ルネサンス以来の再定義を求められる現在、困難な道は数多かれど、 チャンスに満ち溢れているという重松象平(しげまつ・しょうへい)氏。国内外でひっぱりだこな彼の思考法に迫る。
コンセプトとストーリーをチームで作り上げる
滝川 重松さんは建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)のパートナーであり、さらにニューヨーク事務所の代表として、アメリカを基点に世界中で活動されています。手がけられる案件の幅広さが印象的でもあります。先日は、パリ装飾芸術美術館からアメリカに巡回してきた、クリスチャン・ディオール70周年記念展の会場デザインも担当されたとか。
重松 都市計画から展覧会のデザインまで、多様なスケールに関わっているので、意外と思われる案件も多いかもしれませんね。マクロな視点で都市的なコンテクストを分析し、そのうえで建築のありかたを考える、という手法でずっとやってきました。現在は超高層複合ビル、高層コンドミニアム、企業の本社屋、美術館、公園など、20ほどのプロジェクトが進行中です。
滝川 建物だけを設計するわけではないということですね。
重松 建築というと、個人の作風という印象が強いかもしれませんが、実は「建築家やエンジニアたちとチーム全体で、空間や環境をよりよくするためにできることを考える」というのが真のプロセスなんです。というのも建築は、クライアントを含め、関わる人々の「環境」を再考する際の最良のプラットフォームになるから。例えば本社ビルの建て替えだったら、企業が抱える問題やアイデンティティ、ビジネスモデルの変化、働き方の未来など、さまざまな要素について議論してから、設計する必要があります。これは展覧会の会場デザインでも同じなんです。メインテーマのストーリーから展示物1点1点のストーリー、キュレーターの意向をすべてダウンロードし、理解してから設計を考え始めます。
滝川 アウトプットのイメージが強いですが、実際はインプットの量がすごいのでしょうね。
重松 建築って半分はコミュニケーション・デザインだと思っています。デザインチーム内はもちろん、クライアントや現場の人たち、そして実際にその施設を使う人たちなど、幅広い層の人に通じる、明確なコンセプトとストーリー性が必要であって。都市の中の建築も、そのストーリーが伝われば、見るだけで楽しい景観になると思うんですよ。例えば東京なら、渋谷のヒカリエとか面白いですよね。オフィス、シアター、ショップと各機能が明確に表れていて、それが積み木みたいに重ねられて連動しているから、高密都市の複合化のストーリー性が伝わってきます。
滝川 重松さんは日本では今、どのような案件を?
重松 もうすぐ工事が始まる福岡の複合ビル、天神ビジネスセンターと、東京で2023年完成予定の虎ノ門ヒルズ ステーションタワーが進行中です。
滝川 福岡ビッグバンはかなり注目を集めていますよね。虎ノ門の完成形が見られるのはオリンピック後なんですか?
重松 オリンピックバブルとはあまり関係ないほうが、僕はいいかなと思っているんです。この建物は東京の新しい軸線である新虎通りと、日比谷線新駅「虎ノ門ヒルズ駅」と直結しているので、東京のネットワークに寄与する建築になるだろうなと。
滝川 どのような構想が?
重松 超高層ビルってあまりにも大きくて複雑なので、どうしても内向的になりがちで、周辺の街並みとの接点や連続性がつくりづらいんです。その問題を少しでも解消するために、既存の虎ノ門ヒルズからブリッジ状の公園を架けてつなげます。さらにその公園が、建物のど真ん中を突っ切るという大胆なデザインを採用したので、もう少し心地いい空間が都市に広がるのではないかと考えています。
滝川 ニューヨークのハイラインのような?
重松 そうそう。東京は多様な街並みが混在するユニークな都市で大好きですが、パリやロンドンに比べると公園のようにゆったりと過ごせる公共空間が少ないですよね。ニューヨークの観光客を見ていると、かつては建物や美術館がメインでしたが、最近はハイラインのような公共空間を訪れる人が増えています。日本の都市も、公共空間のデザインやプログラムがもう少し、現代的になってきたり工夫されてくると、さらに魅力的になるはず。そんな公共空間のネットワークを官民が共同でどうつくるかが、今後重要な課題になってくると思います。
再定義が迫られるピンチこそ変化のチャンス
滝川 先ほど建築はコミュニケーションだとおっしゃいましたが、日本人って一般的には、コミュニケーションが得意ではないといわれますよね? 衝突や議論を避ける傾向が強いですし、建築業界でいうと徒弟制が根強いイメージもあります。そういう部分も、都市の景観に関係しているのでしょうか。
重松 建物自体の訴求力の強さを考えると、もちろん建築家個人の主観的な美的感覚も大事です。日本では、昨今寡黙でミニマルな建築が評価される傾向があるかと思います。それはそれでいいのですが、もっと多様な建築の方向性を受け入れると都市体験も楽しくなると思います。
滝川 チーム力を重視する考え方は、母体であるOMAの環境も影響しているのでしょうか。
重松 そうですね。僕は’73年生まれの就職氷河期世代で、大学を卒業してすぐ海外に出ました。それから10年ヨーロッパにいて、アメリカに11年。約20年間OMAという国際的な環境に身を置いて、コラボレーションの大切さを学んだことは大きいです。ただ最近は、今が大きな時代の転換期であることも強く感じます。現在の社会の劇的な変化は、ルネサンス期に匹敵すると僕は思っていて、個人の感性やひとつの分野だけで通用する時代では、もうないんじゃないかと。
滝川 大学ではどのように教えていらっしゃるんですか。
重松 ストーリー性を重要視して、コンセプトから最終デザインにいたるまでを1冊の本にまとめさせるようなことをしています。建築は多くの人が関わりスパンも長いから、明確な方向性がないと途中で混乱してしまいます。でも、そうしてきちんと全体を把握したシンプルで強いアイデアが軸にあればブレない。建築家はアーティストではないから、パッと感覚的に生まれたアイデアでも、論理的に説明できなければなりませんし。
滝川 本の形にすることは、個人的な感覚を、客観的な言語にしていく訓練にもなるんですね。
重松 それともうひとつ、常に意識しているのは、時代の変化を自分で読み取り、それを建築に昇華する能力を鍛えること。これまで建築学科の授業は、設計課題を与え、過去の事例を参考にしながら設計を勉強していくといった知識の蓄積がメインでした。でもこれだけ技術が進歩し、社会が劇的に変わっていく時代では、建築も知識の蓄積よりも、変化に対応する能力のほうが重要だと僕は思っていて。
滝川 ご自身もリーマンショックや9・11など大きな出来事のあと、案件がキャンセルになったというお話がありました。
重松 大きな計画であるほど、災害や政治経済の影響に直撃されますね。右肩上がりだとつくれるだけつくって、下がると停止、というのは職業的にも困るし、そういうクライシスの後ほど機動力を上げていくべきです。以前、大学で学生とリサーチしたんですが、面白いことに、不況時はたくさんの発明や歴史的な学術的マニフェストが生まれていることがわかったんですよ。
滝川 ルネサンスとか?
重松 大恐慌のあとも。なぜかというと、そこで現状の再定義が迫られるからです。建築もまさに今、他の業界と同じように再定義を迫られている状況です。だからこそエキサイティングな時代でもある。むしろ変化を建築に表現できるチャンスですし、学生にもそう伝えています。
滝川 これまでの常識が通用しなくなる時代は、新しい発想が生まれる土壌でもある、と。
重松 状況的に建物をつくるのが難しくても、公園などパブリックスペースのデザインやソフトの提案など必ずできることがありますよね。だからこそ建築家の職能を拡張しようと意識してきましたし、それが虎ノ門タワー周辺のパブリックスペース・デザインにもつながっています。建築家という職業を選んだ自分には、人類の生活の変化を観察し、理解し、改善していく使命があります。都市開発も、ニューヨークやパリ、ロンドンがゴールではありません。常にその時代に合った、新しい形を模索していきたいですね。
Shohei Shigematsu
1973年福岡県生まれ。’96年九州大学工学部建築学科卒業後、オランダへ留学。’98年よりOMAに所属、2006年よりOMAニューヨーク事務所代表。主な作品に、コーネル大学建築芸術学部新校舎、ケベック国立新美術館など。現在、マンハッタンのサザビーズ本社屋、ニューミュージアム新館などが進行中。Instagram @shohei_shigematsu Twitter @sho_shigematsu