数多くのボトルを所有し、世界のコレクター垂涎のウイスキーをプロデュースする。そんな“ウイスキー人”が語る、もうひとつの日本ウイスキー史。【特集 ニッポンのSAKE】
“飲めない男”の日本ウイスキー讃歌
まさに村と呼ぶのがふさわしい広大な敷地内には、世界のガーデニストたちが憧れる日本最大のナチュラルガーデンやクラシックホテル、本場のドイツ式ビールを仕込む醸造所を併設したレストランなどが点在する。夏期には海外でも高く評価される野外バレエフェスティバル『清里フィールドバレエ』も開催され、今や世界中から人々が訪れる複合観光施設「萌木の村」。
1971年に開いた喫茶店「ロック」を起点に、清里の自然と人々が生みだす唯一無二のモノや価値観との融合を目指し、この地を文字どおりに開拓し、“村”を発展させてきたのが舩木上次氏だ。
舩木氏は幼き日より、清里に高地農業や酪農を根づかせ、“清里の父”と呼ばれたポール・ラッシュ博士の薫陶(くんとう)を受けてきた。
「先生はいつもいろいろな人たちとウイスキーを飲みながら、楽しそうにアイデアを出し、さまざまな決定をされていました。ウイスキーを飲み交わす大人たちは全員がとても幸せそうだったんです。私自身は大人になっても酒が飲めませんでしたが、ウイスキーに対する憧れはずっと抱いていました」
そう話す舩木氏が、発展する自らの村に必要なピースを嵌(はめ)るように建設を決めたのが、人々がウイスキーをゆったりと飲み交わせるバーだった。
「バーで出すウイスキーを集めようと、酒店巡りを始めたんです。今から15年ほど前のことで、当時はどんな田舎町にも酒店がありました。しかし後継者不足やコンビニエンスストアの進出で、私が酒店巡りを始めて10年が過ぎる頃には、ほとんどが潰れてしまった。そうした全国の酒店をとにかく訪ね歩いて、ウイスキーを買い集めたのです」
1976年に刊行された『ウイスキー百科』を手に、約10年間に訪ねた酒店は約3000軒。
「当時はスコッチのシングルモルトの人気が日本でも高まり、ジャパニーズウイスキーの注目度も上がり始めていました。一方で見向きもされずに酒店の棚に眠っていたのが、日本のメーカーが過去にリリースした“氷河期”のウイスキーでした」
日本におけるウイスキーの国内消費は、1980年にピークを迎えるも、その後は低迷し、2007年にはピーク時の6分の1にまで落ちこんだ。そんなウイスキー氷河期の時代には、各メーカーが趣向を凝らした製品をリリースするも、なかには人知れず終売になるものも多かった。
「閉店する酒店などでは、在庫のウイスキーを泣く泣く捨ててしまうケースもありました。私自身は日本のメーカーの見たこともないウイスキーに面白さを感じましたし、何よりもそうしたウイスキーが廃棄されることで、日本のウイスキーのひとつの歴史が消えてしまうような気がした。そこで、できる限り買い集めるうちに、ウイスキーがどんどん増えていったのです」
いつしか所有するウイスキーは4000本を超え、その一部は2010年にオープンした「Barパーチ」で提供された。そして残りの大半のボトルは、舩木氏がスタッフとともに手掘りした地下のセラーなど、村の各所で今も大切に所蔵されている。
集めたボトルはすべて未来のために共有したい
酒税法上の級別制度が導入されていた1989年までの“特級時代”のウイスキーを中心に、大手メーカーの歴代のボトルや蒸留所休止前のマルスウイスキー、さらにはメルシャンの前身であり軽井沢蒸溜所を所有していた三楽オーシャンなど、今は存在しないメーカーのウイスキーまでもがずらりと並ぶ。
まさに日本のウイスキーが歩んできた歴史そのものともいえる、世界でもここにしかない貴重なコレクション。しかし舩木氏は、「自分はコレクターではないし、集めたウイスキーもコレクションとは思っていない」と話す。
「だからバーでもお出ししますし、メーカーや蒸留所の方たちが遊びに来ると、好きにボトルを空けて味をみてもらうんです。今、日本のウイスキーが世界で評価されていますが、それも一歩一歩の積み重ねがあってこそ。現在のつくり手が、先輩たちがつくった過去のウイスキーから何かを発見し、未来のウイスキーづくりに活かしてくれる。私が集めたボトルがそんな風に使われれば最高だと思っています」
2014年には、現サントリー名誉チーフブレンダー輿水精一(こしみずせいいち)氏の協力を経て、白州蒸溜所の貴重な長熟モルトなどで構成される「清里フィールドバレエ25周年記念ウイスキー」をプロデュース。
多くの愛好家に衝撃を与えた同記念ボトルのシリーズは、それ以降もベンチャーウイスキー社の肥土伊知郎(あくといちろう)氏などの協力を経て、2023年の33周年までリリースが続く。
加えて、ポール・ラッシュ博士の生誕120周年となる2017年にもウイスキーをプロデュース。ボトリング本数が少なく、ほぼ一般には行き渡らないこれらのウイスキーも「Barパーチ」で飲むことができる。
「フィールドバレエのウイスキーは、実際にブレンダーの方々が公演を観て、その作品をウイスキーとして表現してくれるもの。優れた技術と繊細な感性を持つ日本のブレンダーにしかつくれないこのシリーズは、私が生きている限り続けたいです」
幼き日の憧れは、いつしか日本のウイスキーへの敬愛に変わった。舩木氏の濃いウイスキー人生は、まだ果てしなく続いていく。
この記事はGOETHE 2024年1月号「総力特集: ニッポンのSAKE」に掲載。▶︎▶︎購入はこちら ▶︎▶︎特集のみ購入(¥499)はこちら