくんにその話をしたら、彼は収録スタジオがある赤坂から渋谷まで歩いて帰ったという。ピエールくんなりのクールダウンだったのでしょうね。囚人という設定に加えて、二人芝居ということで、高い集中力が求められた。こんなに疲れた仕事は記憶になく、その意味でも印象に残る作品になりました」
映画やドラマのような実写作品と、声のみの出演となるアニメーション作品では、難しさが異なるのだろうか。
「異なる難しさがあり、実写もアニメも同じくらい緊張します。でも、より疲れるのはアニメ。実写の場合は、衣装さんやメイクさん、小道具さん……いろんな方々が力を貸してくれるので、すっと役柄に入り込めるところがあります。彼らにうまく身を委ねて、気分を上げることができるので。一方、アニメ作品は声のみの出演。衣装や小道具がないですから、自分で気分を高めなければいけない。そこで魂を吹き込もうとして、ついつい普段以上のことをやってやろうとする。だから、めちゃくちゃ疲れるんですよ」
映画『無法松の一生』を思い出した、主人公の“無償の愛”

集中力をすべて使い果たすまで力を込めて演じた阿久津実という男の生き様。阿久津の生き方や考え方に共感する部分はあったのだろうか。
「ありましたよ。映画の公開前ですから詳しくは話せませんが、阿久津は日本人がかつて持っていた古き良き恋愛観を秘めた人物だと感じました。
『ホウセンカ』の収録後、僕はふと1963年の映画『無法松の一生』を思い出しました。暴れん坊の無法松は、陸軍大尉の吉岡という男に出会い、世話を受けるようになる。その吉岡が突然亡くなってしまい、今度は無法松が吉岡の未亡人とその子どもを献身的に支えるようになります。無法松は未亡人に恋心を抱き、思いの丈を彼女に打ち明けようとする。でも、無法松は“ワシの心は汚い”と言って、彼女のもとを去っていくんです。無償の愛というのかな、無法松はそういう奥ゆかしさをもった人間なんですよ。『ホウセンカ』の阿久津も同じタイプの人間だと思います」
『ホウセンカ』の見どころは、阿久津の心の内の描写。素直に感情を表現することが苦手な男だからこそ、心に深いものを抱えている。
「阿久津に何を感じるかは、鑑賞者の自由です。古臭くてピンとこないという人もいるかもしれません。でも、こういう心の持ち方もあるんだということを知って、それが美しいと少しでも感じてくれるとうれしいです。感情を見直すきっかけになる映画。僕は『ホウセンカ』という作品をそんなふうに思うんですよ」
小林薫/Kaoru Kobayashi
1951年京都府生まれ。1971年から1980年まで唐十郎主宰の劇団「状況劇場」に在籍。以降、数多くの映画・ドラマに出演し、日本演劇界に欠かせない名優としての地位を築く。テレビ東京『美の巨人たち』(2000〜2019年)のなどのナレーターやアニメーション作品の声優としても活躍する。