阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。水上主務編2回。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~30】
オンとオフのスイッチ
僕が浦和レッズへ移籍した時、その会見の場まで送迎してくれたのが当時主務の仕事をしていた水上裕文さんとの最初の出会いだ。その日は冬の晴れた日で、日差しも強かった。サングラスをかけて、革のジャケットを着た水上さんが放つオーラは、今でも忘れられないほど強烈で。とにかく頼りになる人だということが伝わってきた。初めての移籍だったけれど、戸惑いもなくサッカーに集中できたのは、水上さんのおかげだった。
水上さんは20年以上、浦和レッズの主務の仕事をしてきた(今は異動し、フットボール本部強化担当)。
まさに浦和レッズの生き字引と言えるひとりだろう。いい時も悪い時もすべてを見てきた人だから。
さまざまな監督のもとで仕事をし、数多くの選手たちを見てきた人だ。レッズに在籍した選手の数は少なくない。それを考えればJリーグの生き字引かもしれない。若手が成長していく過程、主力として自信をつけていく様子、そして、クラブを去っていく選手もたくさん見送ってきた。ベテラン選手が引退していく生きざまにも触れてきたに違いない。
だから水上さんと言葉を交わすことで、たくさんの気づきが得られた。
そんな水上さんの言葉は、プロ選手として大切なふるまいを教えてくれる。浦和レッズの選手として必要なことを水上さんから僕は学んだ。
そのひとつが、オンとオフのスイッチの入れ方だ。
楽しく騒ぐ時間も大切にしながらも、それが許されない場面もある。
「今はそれをする時じゃないだろう」と叱られたこともあった。
そういう言葉だけでなく、水上さんの様子を見ていると、そのオンとオフの切り替えこそが浦和レッズなんだと思えた。
僕自身、ジェフ千葉時代は、ストイックにサッカーと向き合うことだけを重視して、そういう日常を送ってきた。言ってみれば、心のゆとりはわずかだったし、リラックスする術も知らなかったのかもしれない。そんな僕にオンとオフをうまく使い分けることが大切だと水上さんや浦和レッズの仲間たちから教えられた。だから、こんなに長くサッカーを楽しめているのかもしれない。
水上さんは優しい人だが、同時に厳しい人だ。場をわきまえず、周囲の集中力を削ぐような行動は許さない。そして、集団生活を乱す行動やふさわしくない行動をとる選手に対しても厳しい。たとえば、共有スペースであるロッカールームを片付けられないとか、ゴミをゴミ箱に捨てられないとか……そんなふうに小さな規律を水上さんが重んじてくれるから、チーム内に大きな規律が成立できたんだと思う。
だけど、いつも口うるさいだけじゃない。その言動に愛情が感じられたし、誰に対しても変わらないスタンスが、選手からの信頼につながっている。水上さんは在籍している30名近い選手のことを常に見ていたと思う。話をするたびに「よく見てくれているなぁ」と嬉しくなった。だから、選手は安心感を抱いていたんだと思う。
僕ら選手は困ったことがあれば、まず水上さんに相談する。
浦和レッズというクラブのこと、選手のこと、浦和という町のこと、あらゆる情報を持っている水上さんに聞けば、最適な答えに導いてくれた。その仕事の担当ではなくとも、いつも広い視野で物事や現状を見ている人だから、「水さんに聞けば大丈夫」と思っていたし、実際、それで大丈夫だった。
選手として、先輩や同僚、そして監督に育ててもらった。でも、水上さんのようなスタッフの存在が、僕らを育ててくれた部分も実は大きい。
だから、若い選手は水上さんの話を聞くことで、浦和レッズの歴史と、クラブを知ることができると思う。そして、プロとしての在り方を学べるはずだから、もっともっと若手や選手にアドバイスしてほしい。