1972年の設立以来、一貫して日本(福井県・鯖江)製の高品質なアイウェアを生み出し続ける「EYEVAN」。その眼鏡をかけた仕事人たちを写真家・操上和美が撮り下ろす連載「人生を彩る眼鏡」の第9回は料理人・脇屋友詞。「人生を彩る眼鏡#9」。
PERSON 59
料理人/脇屋友詞
シーンや用途で眼鏡を使い分けています
カメラに眼差しを向けるダンディな紳士。ヌーベル・シノワの先駆者として日本の中国料理界を牽引してきた脇屋友詞シェフだ。今回はコックコートを脱いで、私服での登場。スーツの着こなしも、そして眼鏡のかけこなしもこなれている。
「料理中はかけませんが、普段から眼鏡やサングラスはよくかけていますよ。眼鏡は4本、サングラスは8本ぐらい持っていて、シーンで使い分けたり、あとは普段使いと、きちんとお洒落をする時などコーディネートによってもかけかえています。やっぱり眼鏡ひとつで雰囲気が変わるじゃないですか」
TPOで眼鏡を使い分ける。そんな眼鏡上級者な脇屋さんが選んだのは、EYEVANの「Webb」。ボストンとウェリントンの中間のような柔らかなシェイプに、下側をクリアブラウンに切り替えたツートーンカラーが穏やかな表情を知的に引き立てる。
「実は、普段からアイヴァンで眼鏡を購入しているんです。ですから今回は『次に買うならどれにしよう』という気持ちで選んで、最初に手に取ったものにしました。他のものもかけてみたけど、結果的にこれに落ち着いて。何となく、自分の好みってあるじゃないですか」
脇屋さん曰く、これは“お洒落をする時用”の1本。眼鏡を着替えることは、気持ちの切り替えにも作用しているという。
「眼鏡をかける時は、いつもと違う自分をコーディネートする感覚です。今日は会議で真剣な話をするから、真面目そうな雰囲気を演出しよう、といった感じで(笑)。自分を変えてくれる衣装みたいなものですね」
2023年、料理人となって50年目を迎えた。易学者だった父親の一存で、中学卒業後に中国料理の道へ。それまで「料理人になりたい」とは一度も思ったこともなかったというが、今では中国料理の仕事は天職だと言い切る。
「天職になっていった、と言ったほうが正しいかもしれません。仕事に本気で向き合い、親方を好きになる、中国料理を好きになる。そうした“好き”を重ねていったら、自分にとってプラスになることを見つけられるようになったんです。そうやって自分が置かれた道をひたむきに踏み重ねていくことで、見えてくる夢というものがあると私は思っています」
2023年末には銀座5丁目にビルを建て、調理法の一つに窯を取り入れ、革新的な料理を提供する「Ginza 脇屋」をオープンした。巨匠と言われる今もなお、新しいことに挑戦し続けている。
「完全なゴールはないですね。自分が満足してしまったら、お客様は飽きてしまいますから。それに、中国料理は本当に奥が深いんです。私が一生かかっても覚えきれないぐらいの料理があり、完成させることなんてできないんじゃないですかね。それでも、限りなく完成形に近いものを追い求めていくのが我々料理人の使命であり、決してその力を絶やさない。そうした気持ちを持ち続けることが、大切だと思っています」
脇屋友詞/Yuji Wakiya
1958年北海道生まれ。中学卒業後、赤坂「山王飯店」、自由が丘「桜蘭」、東京ヒルトンホテル/キャピトル東急ホテル「星ケ岡」などで修行を積み、27歳で「リーセントパークホテル」の中国料理部料理長、1992年に同ホテル総料理長になる。1996年、「トゥーランドット游仙境」代表取締役総料理長に就任。2001年、東京・赤坂に「Wakiya一笑美茶樓」、2023年12月に「Ginza 脇屋」をオープン。東京で4店舗のオーナーシェフを務める。2010年に「現代の名工」受賞。2014年、秋の叙勲にて黄綬褒章を受章。公益社団法人日本中国料理協会会長。料理人人生50周年を迎えた2023年に著書『厨房の哲学者』(小社刊)を発売した。
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EYEVAN Tokyo Gallery TEL:03-3409-1972