世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年8月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
新しい国土の観察が思考的な人間にもたらす新生命は、何物にも比較されない独自なものである
――『イタリア紀行』より
ゲーテはイタリア遊学中の二年間の多くをただ一人の「気にも留められぬ者」として過ごそうとした。すなわち偽名を使い、イタリア語を話し、周囲にはゲーテだとばれぬように努力した。二十代で発表した『若きウエルテルの悩み』がヒットしたことで、詩人ゲーテの名声は全ヨーロッパに響き渡っていたからだ。
ゲーテ本人が旅をしているとわかれば、瞬時に周囲の人々からの羨望と嫉妬、加えて質問の渦に巻き込まれるだろう。それをゲーテは望まなかった。ゲーテは観察される側ではなく、観察する側としてイタリアに身を置きたかったのだ。全身を目や耳にして、未体験の地の歴史と自然、芸術を「観て」「聴いて」回りたかった。宿屋の主人から貴族に至るまで誰とでも、時には自分を逮捕しようとする夜警とまで彼は言葉を交わし、その逐一の記録をとり、自分のなかの判断の材料とした。三十年近く後にようやく筆をとることになるこの旅の体験を、彼は言葉を受け取ることによって体系化していったのだ。
なにかを主張するためではなく、ただ観るために、ただ聴くためにあり続けるためには、無名というマントを羽織ることがもっとも有効だったのだろう。こちらの正体を知り、相手が身構えてしまえば、自然な言葉はもう望めないからだ。
ひるがえって現代の私たちはそこを誤解している節がある。なにかを取材したり、相手から情報を聞き出そうとする時、それを得ようとする者がまずちらつかせるのは力の一種だ。それは新聞社やテレビ局の名前であるかもしれないし、自分の言説がどれだけの影響力を持つかというひけらかしであるかもしれない。応じる側はそれでもなにかを言うだろうが、果たしてそれは人間の自然なところから出てきた言葉であるのかどうか。
とまれ、俺が俺がと主張しなければ世間から置いてきぼりをくらったような気にさえなるこの風潮のなかで、私たちは受け身に徹する謙虚さを失いつつある。それは、ものを観る目や聴く耳を退化させてしまうことなのかもしれない。三十年後にもなお突き動かされるような発見や自己熟成の経験を、今のやり方で得られるのだろうか。
――雑誌『ゲーテ』2010年8月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。