俳優、歌手、モデル、そして映画監督と、表現の場を広げている池田エライザ。2022年10月7日から放送が始まった主演ドラマ、タツノコプロ創立60周年記念『WOWOWオリジナルドラマ DORONJO/ドロンジョ』を入り口に、精力的に動き続ける彼女の仕事観に迫る。連載「NEXT GENERATIONS」とは……
俳優が背負うべき責任
「七音という役柄に向き合う日々は、心身ともに過酷の連続でした」
池田エライザのこのコメントが決して大げさではないことは、『WOWOWオリジナルドラマ DORONJO/ドロンジョ』を見れば一目瞭然だ。彼女が演じている泥川七音(ナオ)は、貧困から抜け出すため、生きるために闘い続けるボクサーだ。第1話から彼女を襲う厳しすぎる試練も、ストーリーが進むにつれて明らかになる七音の過去も、ただただ熾烈。七音の孤独な眼差しは、理不尽な世界に対する怒りと闘志に満ちている。
「お芝居をするうえで、自分の憶測だったり想像だけで演じることは不可能だなと思うほど、七音に続いた不幸があまりにもつらすぎました。簡単には共感できる境遇ではないですし、同情することも安直です。たぶん七音は同情されることを一番嫌うだろうなという思いもあったので、私は七音にただ体を貸すだけでした。カメラが回っている間、七音を客観的に見ている自分がいました」
自分の思想や理想を役に押し付けない、わかったふりをして感情移入しすぎない、キャラクターファーストのアプローチ。七音に体を貸した結果、「体を痛めることの多い日々」になってしまったと振り返る。
「お芝居をするうえで、七音がやりたいことはなるべくやろうと決めました。そのために、七音に貸しても恥ずかしくない体作りを考えました。特に撮影の初期は自分の限度を知らないので、無理をしてしまうことがいっぱいあって、芝居が終わってから体を痛めていることに気づくことも。
『これは、学ばねばいかん!』と思って、アクション監督の方に安全な動き方や、体のケアの方法、力まなくても大きく見える(カメラ前での)身の振り方などを教えていただきました。ボクシングはずっと練習していたので、撮影が進めば進むほど体の使い方がわかったり、体の状態がマシになっていく感じだったのが、少し悔しいところでもあります」
過酷な運命に絶望し泣き叫ぶ七音。そこでゲームオーバーになってもおかしくないが、彼女は絶望や怒りをパワーに変えて、何度でも立ち上がる。そして悪事に手を染めていき、ドロンジョが誕生する。
ドロンジョ誕生の理由を全11話で描く本作は、彼女が七音役のオファーを受けた2年前は、ここまでシビアな内容ではなかった。しかし、時代の移り変わりに呼応するように、脚本の内容が更新されていったという。
「最初にいただいた脚本は、もっとアニメの世界観に近い、非現実的な要素の多いエンターテインメントでした。それが徐々に、この令和という時代に蔓延(はびこ)る問題であったりとか、見る方々が抱えているであろう問題を描く作品になっていったんです」
彼女が言うように、監督や脚本家たちは、デタラメだらけの時代を生きる我々に向けて、このドラマを作り上げている。七音ほどではないにしろ苦しい思いをしている社会的弱者に寄り添う一方で、彼らを取りこぼす社会へ問題提起する。こういった作品に限らず、主役を演じる俳優は、作品の放つメッセージに対して責任を感じるものなのだろうか?
「現場で全うすることが、俳優の責任だと思います。契約したことを守るっていう責任も、(現場以外で)ずっとつきまとっているとは思います。『悪いことをしません』とか。ただ、取らなきゃいけない気がするだけの責任は、取らなくてよい気がします。
みんなが『自分の責任』に縛られすぎて、幅の効かない現場になるほうがもったいない。誰かが無責任にやったことを善処する人や、うまく運用する人がいたら、バランスがいいじゃないですか。だから私はあまりガチガチに責任を背負い込もうとは思っていません。現場で頑張ってできた作品が届いたらいいな、という気持ちです」
後編に続く。
■WOWOW公式YouTubeチャンネルにて第1話全編を無料配信中!
https://youtu.be/EUhgMRysgJY
■連載「NEXT GENERATIONS」とは……
新世代のアーティストやクリエイター、表現者の仕事観に迫る連載。毎回、さまざまな業界で活躍する10~20代の“若手”に、現在の職業にいたった経緯や、今取り組んでいる仕事について、これからの展望などを聞き、それぞれが持つ独自の“仕事論”を紹介する。