2021年のシーズンを最後に現役を引退した阿部勇樹。彼は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。今回は、2020年12月から2021年1月にかけて連載された水上主務編をまとめてお届けする。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~】
阿部勇樹がリハビリで改めて感じた大切な人とは
当たり前にサッカーができる日常は、実は当たり前ではなく、それを可能にしてくれる人たちがいるから、成立しているということを忘れてはいけないし、レッズへの愛情に溢れた彼らの分まで、僕らは頑張らなくちゃいけない。
なぜ、今日も滞りなくトレーニングができたのか? 試合ができたのか?
そのことを日々意識し、サポートしてくれる方たちも含めて、ファミリーとして団結すれば、その輪がどんどん大きくなることが、大切だ。
今回はそんな黒子のひとり、水上裕文さんについて話そうと思う。
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阿部勇樹が長くサッカーを楽しむために教わったこと
さまざまな監督のもとで仕事をし、数多くの選手たちを見てきた人だ。レッズに在籍した選手の数は少なくない。それを考えればJリーグの生き字引かもしれない。若手が成長していく過程、主力として自信をつけていく様子、そして、クラブを去っていく選手もたくさん見送ってきた。ベテラン選手が引退していく生きざまにも触れてきたに違いない。
だから水上さんと言葉を交わすことで、たくさんの気づきが得られた。
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阿部勇樹が信頼する、浦和レッズの影のムードメーカーとは
常にチームに帯同していた水上さんは、試合前のアップのときにはゴールキーパーにロングキックを蹴ることも多かった。那須大亮が出場するとき、那須の要望で、気合いを注入するように彼の背中を叩いて送り出していたのも水上さんだった。以前ACLで相手選手と衝突したときも、選手を守るために戦ってくれた。浦和レッズを見続けているファン・サポーターにとっても、水上さんの存在は大きなものだったに違いない。
チームがうまく回るよう陰に日向に動いてくれていた。その気の配り方は、チーム内、クラブハウス内だけでなく、練習場やスタジアムの周囲のことにまで苦心されていたと感じる。
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阿部勇樹、中村憲剛引退表明で思ったこと
練習の前後にボールを蹴るとき、僕の相手をしてくれたのが、当時主務だった水上裕文さんだった。今はフットボール本部強化担当へ異動したので、練習時のグラウンドに水上さんはいない。20数年間もトップチームに帯同してきたから、水上さん不在の違和感はしばらく消えなかった。
僕は水上さんと話すのが好きで、よく話をした。
浦和レッズの歴史の話もよく聞いた。所属した歴代の選手のことや監督、チームの状況などを知るなかで、僕自身もレッズの一員としての覚悟を身につけたと思う。
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