外交官のトップである外務事務次官を務め、さらには駐米大使としても活躍した敏腕外交官・佐々江賢一郎氏による連載「元外交官トップ・佐々江賢一郎の超交渉術」。最終回は数多くの困難な交渉の場を経験してきた佐々江氏が“ベストな交渉”について説く。【過去の連載記事】
互いの一線を探り合うことは、互いを理解し合うこと
交渉をする、ということになったときには、もちろんシナリオを考える必要があります。流れを作っていくためには、どんな順番で話すのか、考えていく。
交渉というのは、一方的に攻め続けてもうまくはいきません。特に難しい交渉は、必ずブレイキングポイントがあります。一本調子ではない。
ですから、うまくいかなくて中断したり、場合によっては決裂したりしてもいい。難しい交渉となれば、5回や10回、いや数十回の交渉をしても、まとまらないこともあります。
実は、どこが本当の意味で譲れない一線なのか、相手と探り合っているような状況は、交渉は相当、軌道に乗っていると言えます。箸にも棒にもかからない交渉は、建前でお互いに言いたいことだけ言って、交わっていかないからです。つまり、どのあたりが限界なのか探り合うことは、理解し合うことでもあるのです。
私も大変お世話になった外交評論家の故・岡本行夫さんの『危機の外交 岡本行夫伝』に出てきますが、岡本さんの上司だった当時の駐米大使の牛場信彦さんが、日米交渉で大胆な交渉をしたといいます。
譲れるところ、譲れないところを小出しにしていくのではなく、最初にドーンと出して、もうこれ以上はない、と言ってしまう。ただし、この場合は、相当お互いを信頼していないといけません。しかし、こういう思い切った交渉もあるわけです。
最初は信頼できなくても、交渉をしているうちに、なんとか交渉をまとめたいという共通の目標が出てきて、成功に近づいていく場合もあります。一方で、最後の最後まで後味が悪い、というものもある。それは、国家や情勢から交渉の自由度がない場合もあるからです。
完全な勝利はベストな交渉ではない
最も危険なのは、実は交渉がうまくいき過ぎることです。国内で高く評価されるような交渉を実現させてしまう。しかし、これは後に禍根を残すことが少なくありません。相手からすると、自分たちばかりが損な条件を飲まされたのか、と思ってしまうからです。交渉は、五分五分の決着がいいのです。
第一次世界大戦後、戦勝国が勝ち過ぎてしまい、敗戦国のドイツにしこりを残してしまいました。これが、第二次世界大戦につながっていった歴史もあります。
外交のプロフェッショナルの立場からいえば、国内でもほどほどに不満が残り、相手側にもほどほど不満が残るくらいがベストな交渉なのです。
ロシアとウクライナのこれからの交渉は、極めて難しいものになるでしょう。交渉と戦闘状況が裏表になっている。戦闘しながら交渉を考え、交渉をしながら戦闘のことも考えないといけない。
ロシアのウクライナ侵攻は、世界中にいる日本の大使を激しく動かしたと思います。まずは情報収集です。赴任国がどういう考えで、どういうことをやっているのか、やろうとしているのか、その方針は何かを探る。
そして、それぞれの国の政府や情報機関もありますから、赴任国を通じて、情報を収集する。それを東京に報告するわけですが、その過程で日本の立場を伝える、ということも必要になってきます。
日本はG7の一員として欧米と協調するという路線を取っていますから、それを赴任国に理解してもらわなければいけません。また、欧米がどのような制裁措置などを打ち出していこうとしているのかをできるだけ早く察知して、東京に報告する。東京も早く検討したほうがいいですよ、となるわけです。
そしてこういうときに、日頃の信頼関係が大きな意味を持ってきます。普段、たいして話もしていないのに、大事な話をしてくれるはずがありません。だからこそ、日常的によい関係を作っておかなければいけないのです。
また、特に同盟国については、日本に対しての期待値が高まり過ぎていることもある。そういうときには、水をかける役割をするのも大使の役割です。だから、赴任国で何が起きているか、ということに加えて、本国である日本国内に何が起きているかもしっかり把握しておかなければいけません。
常に耳をそば立てて、情報をもとに考え、話す。交渉においてそれを忘れてはいけません。
Kenichiro Sasae
1951年岡山県生まれ。東京大学卒業後、外務省入省。北米第二課長、北東アジア課長、内閣総理大臣秘書官、総合外交政策局審議官、経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官、外務事務次官などを歴任する。2012年には駐アメリカ合衆国特命全権大使に就任。’18年より日本国際問題研究所の理事長を務める。