世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2011年7月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
現在というものに一切を賭けたのだ
――『ゲーテとの対話』より
不安な時代だ。アメリカもヨーロッパもこの先が見えない。私たちの国の復興は進んでいる印象に乏しく、エネルギーの問題も今後の方向性が示されないままだ。近隣諸国ともトラブル続きで、売り言葉に買い言葉、外に対して威圧的な方向に走ろうとする世論が双方ともに目立つようになってきた。知り合いの高齢者が「どこか戦前に似てきた」と漏らしたが、あながち間違いではないだろう。こうなってくると、それぞれの生き方も否応なしに影響を受ける。私のようにフリーで仕事をしている者は、立ち位置以前に経済の問題がある。この先をどう捉えていくか。どんな仕事をすべきか? ひょっとしたらこのまま滅んでしまうのだろうか?
眠れない夜がある。悶々としたまま時は過ぎていく。仕方がないことだとは思う。
だが、人生の正体は時間なのだから、未来への不安で押しつぶされそうになったり、過去のある時代を嘆いてここにある一秒を忘れてしまうことは、できるならば避けたいと思う。時間は「今」の連続でしかない。未来や過去は脳のなかにはあっても、手で触ることはできない。
あくまでもイメージだが、眠れない夜、私は土に戻ることにした。滅ぶのが恐ければ、それを恐いと思っている自分を一度滅ぼしてしまうのだ。私は大地になり、草を生やし、虫や小鳥たちを遊ばせる。形すらないのだから、苦悩は消えた。なんだ、こんなことかと思う。月光は私を仄かに輝かせ、霧のような安寧を降らせる。そこでようやく私は眠りにつける。そして朝、私は生まれる。一日を生き抜く新しい命として。
たった一日の人生がそこで始まる。夜、私はまた土に戻るので、懊悩に浸っている暇はない。むろんそれがないわけではないが、苦悩は思いのほか時間を食う。時間の側面から見れば、悩むというのは贅沢の一種なのだ。そう自分に言い聞かせ、せめてなにかひとつ生み出して今日を生きようと思う。ならば、必要なものは集中力だ。現在という時間をどう深く味わうか。そこにかかっている。
ずいぶん一本気な感じもするが、そんな立派なものではない。あくまでも心を安定させるためのイメージなのだ。それで多少、色合いは変わってきたような気もする。
詩人の感性とは、現在と結び合うことなのだとゲーテは説いた。その感覚が救うのは詩人だけではないだろう。あらゆる人々が今、「今」を生きることによって不安を遠ざけることができるのではないか。
――雑誌『ゲーテ』2011年7月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。