本連載「コロナ禍のアスリート」では、まだまだ先行きが見えないなかで、東京五輪メダルを目指すアスリートの思考や、大会開催に向けての舞台裏を追う。
風向きが変わった2月の東京都オープン
復帰後の発言をたどると、本人の想定をも上回る驚異的な復活曲線が鮮明になる。競泳女子で東京五輪日本代表に内定した池江璃花子(20=ルネサンス)は、今月17日に都内で開催された所属する日大水泳部の壮行会で「東京五輪では池江璃花子が世界に戻ってきたことを証明したい」と宣言した。
約8ヵ月前。昨年8月の東京都特別水泳大会で594日ぶりにレース復帰した際は「第二の水泳人生の始まり。徐々にタイムを出してパリに向かって行きたい」と2024年パリ五輪を目指す方針を示し、東京五輪に触れることはなかった。
初めて公の場で東京五輪に言及したのは今年1月の北島康介杯だった。100m自由形で、東京五輪選考会となる日本選手権の参加標準記録を突破。第1関門をクリアしたが「今日泳いでみて(東京五輪)出場のチャンスがあるのか、疑問が生まれた。勝負の世界は甘くない」と否定的な言葉が並んだ。
風向きが変わったのは2月の東京都オープン。50mバタフライで復帰後初めて優勝し「アスリートとして狙っているところはみんな一緒だと思う。東京五輪に向けて全力で頑張る」と初めて本気で“TOKYO”を目指す方針を打ち出した。
今月4日に日本選手権の女子100mバタフライで優勝して、女子400mメドレーリレーの代表に内定すると「世界と戦えるタイムではないので、さらに高みを目指したい」と意欲。この大会で50mと100m自由形、50mバタフライも制して4冠を達成すると「東京五輪に出るからにはしっかり自分の使命を果たさないといけない」と結果にこだわる姿勢を鮮明にした。
代表権を獲得したのは400mリレーと400mメドレーリレーの2種目。日本水連が設定する個人種目の派遣標準記録は突破できなかったが、国際水連の定める参加標準記録はクリアしており、本番では個人種目にも出場する可能性が高い。五輪を含めた過去の世界大会では、選考会で派遣標準記録突破選手が出ずに出場枠が埋まっていない種目を、リレーや他種目で出場権を得た選手が泳ぐことが通例。今回も同様の対応が取られる見通しだ。
日本選手権のタイムは100mバタフライが57秒77、100m自由形は53秒98。池江は「五輪までにあと1秒上げるつもり。記録が伸びていく自信しかない」と力を込める。仮にちょうど1秒短縮すれば’19年世界選手権でバタフライは4位、自由形は5位に相当。'16年リオ五輪では自由形は銅メダルに相当し、個人種目での表彰台も視野に入ってくる。
「東京2020で世界記録!」
今後はスタートとターンが課題となる。闘病中の抗がん剤治療の際は一日に何度も吐くなど食欲が全くない時期もあり、体重は一時15キロ以上も減少。昨夏以降は練習中に捕食を食べるなど"食トレ"を行った。3月の合宿中には夕食後にラーメンを平らげるなど現在は食欲旺盛だが、まだベストより約9キロも軽い。
パワー不足は否めず、日本選手権でもスタートからの浮き上がり、ターンの切れには改善の余地がみられた。昨夏のレース復帰後は飛び込み練習を欠かした日はなく、今後体重が増えてパワーが戻ればタイムの大幅短縮も期待きでる。「3カ月でどれぐらい自分の記録が伸ばせるか楽しみ」と今後は5月のいきいき茨城ゆめカップ、6月のジャパン・オープンで実戦を積む予定だ。
'19年12月の退院直後は歩くだけで呼吸が乱れた。懸垂は一回もできず、幼少時代に遊んだ雲梯(うんてい)にもぶら下がるのがやっとだったが、レース復帰後は泳ぐたびに記録を更新。昨年は体調を考慮してやらなかった1日2度の練習を今年に入ってからは週1回のペースでこなせるようになった。
誰もが予想だにしなかった東京五輪出場は、大会が1年延期にならなければ実現しなかったシナリオ。自宅の壁には、病気判明前に目標を書いた紙が貼られたままになっている。「東京2020で世界記録!」。早くも国内では敵なし。女王に返り咲いた池江からは五輪本番でもサプライズを起こす雰囲気が漂っている。