2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
全国の料理人が愛用する手作り行平鍋
日本の台所には、必ずといっていいくらいある煮炊き用の行平鍋。魚のウロコのような柄が特徴的なこの鍋の名前は、平安時代の歌人・在原行平に由来するという説と舞い散る雪のような柄という説がある。この行平鍋作りで、最高峰といわれているのが大阪府八尾市の有限会社姫野作.の姫野寿一さん。大正13年、約100年前に祖父が立ち上げた鍋作りの工場を姫野さんが継いだのは、30歳のときだった。
「子どものころは毎日カンカンと鍋を叩く音が聞こえてきて本当にイヤだったんです。実際に継いでからもうるさいし、大変だし、おまけに作っても売れ残る(笑)。どうしてうまく作れないんだ、売れないんだと意地になって鍋作りを追求するようになった。いかに均等にきれいに打つか、道具や座り方、力の入れ方などとことん考えてきました」
現在は、全国に10軒もないという手作り鍋の店。全国の料理人が愛用する姫野作.の行平鍋の特長は、熱伝導率が高く、熱ムラがないこと。
「槌目を入れることで素材が強くなり、さらに鍋肌が広がることで熱伝導率が高くなり、食材を早く均一に煮ることができます。一般的な行平鍋は厚さが2㎜ですが、うちのは3㎜。そのほうが丈夫で保温性が高く、安定感がでるんです」
「行平鍋の素材はアルミが多いんですか?」(中田英寿)
「アルミか銅がほとんどですね。一度、金の鍋を作って欲しいといわれて見積もりをとったら1000万円以上になって実現しませんでした(笑)」
注文の半分はオーダーメイド。大きさ、素材、柄の付け方など、使い方やこだわりにあわせて鍋を打つ。
「いろいろな注文がありましたけど、いちばん変わっていたのは花園ラグビー場前にある近鉄・東花園駅の駅舎に飾ってある大きなラグビーボールかな。あれは大きくて大変でした」
毎日、ひたすらに鍋を打ち続ける日々。それでもゴールは見えてこないという。
「まだ一度も満足したことがないんですよ。でもだからこそ飽きずに続けていられるのかな」
リズミカルに響く鍋打ちの音は、慣れてくると心地よい音楽のようにも思えてきた。その音が日本の味を支えているのだ。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。