浦和レッズのGK西川周作が、Jリーグの2025年シーズン序盤戦で前人未到の領域に到達した。2025年3月8日のファジアーノ岡山戦でJ1リーグ史上初の200完封を達成。2位の曽ヶ端準(現鹿島アントラーズGKコーチ)の169完封を大きく引き離す断トツの記録を打ち立てた。プロ21年目。守護神が第一線で活躍し続ける理由に迫る。

J1リーグ初の大台
新たな領域に到達しても、西川周作が大きく感情を揺さぶられることはなかった。優先順位は明確。試合後のコメントには記録よりも勝利を追い求めてきた矜持が滲んだ。
「記録もひとつ大事なことかもしれないが、チームが勝つことが僕にとってすべてです」
2025年3月8日、埼玉スタジアムで開催されたファジアーノ岡山戦。安定したプレーで1-0の勝利に貢献し、通算無失点試合数(フル出場に限る)をJ1リーグ史上初の200の大台に乗せた。
2位の曽ヶ端準の169完封、3位の楢崎正剛(現名古屋グランパスエイトGKコーチ)の163試合を大きく引き離す大記録。その後も記録を伸ばしており「支えてくれる人がいるから達成できた数字。感謝の気持ちでいっぱい」と口にする。
J1初出場は19歳。大分トリニータ時代の2005年7月2日の横浜戦だった。デビュー戦で約30mの距離から直接FKでゴールを狙い周囲の度肝を抜いたが、試合は0-2で完敗。出場2試合目の同6日の柏戦に0-0で引き分けて、初めて「クリーンシート」を達成した。
2025年シーズンがプロ21年目。大分トリニータ、サンフレッチェ広島、浦和レッズの3クラブに所属し、全てのキャリアをJ1で過ごしてきた。
38歳。大ベテランの域に入っても向上心が衰えることはない。2022年シーズンにスペイン人のジョアン・ミレッGKコーチの指導を受け、思考が大きく変わったことも選手寿命を伸ばす後押しとなっている。
「ゴールを守る」からペナルティーエリアの「空間を支配する」ことを意識するようになり、守備範囲が拡大。クロスや最終ラインの裏を突かれたボールへの対応力が上がり決定機を未然に防ぐプレーが増えた。高い身体能力が求められるセーブ力に頼らないスタイルは経験値が増すごとに洗練されている。
正守護神の座を奪われても腐らなかった
2021年シーズンの途中には自身のミスから失点したことを機に、当時のチームメイトで現在はセリエAのパルマで活躍する日本代表GK鈴木彩艶に定位置を奪われ、控えに回った。
GKは他のポジションよりもレギュラーが固定される傾向が強い。若手に正GKの座を奪われる危機的状況でも、西川の気持ちが沈むことはなかった。「成長するためにこの時間を大切にしないといけない。絶対に無駄にしない」。自分に矢印を向け、定位置を奪回するためにやるべきことに集中した。
リーグ戦に出られない期間は天皇杯やルヴァン杯などのカップ戦に加え、若手の控えメンバー中心の試合にも志願して出場した。
2021年5~6月にかけてリーグ戦6試合連続でサブに回ったが、チームが大量失点した次の試合で7試合ぶりに先発復帰のチャンスが到来。そこから4試合連続でクリーンシートを達成して信頼を取り戻し、第1GKに返り咲いた。
痛みに強く、多少のケガでは長期離脱しない。2009年以降は全シーズンで30試合以上ピッチに立ってきた。今季も5月6日のガンバ大阪戦で左太もも裏の肉離れを発症して離脱を強いられたが、約1週間後に練習を再開。5月17日のFC東京戦で実戦復帰した。
J1通算出場試合数は歴代GKで最多の643試合。フィールド選手を含めても元日本代表MFの遠藤保仁(現G大阪コーチ)の672試合に次ぐ、歴代2位の数字だ。
誰もが認めるJリーグの顔である西川。ルヴァン杯、天皇杯、アジアCLなど数々のタイトルを獲得してきたが、リーグ戦の優勝経験はない。それ故か、完封数のレコードホルダーになっても満足した様子はない。
「記録よりも記憶に残るGKになりたい」
目の前の勝利、タイトルを求めて、まだまだ浦和レッズのゴールを守り続ける。
西川周作/ Shusaku Nishikawa
1986年6月18日大分県生まれ。大分トリニータの下部組織で育ち、2005年にトップ昇格。2005年ワールドユース(現U-20W杯)、2008年北京五輪など各世代の日本代表を経験。2010年にサンフレッチェ広島へ移籍し、2014年に浦和レッズに加入。Jリーグ・ベストイレブンを6度受賞。国際Aマッチ通算31試合。左利き。身長183cm、体重81kg。