サッカー日本代表引退を発表した長谷部誠。2011年に発刊された自身の著書『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』は、アスリートの著作として初のミリオンセラーを記録、日本中を席巻し、大ブームとなった。この一冊の企画・編集を手がけた雑誌「ゲーテ」編集長・二本柳陵介が、当時を振り返る。史上最高のキャプテンは、どのようにして誕生したのか?
2009年の秋のことだ。
翌年の南アフリカワールドカップに向けて、2010年4月売りの雑誌「ゲーテ」で、サッカー日本代表選手で表紙を組みたいと企画し、4人の選手にお願いをすることにした。
おそらく23人に選ばれるであろう選手にお願いしたいと思った私は、大黒柱・中村俊輔選手、長友佑都選手、岡崎慎司選手、長谷部誠選手に依頼した。ただ、その4人に一気に集まってもらうのは難しいので、取材は3回に分かれた。
中村選手を六本木のホテルで、岡崎選手を六本木のスタジオで、長友選手と長谷部選手を、中目黒のスタジオで撮影し、のちに合成をした。
中目黒のスタジオに長谷部誠選手が入ってきた。2009年だから、当時の年齢は25歳だった。
「初めまして、長谷部です」
そう言って、両手で握手をしてくれた。「おぁ、律儀な人だ」と思った記憶がある。と同時に、私は彼の左腕の時計に目がいった。使い込んだロレックスが腕に巻かれており、「サッカー選手でロレックスというのも、なんだか珍しいな」と思ったし、彼の人柄にとてもマッチしていた。
詳細は忘れてしまったが、長友選手が撮影の時には長谷部選手のインタビューをし、長谷部選手が撮影の時には長友選手をインタビューした。
その日の撮影スタッフは、みな顔見知りで、とても和気藹々としていた。ただ、撮影の時に和気藹々の度合いというのは、実はとても難しく、長谷部選手をインタビューしている時は周囲が騒がしく、私は少し集中力を欠いたまま、いや、少しイライラしながらライターさんと共にインタビューしていた記憶がある(その場をコントロールするのが私の仕事でもあるのだが……)。
「うるさくて申し訳ないな。集中できないかも?」と思っていたのだけれど、長谷部選手はとても集中して真摯に答えてくれていた。ライターさんと私の目をしっかりと見て、誠実に話してくれた。
その姿を見て、私はとても感動した。
「なんだ、この男の集中力は」と。質問に対して、誠実に答えている姿に目を奪われた。サッカーが好きな編集者としては、彼の本を作って見たいと、衝動的に思ったのだった。
少し話が変わる。
2006年頃からだと思うが、新書がブームになり、新書の中身、企画が変化していた時があった。幻冬舎も幻冬舎新書を立ち上げ、ヒット作を飛ばしていた。こんな企画の新書もありなんだ? という本がいくつもあった。そのブームにあやかりたい……(笑)
そこでライター寺野典子さんと幻冬舎の袖山さんと作った新書が中村俊輔の「察知力」だった。スポーツの本は売れない、と言われるなか、23万部のベストセラーになった。
以降、なんとなく自分の頭の中にあったのは、「サッカーの単行本でヒットを出したい」という想いだった。サッカー選手の生き方が、一般の方々に参考になるという手応えが「察知力」のヒットで生まれたのだと思う。その燻っていた考えが長谷部選手との出会いによって「この人だ!」と閃いた。
会社に帰り、長谷部誠選手の資料を集めた。ネットだけではなく、大宅(壮一文庫)でも検索したと思う。そして、その日の夜に「心を整える。」のベースとなる企画書を作り上げた。普段から、企画書は1枚にまとめるようにしていた私だが、前のめってしまって計3枚くらいになったと思う。
深夜、前日の取材のお礼と共に、想いを込めた暑苦しい企画書を当時のマネジャーに送った。
続く