PERSON

2023.11.12

スタンフォードでMBAを取得した精神科医が、起業家であり医者である理由

米国スタンフォード大でMBAも取得。学生時代から起業家としても活躍を続ける物部真一郎は、現役の精神科医だ。医療とビジネスのスキルを兼ね備えた男が実現したい未来とは――。

訪問する物部氏

スタンフォードでリーダーシップを学ぶ

精神科医でありながら、これまでに4つの会社を起業してきたビジネスパーソン。自ら立ち上げた会社を成長に導く一方、それとは別に投資家として10社以上に出資を行い、時には経営にも参画。美容医療やお茶事業にも携わるなどマルチに活躍を続けるのが物部真一郎だ。

さまざまな可能性を模索しながら自ら道を切り拓いてきた物部。人生が大きく動きだしたのは医学部への進学だった。京都に生まれ、両親は公務員。兼業で農業も営む家庭で育った。

「高校時代の彼女が医学部志望で、それに影響されて自分も目指すようになりました」

一浪したのちに国立の高知医科大学(現高知大学医学部)に進学。高校時代にハマっていたよさこい祭りの発祥の地が高知であり、また自身の苗字と同じ物部村や物部川があり、大学にも物部キャンパスがあることに縁を感じてのことだった。

そして、医療を勉強するなかで幸せに生きることに関心があった物部は精神科医を志す。大学2年時にはアルバイトをするよりも稼げそうだと思い、雑誌を読むこと、文章を書くことが好きなこともあって、高知のタウン情報誌『ベロシティ』を仲間と創刊。発行人として、原稿執筆から広告営業、デザインまで何でもこなした。

あまりの多忙さに大学を留年。このまま事業を続けるか悩んだのち、初志を貫き医師の道へ。回り道をした遅れを取り戻そうと、大学卒業後の研修医期間は、大学病院ではなく地方の病院を選び、猛烈に働いた。

物部氏が作った雑誌
物部が手がけた2誌。『ベロシティ』は高知のタウン情報誌で、判型やデザインにもこだわっていたが、ビジネスでは軌道に乗らなかった。しかし、医療法人の広報誌『いずみの』を手がけるようになり、業績が改善した。

そんななか世の中のさまざまな分野でIT化が加速していく状況に対して、旧態依然の医療業界に歯痒さを感じていた物部は、自ら医療業界を変えるべく、MBA取得のために米国の名門スタンフォード大学経営大学院へ進学した。実は学生時代に雑誌『ブルータス』の大学特集で紹介されていた海外のMBAに関する特集記事に出合ってから、その記事を何度も読み返すほど、ずっと憧れていた。

「スタンフォードの授業は激烈に大変でした。今でも時々卒業できなかった夢を見るほどです。それだけに得るものは大きく、例えば、当時グーグルのCEOだったエリック・シュミット氏とディスカッションができたことは、人生を変えるほどの貴重な経験になりました。

スタンフォードはめちゃくちゃ頭がよかったり、入学するまでにいくつも起業してきたような優秀な学生が世界から集まります。そのなかで学ぶことで、すごく自信になりましたし、自分のなかにあった起業家精神も刺激を受けました。周りがそんな奴らばかりだと、成功しないわけがない、といわば魔法をかけられたんです」

気がつけば、物部は仕事も遊びも、より主体的により積極的にリーダーシップをとって取り組むようになっていた。そして、在学中の2014年12月には、スタンフォード大と高知医科大の同級生とともに3人でエクスメディオを設立。皮膚科相談アプリ「ヒフミルくん」をリリースする。このアプリによって医師と医師をつなぎ、医師が医師から学ぶ、医師のためのオンライン診療を実現した。

「例えば、精神科を訪れる患者さんによく見られるのが皮膚の疾患なのですが、その治療に関して専門的なことや最新の知見などを皮膚科の専門医に気軽に聞けるようにしたのです」

サービスを拡充し、業績も上昇。IPO(株式公開)の話もあったが、2019年に会社をバイアウトした。

「エクスメディオは自分のなかで大きな成功体験になりましたし、これによって医療業界にネットワークもできました。今でも当時知り合った方々からさまざまな相談をいただいています」

売却後、エクスメディオのメンバーたちは、エクスメディオから離れたあと別々の仕事をしていたが、仲のいいメンバーが再集結し、2023年1月、新しい会社「超楽長寿」を起業した。

「エクスメディオに関しては、自分たちだけで経営を続けていく道もありました。この場合でもゴールまで行けた自信はありますが、会社ごと売却し、売却先のアセットを使わせていただいたほうが、目的までの道のりが短くなると考えて売却を選択しました。つまり自分たちで会社を大きくすることを諦めたわけです。でも、今回の会社に関しては、途中で絶対に諦めずに、エクスメディオを含めた今まで出会ってきた仲間と最後まで続けていこうと思っています」

楽しく生きていく道筋を一緒に考えていく

「超楽長寿」は、加速する高齢化社会に向けて、訪問医療を通して高齢者の孤立や孤独の課題解決に取り組む会社だ。

「自分の父親もひとり暮らしをしているのですが、高齢者のひとり暮らしは孤独や孤立のために死亡率が毎年1.3倍高くなり、認知症の発症率が2倍になるというデータがあります。孤立・孤独は、2023年6月に『孤独・孤立対策推進法』が公布され、社会的に注目が集まってきているヘルスケアの領域。この問題を解決するため、全力で取り組もうと思っています」

物部の強みは、精神科医として高齢者の患者の悩みをよく知り、病気にも精通することであり、同時にMBAホルダーとして、これまでの起業経験を踏まえながら、課題解決の仕組みを構築できることだ。ただ、そのスキルは、MBAを取得したからといってすぐに身につくものではないし、会社や起業に関する本を何冊読んでもビジネスはうまくならないと物部は話す。

「幸いだったのは、これまでの起業において、友人知人との共同創業の形ではありますが、いくつかの会社で社長をやらせてもらったことです。例えば、アプリの内容や完成までの進行管理、資金調達の方法、チームビルディングのやり方など、社長だけは事業にかかわるすべてのことを経験できるんです。特にエクスメディオを成長させていく過程は、スタンフォードで学んだことはこういうことだったのかと、ひとつひとつ確認していく時間になりました。

もちろん失敗も多々あります。社員の逮捕や大量の郵便物の誤発送などは、会社の危機でした。でも、その時メンバーが結束して一緒に解決策を考えてくれたんです。普段、社長はひとりで考える時間が多いのですが、ピンチの時にチームがまとまってくれたことは嬉しかったし、今となれば、あの時の危機は楽しい思い出にすら感じます」

特に郵便物の誤発送の際は、臨床に関わる内容だったため、医療関係者から苦言を呈されたが、担当者と誠実に話をした結果、今ではその方が物部のメンターとなって、何かあれば相談ができる間柄になっている。

自らをハピネスに貪欲で、人生において幸せではない瞬間があるのは嫌だと話す物部。だからこそ、ビジネスも部活やゲームのような感覚で、気の合う仲間を集めて一緒に楽しんで行う。プライベートでは音楽が好きで、勉強する時も仕事をする時もずっとハウスを聴き、DJとして場内を盛り上げることもしてきた。科学的に確認したことはないが、音楽は自らのメンタルヘルスの安定に関係していると話す。

「精神科医の仕事は、病気を診ることではなく、楽しく生きていく道筋を一緒に考えること。新しい会社が提供するのも寿命を延ばすサービスではありません。生きている限り、楽しく生活ができるようになるためのサービスです。日本で暮らす人たちが高齢になっても毎日を幸せに過ごせる仕組みを構築していきたいと思います。それが実現できれば、老後の不安が軽減され、若年層も元気になり、社会全体がより健全な方向へと進んでいくと思うんです」

物部真一郎の3つの信条

1. 自分のビジネスだけでなく常に医療全体を考えて行う

「日本の医療業界の最大の課題は、効率化がなかなか進まないこと」と話す物部。その課題を解決する仕組みをつくり、暮らしに最適な医療の実現を目指すため、日本の医療環境の改善に貢献するために、これまでもこれからもベンチャービジネスを行っている。

2. 起業の際には必ず市場規模をチェックする

起業を考えた時に最も重要視しているのがTAM(Total Available Market)と呼ばれる、その市場で獲得できる可能性のある最大の市場規模。これが最低でも100億円以上あることが物部の起業の条件のひとつ。「アイデアがあっても断念したことは何度もあります」

3. 文化的素養を高めるために雑誌を読むことを重視

自分が興味のある情報にしか触れなかったら知識や教養は広がらない。「雑誌は編集者が面白いと思っていることを教えてくれて、その魅力に気づかせてくれる重要な文化です」。さまざまな情報源はインターネットからではなく、雑誌から得る。

物部真一郎氏
Shinichiro Monobe/物部真一郎
精神科医
1983年京都府生まれ。精神科医。高知医科大学卒業後、スタンフォード大学経営大学院でMBAを取得。エクスメディオを設立し、のち売却後、投資家として多くの会社に出資を行う。2023年1月、高齢者の孤立や孤独の課題解決を目指す会社「超楽長寿」を設立。2020年より日本スタンフォード協会(JSA)理事を務める。

TEXT=石川博也

PHOTOGRAPH=太田隆生

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