オレンジ・アンド・パートナーズ代表取締役社長の小山薫堂氏と、へラルボニー代表取締役社長の松田崇弥氏。かつての先生と教え子という関係のふたりを紹介する。

へラルボニー代表取締役社長。1991年岩手県生まれ。東北芸術工科大学卒業後、2013年にオレンジ・アンド・パートナーズ入社。クリエイティブ業務に携わる。2018年、双子の兄とともにヘラルボニーを創業。
小山薫堂(右)
オレンジ・アンド・パートナーズ代表取締役社長。1964年熊本県生まれ。放送作家、脚本家、政府・地域・企業のアドバイザーなど、多彩なジャンルで活躍。EXPO 2025大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーを務める。
愛される力
小山 当時、僕が学科長を務め、教鞭を執っていた東北芸術工科大学企画構想学科の2期生。
松田 実は高校時代にオープンキャンパスでお会いしているんです。お話を聞いて、この学科に進みたい、と思って。
小山 髪を染めてピアスして、ちょっとチャラかったな(笑)。
松田 でも、ゼミに入れていただいたうえに、会社にも入れていただいて。
小山 崇弥は人に好かれる人だよね。ひと言でいえば、いいヤツ。才能があるからとかじゃなくて、こんないいヤツがウチの会社にいたらいいな、と思った。
松田 卒業展では、学科長賞もいただくことができました。
小山 それも決め手だったかな。東京駅の丸の内口に花を植えているホームレスがいて、その人に密着した物語。人間に対する大きな愛を感じた。
松田 兄が重度の知的障害を伴う自閉症でしたが、かわいそうだと周囲から言われていて。でも、兄自身は普通に楽しそうだし、幸福の尺度って、いろいろだよなとずっと思っていて。ゼミの就活面談で、ウチの会社に興味あったりするの? と聞かれたのは、びっくりしました。
小山 そんなことあった? 全然覚えてない(笑)。でも、入社して最初は苦労してた。
松田 本当に何もできなくてショックでした。ついていくのが精一杯で。それで年末に、来年から頑張ります、とメールを送ったら長文の返事をくださって。
小山 愛される力を持っているのに、もがき苦しんでいる姿を見て、ちゃんと返事を書こうと思って。このメールは、どこの書斎で書いたかまで覚えてる。
松田 コピペして、いろんなところに貼っていました。
小山 それで成長して、いろいろ任せられるようになったところで、辞めたいと言いだした。
松田 知的障害のある人のアートに出合ったんです。すごく感動して、どうしてもこれを自分の力で世の中に届けたいと思うようになっていきました。
小山 とてもいいアイデアだと思った。パッとの思いつきじゃなかったし。だから、応援しなきゃと思った。送別会では、思い切り号泣しちゃったけど。なんだか社員が辞めるという感覚じゃなくて。卒業式でお別れする時みたいな悲しさだったな。
松田 創業当初は副業みたいなことをしながら掛け持ちでした。
小山 でも6年で80人を超える規模になった。これはすごいこと。ヘラルボニーのさらなる成長、楽しみにしています。

松田 創業期、何も言っていないのに雑誌で紹介してくださったり、いろいろサポートをいただきました。2年目からは、顧問になっていただいて。ダメ元でお願いしに行ったら、サラッと「いいよ」と受けていただいて。
小山 いやいや、面白そうだと思ったし、頼ってきてもらえるのは、やっぱりうれしかった。よく言うけれど、企画とはサービス。サービスと思いやり。どれだけ人を喜ばせるか。それが企画の真髄だと思うので、崇弥に喜んでもらえるなら、と思った。
松田 そんな薫堂さんに今日はプレゼントがあるんです。大学に入学したとき、学生全員に各個人の名刺を100枚ずつ渡されましたよね。名前は、薫堂さんの手書き。これを大事に使いなさい、と。
小山 懐かしい。100枚には通し番号が書けるようになっていて、自分の人生の分岐点になると思った人や、この後もきっとつながると思った人に大事に渡しなさい、そういう人に出会う努力をしてこの名刺を使いなさい、と。4年間だから1年に25枚。月に2枚。月に2人、そういう人に会うよう、意識してほしかった。
松田 実は今回、新しい顧問の名刺を100枚持ってきまして、通し番号が入れられるようにしてきたんです(笑)。ヘラルボニーの顧問として、大事な100人に使って欲しいと思って。
小山 これは面白い! びっくりなサプライズ返し(笑)。でも、ぜひ世界のブランドになってほしい。そして名刺を出したとき、「え、あのヘラルボニーに関わってたの?」と驚かれるようにしてほしい。「いやいや、俺はまだヨチヨチの頃から知ってる」って自慢するので(笑)。
松田 そうなれるよう、頑張ります!
