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2023.05.04

【五木ひろし】父、母、腕時計、半世紀以上も第一線で歌い続ける原動力

2024年に歌手生活60周年を迎える、歌手・五木ひろしが通算174枚目のシングル「だけどYOKOHAMA」をリリース。2024年で歌手生活60周年を迎えるレジェンド五木ひろしの半生に迫る。連載5回目。【#1】【#2】【#3】【#4

時計もクルマも身の丈に合っているかどうかが大切

五木ひろしの時計への思いは強い。自分が結婚したとき、美空ひばりにピアジェをペアでプレゼントされたことは前回に書いた。そのお礼に五木はひばりの息子、加藤和也が結婚する際、ペアの時計を贈っている。そして「自分へのご褒美」にも時計を買ってきた。

「コルム、カルチェ、ロレックス、パティック、ブレゲ、オーデマ・ピゲ、リシャール・ミル……。頑張ったと胸を張っていえるとき、そのメモリアルで、自分に時計を買っています」

購入するときは「この時計をしても恥ずかしくないだろうか?」と自分に問いかける。

「自分の身の丈に合っているかどうかが大切です。仕事でたいした成果をあげていないのに、高価な時計を身につけるほど恥ずかしいことはありません。クルマも同じですが、自分の成果、自分の社会的な評価を常に客観視するように努め、それに見合うものを持つことは、とても大切だと感じています」

時計は男の形見、とも思っている。

「女性には身につけるものがいろいろありますよね。指輪もイヤリングもネックレスもある。でも、男はあまりアクセサリーを身につけないので、時計はメモリアルになります。だから、加藤和也君にも贈りました。僕の舞台でいい仕事をしてくれた人にも、時計を贈るようにしています。文字盤の裏には、ひばりさんがしてくれたようにFrom Itsukiと彫って」

五木ひろしの時計コレクションの一部。(左から)ブレゲ、リシャール・ミル RM005、ピアジェのペアウォッチ、パテック フィリップ ノーチラス ムーンフェズ。

父への後悔

時計には、五木には悔やんでも悔やみきれない思い出がある。

父親は五木が小学校5年生のときに家を出た。

「お父さんは山で死んだ」

母親にはそう言われていた。しかし、三重県の鳥羽で暮らしていて、中学生のときに再会している。五木ひろしとしてヒットが出る前、経済的に苦しかった時期には母親に知られないように生活費の無心をしたり、鳥羽でショーを開催してもらったりしていた。

その父親が亡くなる前、五木は兄とともに鳥羽の病院に見舞いに訪れている。1981年のことだった。

「おっ、お前、いい時計をしてるな」

ふと父親が言った。そのとき、五木はロレックスを腕に巻いていた。

「気に入ったなら、親父にあげるよ」

五木は言ったものの、そのまま病院を後にした。

「新しいロレックスを買ってあげようと思ったんです」

ところが、その後、父親は帰らぬ人となった。

「なんであの日、オレは時計を腕から外して置いていかなかったんだろう……」

五木は悔やみ続けている。

「親父はたぶん、新しい時計がほしかったわけではなかった。僕が腕に巻いているのがほしかった。そのことに気づけませんでした。あの日から、僕はいつも時計をその場で贈るように心がけています」

五木ひろし/Hiroshi Itsuki
1948年生まれ。’64年にデビュー。’71年に“五木ひろし”として「よこはま・たそがれ」が大ヒット。「夜空」と「長良川艶歌」で日本レコード大賞を2度受賞。ヒット曲多数。NHK紅白歌合戦連続50回出場は新記録。芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬章、NHK放送文化賞を受賞。2023年、通算174枚目のシングル「だけどYOKOHAMA」(ファイブズエンタテインメント、¥1,500)をリリース。

父から学んだこと

子どもの頃から離れて暮らしていたものの、父親から学んだことは少なくない。

「五木ひろしになってヒットが続いてからも、親父の住む街でショーをやりました。終演後、深夜に滞在していたホテルに戻ると、部屋に500枚ほど色紙が置かれていました。サインをしてほしい、ということでした。すべての色紙に宛名が書かれていた」

五木は疲労困憊だった。

「こんなにたくさん、書けないよ」

うったえると、父親はたしなめるように諭した。

「数夫、お前、たくさんのファンにサインを書きたくて、ここまで頑張ったんだろ」

数夫とは、五木の本名だ。

「親父の言葉は胸に響きました。返す言葉がなかった。自分が初心を忘れていたことに気づかされました」

夜明け近くまでかかって、1枚1枚気持ちを込めて、サインを書いていった。

「あの夜以降、ファンのかたがたへのサインは大切に書くと自分に言い聞かせています」

母から学んだこと

一方、女手一つで4人の子どもを育て上げた母親の教えは1つ。

「人に後ろ指さされることだけはしちゃいけないよ」

常にこの言葉を胸に五木は歌う。どんなに不調のときでも、客席に自分の声をきちんと届けることを心がけている。

「誰も気づかなくても、空の上でおふくろは見ていますから。自分の声で歌えなくなる時は、僕がマイクを置くときです。楽をしちゃいけない。おふくろにもずっと言われてきました。おふくろ自身が働き者で、楽をしている姿は見たことがありません。おふくろを休ませたい。それが僕の原動力でした」

五木ひろしとしてヒットが出て、東京・田園調布に家を建て、福井から母親を呼んだ。

「僕は楽をしてもらいたかったんですよ。都会の機能的な暮らしを体験させたかった。でも、おふくろは福井にいるときのままでしてね。毎日朝から夜まで掃除をしていました」

4年後、五木は母親のために福井の美浜に家を建てた。

「親戚の材木屋が五重塔をつくろうとして、それはかんべんしてくれ、となだめるのが大変でした。でも、おふくろが喜んでくれたことは僕の喜びです」

1870~1980年代のTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』で、美浜の実家で歌ったことがある。

「五木さあーん、そこはお寺ですかあー!」

司会の黒柳徹子がスタジオから叫んだ。

「いいえ、うちです!」

そんなやり取りでスタジオを盛り上げた。

※6回目に続く

五木ひろし連載はコチラ

TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=倭田宏樹

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