「イモトのWiFi」「にしたんクリニック」、不妊治療の「にしたんARTクリニック」などさまざまな事業を手掛けるエクスコムグローバル代表取締役社長・西村誠司氏。25歳で起業し、現在は個人純資産300億円といわれる西村氏は、いかにして成功したのか!? 渋谷の一等地に完成した豪華絢爛な住宅で、その半生を語るインタビュー連載第1回。新聞配達をしていた少年時代に知った、金の真実とは。【他の回はこちら。※11/10以降順次公開】
渋谷の真ん中。30億の邸宅に特注ロールス・ロイス
渋谷の一等地、路地を入ると見えてくる白く巨大な邸宅。そのガレージに、紫色のロールス・ロイスが滑らかに吸い込まれていく。
「いい色でしょう。ロールス・ロイスのコーポレートカラーの紫を2種類使ってツートーンにしたんです。内装も見てみますか?」
そう特注のロールス・ロイスの助手席で微笑むのは、「にしたんクリニック」などを運営するエクスコムグローバルの代表取締役社長、西村誠司氏。
その車内を覗き込めば、真っ白な革張りのシート、天井は無数の小さなライトが取り付けられていて星空のように輝く「スターライト・ヘッドライナー」仕様だ。さらにダッシュボードはまばゆいばかりの金色。
「2024年の8月に新居が完成し、その頃にこのクルマも納車になりました。この夏は欲しいものを手に入れることができた季節だったかもしれません」
邸宅の総額はおよそ30億円。玄関脇には南米原産の大樹パラボラッチョと、オリーブの木が植えられ、こちらは2本で7000万円を超えるという。色鮮やかなロールス・ロイス、そしてこの豪邸。「欲しいものを手に入れることができた」というよりも、世間が抱く富の象徴そのものを手にしたようにみえる。
1995年、25歳にして現在のエクスコムグローバルの前身となるインターコミュニケーションズを創業した西村氏は、創業から一体どのようにして、この富にたどり着いたのだろう。
「私は子供時代、貧しい家庭で育ちました。その頃に、働くとはどういうことなのか、その基本を身体に叩き込んだのです」
極貧家庭から、名経営者へ。そのサクセスストーリーを西村氏はゆっくり語り始めた。
給食費が払えない──。生活保護の家庭で育った少年時代
「私が幼稚園児の頃に父が病気になり、それまで営んでいた焼き鳥屋を手放して、うちの家は生活保護を受けるようになりました。私は周りの友達のように、親におもちゃを買ってもらうなんてことはありえませんでしたから、中学生になってすぐに新聞配達を始めました。欲しいものがあれば自分で稼いだ金で買うと決めて、13歳から今まで、私はずっと働いているんですよ」
西村家が暮らした愛知県は当時、1月にもなれば、ほとんど毎日雪が降った。そんななかでも、西村少年は毎朝自転車を漕いで新聞を配り続けた。たとえ貧しくても、両親は「そのお金は自分で使いなさい」と、西村氏の稼ぎを受け取ることはなかった。
「せいぜい月2万円程度の稼ぎです。私はそれをコツコツ貯金しました。大学生になってからも家庭教師などのバイトで稼いで、21歳の頃には200万円以上の貯金ができていました。
私はよく『お金持ちになる秘訣を教えてください』と聞かれます。でもそんな秘訣はどこにもない。コツコツやっていく。ただそれだけなんです。1円の銭勘定ができない人に、1億円の勘定なんてできない。なにかで一気に100万円稼ぐ一攫千金を狙うより、毎月少しずつ積み立てていく。そこからがスタートだと思うんです。13歳から働いていた私は、今でもそう考えています」
小学生時代は、生活保護ゆえ給食費を払うことができず、学校では西村少年にだけ給食費を入れる封筒が配られなかった。
「なんで西村にだけ配られないんだって、周りの生徒からしたら思うでしょう。だから母親が先生に『空で出すから、封筒だけ配ってくれないか』とお願いしたんです。
切なかったですけど、でも、暮らし自体は悲壮感が漂うようなものではありませんでした。両親は僕を愛してくれましたし、母はとても優しかった。両親から受けた人としての温かさみたいなもの、その感覚は今も私のなかにあります。両親ともに中卒で、僕に『勉強しなさい』なんて言ったことはなかったですが、だからこそ私は自分で進んで勉強するようになりました。中学では成績がオール5だったんですよ。でも高校は県内トップクラスの学校に進学したので、ついていくのが大変でしたが(笑)」
稼いだ金をどう配分するか、考え続けている
中学、高校では稼いだ金を貯金しながら、時にはビデオデッキやラジカセなどといった大きな買い物もした。もちろん自分が欲しいから買うのだけれど、それでも選ぶものは、家族とともに使える家電がほとんどだった。
「自分で稼いで貯めたお金を、どう分配していくのか、自分で考えて決める。そういう訓練が13歳からできた私は、むしろ幸運だったと思っています。
私は今、オーナー企業の社長であり、株主も私しかいません。会社としてあげた収益から、何をどう使うか、投資なのか、新事業開拓なのか。当たり前ですが今も自分で決め続けています。私は子供の頃から、頼れるのは自分自身しかいないと思って生きてきました。もちろん父や母から愛を受けて育ちましたが、早くから働いたことで『結局、最後に頼れるのは自分と自分の能力だけ』と身に沁みてわかりました。もっと稼ぎたければ働くボリュームを増やして、自分も成長していけばいい。そういうふうに比較的早くから気づくことができたのは、ありがたいことだったと思っています」
大学生になった21歳の頃、西村氏は人生を変えるある1冊の本に出合う。イギリス作家、ジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』だ。
「裕福な家庭で育ったケインと、ポーランドから移民としてアメリカにやってきて才覚ひとつでホテル王になるアベル。2人の人生を描く作品で、私には恵まれない環境でも自分の腕1本でのし上がっていくアベルがとても眩しく見えました。だから私も将来事業家になろう。そう21歳で決めたのです」
西村氏が起業することになるのはそのわずか4年後。インタビュー第2回では、創業当時と、リスクに挑み続けたその後の人生を語る。
【他の回はこちら。※11/10以降順次公開】