2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
抜群の切れ味を誇る土佐包丁
しっかりと研がれた包丁をパンの上に置くと、パンを潰すことなくすっと下に落ちていった。鰹のタタキもまるで手応えがないようにカットされていく。その切断面の美しさを見ただけでも、この包丁がとてつもないものだといういことが伝わってきた。土佐市にある「土佐包丁工房 田所刃物」の"研ぎ師"田所真琴さんが仕上げた包丁は、抜群の切れ味と実用品以上の存在感で、見る者、使う者の心をときめかせてくれる。16歳のとき、アルバイト感覚で飛び込んだ須崎市の「刃付け屋」から彼の研ぎ師としての人生がスタートする。
「親方に声をかけられてなんとなく手伝いに行くことになったので、最初はすぐに辞めるつもりだったんです。でも実際にやってみると、親方や兄弟子が簡単にやっているようなことも自分はまったくできない。性格的に負けず嫌いでなので、自分も技術を身につけたいと思うようになり、いつの間にか夢中になったなと思ったら17年が経っていました」(田所さん)
独立し、さらに"上"を目指した田所さんは、全国各地の刃物の産地を巡り、包丁の本場、大阪の堺で師匠と呼べる研ぎ師に出あった。
「高知でやってきたことは何だったんだろうっていうくらい、これまでの技術や知識が通じませんでした。同じ作業をするとして、高知が10工程だとしたら、師匠のところは20とか30とか。とにかく手間ひまをかけて研いでいく。この技術を学ばなきゃダメだと思いました」(田所さん)
現在は、土佐市で奥様と妹さんと3人で工房を経営。多くの料理人から「包丁を研いでほしい」と指名が入るほどになった。その研ぎの作業は、豪快かつ繊細。最初は、鍛冶屋から届いた包丁を「粗研ぎ」の作業。高速で回転するタイヤのような砥石に包丁の歯の部分を押し当て、研磨する。砥石の回転音に金属が磨かれる大きな音が重なり、手元では火花が飛び、水しぶきが舞う。見ているだけでも迫力のある工程にゴーグルとエプロンを身につけた中田英寿がチャレンジする。
「実際に砥石と包丁が触れ合っている部分は見えないので、振動や音、火花、すべてに注意を払いながら砥いでいきます。経験を重ねていくと音の小さな変化で砥ぎ具合がわかるようになります」(田所さん)
もちろん、初体験の中田がうまくできるはずもない。高速回転の砥石に手を近づけていくことをまったく恐れないのはさすがだが、なかなかうまくいかない。大きな音をたて、火花を飛ばしてはいるが、均一に砥ぐのが難しいようだ。
「いやあ、難しいなあ。強く押し当てるだけでもダメだけど、軽く当てても砥げない」(中田)
実はこの粗研ぎは、職人が最初に覚える作業。このあと小さな回転砥石を使った中研ぎ、手作業による仕上げ研ぎ、さらに刃紋を入れるなど、多くの作業があり、より繊細になっていく。
「日本料理の世界には素材ごとに包丁があり、その数は200種類以上にのぼります。いまや日本の包丁の技術は世界からも注目を集めていて、フレンチのシェフなどがわざわざ包丁を買いに日本に来るほどです。『土佐打刃物』は、長宗我部元親が豊臣秀吉の小田原征伐に参戦した際、刀鍛冶職を連れ帰ったことがきっかけで始まったといわれています。僕もまだまだ修行中ですが、もっと勉強をして、土佐包丁の伝統を守り、さらにこの名を世界に広げていきたいですね」
いい包丁を使えば、それだけで料理が美味しくなるという。田所さんの土佐包丁には男心をくすぐる機能美がある。料理好きなら一度はその切れ味を試してみるべきだろう。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/