最初のiPS細胞(※1)論文を発表してから、今年で10年の節目を迎えます。「ノーベル賞を受賞して人生が変わったのではないですか?」とインタビューなどで質問されることがありますが、私の人生が変わったのは、iPS細胞を作製した瞬間です。
Study1「iPS細胞論文発表から10年の時を経て」
大切なのはビジョン、そしてハードワーク
当時、40代前半でした。研究者になる前は、整形外科医として働いていました。名医でも治せない病気やケガがあることを目(ま)の当たりにする日々のなか、父をC型肝炎で亡くしたのです。それがきっかけとなり、難病で苦しむ患者さんのために新しい治療法を見つけたいと医師をやめ、基礎医学に進路変更。本格的に学ぶため、グラッドストーン研究所に留学しました。
そこで教えてもらった「VW」という言葉を今も大切にしています。Vision(長期的目標)のV、Workhard(ハードワーク)のWです。「研究者として、また人間として成功するにはビジョンとハードワークが必要で、どちらが欠けてもダメだ」と当時の所長、ロバート・メーリー先生が話され、心動かされました。
クローン羊・ドリーも今年で生誕20周年
帰国後、研究が思うように進まず、うつ病のような状態になり、研究をやめる一歩手前のところまできたことも。その後、幸運にも奈良先端科学技術大学院大学に助教授として採用され、自分の研究室を持たせてもらうことができました。こうした恵まれた研究環境のなか、〈ヒトの胚(はい)を使わずに、体細胞からES細胞と同じような細胞を作る〉というビジョンを持ち、私とともに日夜研究に励んでくれた学生や同僚たちのハードワークによってiPS細胞を作製することができたのです。これにより、2012年ノーベル生理学・医学賞をいただきました。
この10年はあっという間で、iPS細胞を実用化するための研究は私が想像していた以上に進展しました。目の疾患である加齢黄斑変性(かれいおうはんへんせい)だけでなく、パーキンソン病、血液疾患など、さまざまな病気について臨床応用に向けた道筋も見えてきました。iPS細胞実用化に向け、これからが正念場だと思っています。日本で生まれたこの技術を用いて新たな治療法を開発し、一日でも早く患者さんのもとに届けるというのが、私たち京都大学iPS細胞研究所のビジョンです。まだまだ10年、20年とかかる長丁場であり、頑張ってくれている教職員の長期雇用をどう確保するかが、所長としての最重要課題です。そのために、マラソンに出場して寄付を呼びかけたりもしています。
※1 iPS細胞:人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)。ほぼ無限に増殖することができ、さまざまな細胞に変化できる能力を持つ。再生医療や薬の開発への貢献が期待されている。
山中伸弥の今月のひと言。
iPS細胞作製に影響を与えた研究のひとつである、世界初のクローン羊ドリーも今年で生誕20周年を迎えます。9月に「ドリー誕生20周年シンポジウム」がスコットランドで開催され、ゲストとして講演を行いました。日本だけでなく海外でも講演する機会が多いため、実は今でも日々、英語の勉強を続けています。講演を行う時は、聴き手に合わせた内容になるよう心がけていて、当日、会場の様子を見てから、スライドを変更することもあるんです。今回、観光はできませんでしたが、国立スコットランド博物館のドリーの剥製と写真を撮ることができ、科学は色々な研究の積み重ねであることを改めて感じました。
そして、本編でお話した「VW」は、当研究所の教職員たちにも伝えていることです。日々、各研究者がそれぞれのビジョンを持ち、研究に励んでいます。この言葉の他にも、アメリカ留学時代に教わったことで今も実践していることがありますので、後々、こちらの連載でお話できればと思います。よろしければ、次回も読んでいただけますと幸いです。
*本記事の内容は16年10月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。 14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)