1972年の設立以来、一貫して日本(福井県・鯖江)製の高品質なアイウェアを生み出し続ける「EYEVAN」。その眼鏡をかけた仕事人たちを写真家・操上和美が撮り下ろす連載「人生を彩る眼鏡」の第5回は歌舞伎役者・松本白鸚。「人生を彩る眼鏡#5」。
PERSON 55
歌舞伎役者/松本白鸚
デザインに力強さを感じました
「以前は、よくサングラスをかけていました。特にメタルで丸い形のものが気に入っていたんですけど、移動の際にどこかに落としてしまったきりで。昔はサングラスというと顔を隠すものというイメージでいたけれど、今はお洒落になりましたね」
着用候補としてずらりと並んだサングラスを前に、そう話す松本白鸚さん。「このデザインに、一番力強さを感じました」と、選んだのはEYEVANの「Glimmer」。高めについた直線気味のブリッジが印象的なモデルだ。サイドには、熟練職人の高度な技術により実現した6つのカシメ飾りも施されている。
1946年に3歳で初舞台を踏んで以来、80年近く役者人生を歩んできた。そんな白鸚さんは、「歌舞伎役者はアーティストではなく、アルチザン=職人である」と語る。
「手に職をつけるという表現がありますが、歌舞伎役者は手に“芸”をつけるんです。踊りひとつ、台詞ひとつとっても、手に芸がつかなければ歌舞伎役者として一人前とはいえません。ですから、私はアルチザンであると思っています。そして、芸が身に付いたかを判断するのは、お客様なんです。それは時計や眼鏡を作る職人も同じでしょう」
厳しい鍛錬を続けてきたからこそ出てくるその言葉に、重みが感じられる。これまで、歌舞伎での活躍はもとより、ミュージカルやテレビドラマでも存在感を発揮。当たり役である『勧進帳』の弁慶役での上演は1100回を超え、主演ミュージカル『ラ・マンチャの男』では半世紀以上にわたり、主演を1324回務めた。数々の偉業をなしてもなお、「役者は一生修行である」という。
「以前、六代目中村歌右衛門から『役者は上手くなるのではない、だんだん下手になってゆくもの。上手くなったと思うのは慣れからくる錯覚だ』と、忠告されたことがあるんです。やはり、慣れてはだめですね。お客様に喜んでいただけるようなお芝居を、死ぬまで続けていきたいと思います」
松本白鸚/Hakuo Matsumoto
1942年東京都生まれ。初代松本白鸚の長男として生まれる。1946年に東京劇場で上演された『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』の外郎賣伜昭吉(ういろううりせがれしょうきち)で初舞台を踏んだ。1949年に六代目市川染五郎、1981年に九代目松本幸四郎を襲名。2018年1月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演『壽 初春大歌舞伎』で二代目松本白鸚を襲名した。また歌舞伎の他に、ミュージカル『王様と私』『ラ・マンチャの男』、大河ドラマ『黄金の日日』『山河燃ゆ』など、幅広く活躍。2022年に文化勲章を受賞している。
衣装クレジット
眼鏡¥50,600(アイヴァン/EYEVAN Tokyo Gallery ︎TEL:03-3409-1972) ジャケット¥107,800、パンツ¥72,600、ストール¥46,200(すべてヨウジヤマモト プールオム/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500) シャツ¥44,000(ワイズフォーメン/ワイズ プレスルーム TEL:03-5463-1540)
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