フランス発祥の“泊まれるレストラン”、オーベルジュが活況だ。その土地ならではの食材の恵みを慈しみ、料理人の技術とセンスを盛りこんだ感動すら覚えるひと皿を目的とする旅。2023年から今夏に向けて続々とオープンする新オーベルジュを中心に、恍惚の味わいと憩いの時を紹介する。今回は、静岡・伊豆高原の「bekka izu(ベッカ イズ)」。【特集 オーベルジュの誘惑】
皿の上に表現された、唯一無二のテロワール
品川駅から観光特急列車「サフィール踊り子」に乗って約2時間。伊豆高原大室山の麓に、2024年3月にオープンした1日1組限定のこぢんまりとしたオーベルジュ「ベッカ イズ」がある。5名まで宿泊できる2ベッドルームの一軒家は、ナチュラルな風合いの国産木材をふんだんに取り入れた別荘のような佇まいで、誰の目も気にすることなく、自分たちらしく休日を楽しむことができる。
ここにはホテルのようなエントランスはない。別荘と違うのは、そこに料理人がいるという点だ。ラウンジの奥にあるダイニングは間仕切りによって独立しており、朝夕の食事は調理場を囲んだカウンターテーブルで供される。
料理を担当するのは、ドイツ・デュッセルドルフにある星つきフレンチレストランで修行し、ホテルの料理長を務めた経験を持つ大塚一樹シェフ。大塚氏は自ら開墾もする畑で自然農法の野菜づくりを行っており、手間暇かけて育てた新鮮な野菜をふんだんに用いた、オリジナリティ溢れるファーム・トゥ・テーブルのメニューを展開する。
そして給仕に当たるのが、大塚氏の妻でマネージャーの愛子さんだ。「ベッカ イズ」は、このドイツ帰りの夫婦が自分たちの理想を突き詰めた結果、辿りついたひとつのスタイルを具現化したものであり、シェフズテーブルを超えた“シェフズオーベルジュ”なのだ。
和食のバックグラウンドも持つ大塚氏は、引き算を繰り返して削ぎ落とすことで、食材の魅力を引き立てることを得意とする。野菜のほかにも、定置網で揚がる朝獲れの魚、天城軍鶏、伊豆牛、さらには天城深層水といった、伊豆のテロワールを感じさせる素材選びはもちろん、その調理法や器まで、細部にこだわり尽くした心地よい食体験でゲストを迎えてくれる。
飾ることのない、日常の延長にあるささやかな贅沢に、心の真ん中が優しく満たされていく。
この記事はGOETHE 2024年8月号「総力特集:オーベルジュの誘惑」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら