カヌーの男子カナディアンシングルで羽根田卓也(36歳・ミキハウス所属)がパリ五輪代表に内定した。2016年リオデジャネイロ五輪でアジア人初のメダルを獲得した第一人者が、5大会連続5度目の五輪切符を獲得。優勝を逃せばパリへの道が絶たれる2023年10月のアジア選手権で勝負強さを発揮した。連載「アスリート・サバイブル」
単身で渡ったスロバキアで出合った言葉
大切にしている言葉がある。
「トマーチャーロ」
スロバキア語で「それこそ醍醐味だ」という意味を持つ。
高校卒業後、羽根田はカヌーの強豪国・スロバキアに単身で渡り、この言葉に出合った。
激しい雨が打ちつける最悪のコンディションのなかで行われた練習。スロバキア人コーチが「トマーチャーロ」と発しながら、五感を研ぎ澄ませ、大自然の厳しさを満喫していた。
羽根田は「普通は雨の練習は嫌。視点を変えるだけでこんなにポジティブに物事を考えられるんだ」と大きな気づきを得たという。
その後は、ツラい練習やレースで厳しい状況に陥っても「これこそが自分を成長させてくれる醍醐味」と前向きに捉えられるようになった。
36歳ベテラン、崖っ縁で本領を発揮
5大会連続5度目の五輪出場を手にした大会は、まさに競技の醍醐味を凝縮したような展開だった。
2023年10月28、29日に東京江戸川区にあるカヌー・スラロームセンターで開催されたアジア選手権。
羽根田は予選、準決勝は体力を温存して、それぞれ2位、4位で通過し、勝負を懸けた決勝に駒を進めた。
10人中7番目に登場し、スタートから巧みにカヌーを操作。終盤の難所でゲートに接触する罰則(1回につき2秒加算)があったものの、99秒05の好タイムを出した。
2位の中国選手とは罰則1回分に満たない1秒19差。唯一の100秒切りで紙一重の戦いを制した。
2023年9月の世界選手権で五輪代表内定条件を満たせず、パリ切符にはこの大会で優勝するしかない。後がない崖っ縁の状況で本領を発揮した。
「この日のために1年間ずっと張り詰めてきた。ヒリヒリする戦いで五輪を決められてよかった。今までで一番プレッシャーのなかで戦った」
苦労した競技人生、勝ち取ったアジア人初の銅メダル
平坦な競技人生ではない。スロバキアに拠点を移した当初は、クラブチームに所属。カヌー後進国である日本から来た羽根田は、本場で相手にされず新天地で受け入れらなかった。
コーチに英語が通じなかったため、必死にスロバキア語を習得。現地の言葉を話せるようになると、冷たかった人々が嘘のようにフレンドリーに接してくれるようになった。
7位に終わった2012年ロンドン五輪後は、不景気もあり設計会社を営む父から支援打ち切りを言い渡された。
当時はスロバキアの首都・ブラチスラバにある難関大学、コメニウス体育大大学院に在学。生活しながら競技を継続するには年間1000万円程度が必要だった。
救いの手を求め、スポンサー企業を探しに奔走。今まで書いたことがない類いの手紙や履歴書を10社に送った。
多くの企業に門前払いされるなか、1社から面接の連絡が来た。それが現所属先のミキハウス。2016年リオデジャネイロ五輪に向けて競技に打ち込むことができ、銅メダルを獲得。アジア人初の五輪メダリストになった。
2021年の東京五輪は10位。パリ五輪ではリオデジャネイロ五輪以来、2大会ぶりの表彰台が懸かる。
「五輪は特別な大会。出ることに意義はあるが、そこで何を残せるかを求めたい。
過去4度の五輪の経験を5度目にぶつけたい。世界的に見てもベテランの域だが、年齢が武器になる競技特性もあるので、できるだけ高いところを目指したい」
コロナ禍で開催された東京五輪は無観客で、結果も雰囲気も思い描いたものではなかった。37歳で迎えるパリ五輪で、真夏の祭典の醍醐味を味わう。
羽根田卓也/Takuya Haneda
1987年7月17日愛知県生まれ。愛知・杜若高卒業後の2006年から強豪国・スロバキアに住んで腕を磨き、2009年に現地の難関大学コメニウス大に進学。大学院も修了した。五輪は2008年北京五輪から4大会連続で出場。2016年リオデジャネイロ五輪でカヌーで日本勢初の表彰台となる銅メダルを獲得した。愛称はハネタク。身長1m75cm。
■連載「アスリート・サバイブル」とは……
時代を自らサバイブするアスリートたちは、先の見えない日々のなかでどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「アスリート・サバイブル」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。