海外赴任先のロンドンで出会った、東急カード代表取締役社長 梅原昌弘と、ZIPAIR Tokyo代表取締役社長 西田真吾。盟友ふたりが語る、思い出深い縁とは。 連載「相師相愛」とは……
ロンドンにまた行こう
西田 25歳の時、2年間、ロンドンにある日本の銀行の証券子会社に出向したんですが、この時、一緒だったんですよね。
梅原 私は32歳でした。他にも大企業から何人も来ていたんですが、みんな数ヵ月から1年。なのに、ふたりだけまるまる2年いたんですよね。
西田 だから、同じ境遇の人がいてくれて心強かったです(笑)。
梅原 でも西田さんは1ヵ月早かったから、もうすっかりなじんでた印象でしたよ(笑)。
西田 いやいや英語もまだまだでしたし。お買い物くらいはできても、外国人の同僚と本音を話せるような英語力はなくて。
梅原 仕事の話はできても、文化の話となると難しかった。よくふたりでランチをしたね。
西田 週末のゴルフも記憶に残っています。当時、日系のゴルフ場だったハットフィールドを、梅原さんが攻略されるのを眺めていました(笑)。私はゴルフを始めたばかりでしたので。
梅原 ロンドンで唯一、お風呂があって、カツ丼が食べられた所。まだ日本の食材が世界に広がっていない頃だったので、日本人が群がってましたね。
西田 それ以降、私は海外赴任はないので、梅原さんと過ごしたロンドンの日々は、社会人人生の貴重な1ページなんです。
梅原 すると10年ほどして、私がカード関連の責任者、西田さんはマイレージの責任者として、一緒に仕事をすることになって。
西田 懐かしいお兄さんに再会できた感じでした。
梅原 日本航空の整備場、東急電鉄の車両工場に会員さんを招いてイベントをやりましたね。
西田 世界は狭いと思いました。
梅原 私がありがたかったのは2019年、強烈な台風が日本を襲った時です。ちょうど上海出張から戻ったタイミングだったんですが、交通機関が麻痺して成田が陸の孤島になっていて。電車も止まり、高速道路も閉鎖。空港は大混雑していたんですが、ちょうどZIPAIR Tokyoの開業準備中で、オフィスにいさせてもらうことができて。
西田 電話がかかってきて、びっくりしました。でも、少しでもお力になれてよかったです。
梅原 いつか一緒にロンドンに行ってみたいですね。昔、行った所をたどってみたい。
西田 それはいいですね。パブでビールを飲んだり。ロンドン時代から、ご家族とも仲がよくて、とにかく人生を楽しまれていた印象があります。さすが梅原さん、人生を楽しむ方法を、やっぱりよくご存知です(笑)
梅原 私がロンドン時代に思い出深いのは、西田さんがとにかく汗をかかれていたこと。日本人の仲間で何かをする、となれば、必ず自分から手を上げて、段取りをされていましたね。
西田 いえいえ。私が派遣先では最年少でしたので。ゴルフコンペの賞品の買いだしによく行っていたのは、覚えています。
梅原 そういうところは、ずっと変わっておられないと思うんですよ。細かなところで、率先して気遣いをされる。だから、周囲の人たちが集まってくるんだと思うんです。上からも下からも慕われる。上下関係なく、信頼を集められる。
西田 私は梅原さんから、財務とは何かを教わりました。数万人規模の会社でも、財務がしっかりしているからこそ、社員は安心して働ける。預かったお金をうまく使うことで、社員の生活を守ることができる。そのためには厳しさも必要。一緒に仕事をさせてもらったことで、勉強することばかりでした。JALリバイバルで新しい株主を探す際、カウンターパートで梅原さんと再会した時は驚きました。つながった関係は財産だと思います。
梅原 でも、昔からのつながりというのは、やっぱりいいですね。だから、縁を切らさないことが大事だと、改めて思います。年賀状をだし続けていると、何十年ぶりかで会うことになったりするんですよね。そうすると、また面白いつながりが始まる。
西田 特に我々の場合は、海外の地でお互い本当に不安、という環境でのご縁でした(笑)。これは特別なことだったと思っています。
■連載「相師相愛」とは……
師匠か、恩師か、目をかける若手か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ、相”師”相愛ともいえるふたりの姿を紹介する。