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2024.10.19

天才昆虫学者の、2歳の時の神童ぶりがスゴい! “身分証偽造の達人”アリヅカコオロギとの出合い

異常なまでに虫を愛する姿から「裏山の奇人」と呼ばれる、昆虫学者の小松貴さん。そんな小松さんが幼少期から青年期までに出会ってきた、国内外の奇怪な生き物の生態を紹介。今回は2歳の時に出会ったアリヅカコオロギの話。『カラー版 裏山の奇人 野にたゆたう博物学』から一部を抜粋してお届けします。

長野のブナ林を地上から見上げたところ。
長野県北部のブナ原生林(写真:小松貴)

わからないことを、わかりたい

幼いころの記憶というのは、年月が経つにつれて「古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように」消えてしまうものである。

しかし、そんな記憶のうちでもなぜか特定の事柄については、断片的によく覚えている。そんなことは誰しも心当たりがあるのではないだろうか。

私の脳裏には、そんな断片的な記憶が、いくつも束ねられて保管されている。

不思議なことに、それらはすべて生き物に関する記憶である。

家ではじめて嫌いな野菜を我慢して食べた瞬間、それを待ちかねたように庭先で高らかに鳴いたカエルのこと。

母に手を引かれて歩いた散歩道で、陽炎の燃え立つ路上の向こうをよぎったイタチのこと。

そして、庭先の石を裏返してアリの巣を暴いたとき、逃げまどうアリどものなかに見つけたコオロギのこと。

それらすべてがどうでもいいようなことばかりなのに、脳が忘れることを許さなかった。

そんな体験から30年近く経ったいま、何の因果か私は生き物の研究をして生活している。

私は幼少期から、自分はたぶん虫の研究者として生きていくのではないかと、うっすら予想していた。それは言い換えれば、当時すでに将来の自分が生き物の研究以外のことをして生きている姿が、まったく想像できなかったからである。

それほどまでに、私は幼いころから生き物が好きだった。

ただし、私は犬や猫、パンダや象など、テレビや本によく登場してみんなから愛される生き物は好きになれなかった。

当時、それらの生き物は身近な場所で見ることができず、遠い別次元の存在に思えて親近感が湧かなかったのである。

いわゆる「会いに行けるアイドル」ではないが、身近にいる何の変哲もない(そしてなぜか多くの人間が嫌がる)小さな生き物のほうが、私にとってはずっと愛すべき対象だった。

そして、当時はいまとは違って、そんな身の回りの小さな生き物のことを調べられるような、子供向けの本がほとんどなかった。

だから、近所の道端や裏山で見つけた虫が一体何者なのか、何をしようとしているのか。いまの子供なら、インターネットで即座に調べられるようなことさえ、さっぱりわからなかった。

それが余計に、私を魅了した。「わからないことを、わかりたい」という、研究者を研究者たらしめる原動力が、このときに宿った。

そのため、いつもヘビやムカデやクモを嬉々として近所で捕まえて、家に連れて帰っては家族のひんしゅくを買ったものだった。

そこに端を発するように、私は次第に周囲の人間たちとは異なる思考や言動を持つことに、一種のステータスのようなものを覚え始めた。

デコレーションケーキよりカルピスの原液を寒天でただ固めたもの、洋楽やJポップよりパソコンゲーム(18歳未満購入禁止)主題歌のほうが、断然いい。

気がついたときには、私は周囲の「普通」の人間たちからいちじるしくズレた価値観と常識を持った、奇怪な生き物となりはてていた。

私の書く文章にはたびたび「擬人化」という、本来研究者を名乗る者が使ってはならない表現技法が出てくる。

これに違和感を持つ読者もいるかもしれないが、しかし、私は『シートン動物記』の「ギザ耳坊や」の冒頭の言葉を借りて、この本のなかに登場する生き物たちが実際に私に言わなかったことは、何一つ書いていないことを断っておきたい。

なお、本書の原稿は、私が信州大学の研究員として長野県松本市に在住していたときに書かれたものである。

そして、本書で使用されている霊長目ヒト科以外のすべての生き物の写真は、例外なく著者の撮影によるものである。

第三種遭遇――アリヅカコオロギの話

いまからおよそ30年前、神奈川県で理由もわからずに生をうけた私は、父の仕事の関係で日本各地を転々とする日々を送った。

自我が目覚めた当時、近所に年の近い子供がいなかった私は、必然的に庭先の虫や小動物だけを相手に遊ぶようになり、やがてそれらをただのおもちゃ代わりから研究対象、そして人生のパートナーとして意識するようになっていった。

研究者のなかには、幼少期に出会った生き物との触れ合いがその後の研究人生の原点となった人が少なくない。そして、私もその例に漏れない。

2歳のころ、私の家は静岡県内にあり、借家住まいだった。

家の周りには、いわゆるカブトムシやクワガタのようなメジャーな虫がおらず、このころの私の虫採りは必然的に庭先の石の下にいる地味な虫が標的となった。

陸貝の卵やムカデの艶めく美しさに心奪われる一時もあったが、家の周りの石はどれも小さくて、見つかる虫もたいてい小さく、面白みがなかった。

そこで次に標的にしたのは、近所にある大家の庭だった。ここにはニシキゴイを放った池があり、周囲に踏み石として四角い石タイルが並べてあった。

子供がイタズラして動かすにはやや大きかったが、設置されてから年月を経ており、いずれもひび割れていた。

飛び石が置いてある和風の庭

ある日、これをひっくり返そうと思い、周囲の人の気配をうかがいつつ大家の庭に侵入した。

そしてひびの入った石板に手をかけて動かすと、ひびに沿って石板が割れ、簡単に欠片を持ち上げることができた。

その下の光景を見て、私は驚愕した。ものすごい数の黒アリの群れが滝のようにうねり、大量の白い幼虫や繭を地中に運び込んで隠そうとしていたのだ。

いま考えれば、このアリはクロヤマアリFormica japonica だろう。私はそのアリの数の多さ、その群れが1つの生物のように躍動するさまを見て、すっかり楽しくなった。

地面の巣穴から出てくるクロヤマアリ
クロヤマアリ(写真:小松貴)

さらに、この石板を元通り地面にはめ込んでおくと、地中に引っ込んだアリたちが翌日には懲りずに戻っていることもわかった。

以来、私は毎日この石板を裏返し、アリが躍動するさまを眺めるようになった。

そんなある日、いつものように石板の裏側のアリたちを見つめていたとき、私は奇妙な虫の姿を見たのだった。

それは3ミリメートルくらいの茶色く丸っこい虫で、強靭な脚を持ち、手でつかもうとするとすばやく跳ねて消えた。

私ははじめて見るその姿に、はっきり見覚えがあった。アリヅカコオロギMyrmecophilus sp. だ(おそらく現在のクボタアリヅカM. kubotai に相当)。

1歳くらいの部屋遊び時代にはよく家にあった昆虫図鑑を穴があくほど眺めていたのだが、そのなかに同じ姿の虫が載っていた。

見開いた本の左ページ、ちょうどページの合わせ目に一番近い側に絵があった。ページの上段に虫の背面図が載っており、「とびいろけありなどの巣にいて、ありのからだをなめる」と書いてあったと思う。

その背面図の下側に、アリの巣の坑道を歩くアリヅカコオロギの絵が劇画調に描かれていたことまで覚えている。

この虫は、アリの巣に勝手に侵入してアリから餌を盗みながら生きている、好蟻性(こうぎせい)昆虫の一種だ。

知る人も多いだろうが、アリは一般的に体表面を覆う化学成分、つまり匂いによって、自分の巣仲間を区別している。匂いが同じなら仲間、違えば敵とみなして攻撃するのである。

ところが、アリヅカコオロギはアリの体表を舐めるような仕草でアリの匂いを剥ぎ取り、それを自らの体表にまとう。

これにより、周囲のアリに巣仲間と勘違いさせる(Akino et al., 1996)という、「身分証偽造の達人」なのだ。

石を裏返してアリの巣をあらわにすると、アリヅカコオロギはアリの群れのなかをしばらく右往左往し、やがてアリの巣穴の奥へと逃げ込んだ。

不思議なことに、私がアリの巣を荒らした後でもきちんと石を元通りに直しておくと、奴らは翌日またアリたちとともに石の裏に出てきていた。

いま考えると、このときこうしたアリヅカコオロギの習性を学んだことは、その後様々な好蟻性昆虫を効率よく採集するうえで、とても大事なことだった。

いまはなき学研の付録。当時私の家は『科学』をとっていたが、このシリーズには時々アリを飼育するためのキットがついてきた。

そのたびに、調子に乗ってこの石板裏から働きアリだけ集めてきて飼育し、そのまま飼い殺すことを何度も繰り返した。

そのときには、アリの「友達」としてかならずアリヅカコオロギを入れたものだった。

アリヅカコオロギは体がとても軟弱で、手づかみにすると簡単につぶれて死ぬ。だから、一度その辺の落ち葉の上に追いやってから落ち葉ごと持ち上げて容器に移すという技術を、私は2歳にして習得した。

「アリの巣を掘り返さねば採れない」と、しばしば著名な高齢の昆虫学者にすら思い込まれている好蟻性昆虫が、石を裏返すだけで簡単に採れることを、この2歳児は知っていたのだ。

だが、そんな神童も、自分が二十数年後にそのアリヅカコオロギの研究で飯を食うなど想像もしていなかったことは言うまでもない。

Akino, T., R. Mochizuki, M. Morimoto & R. Yamaoka, 1996. Chemical camouflage of myrmecophilous cricket Myrmecophilus sp. to be integrated with several ant species. Japanese Journal of Applied Entomology and Zoology, 40: 39-46.

この記事は幻冬舎plusからの転載です。
連載:裏山の奇人
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