「あの本田さんが、なんか鮨を握っているらしい」。そんな噂を聞き、実業家で日本を代表するフーディーの本田直之さんの元を訪れた。そこで目にしたものは――。前編。【特集 人生を変える最強レッスン】
やるならとことん本格的に
左手に載せたネタにすばやくワサビをつけると、右手を軽く振ってシャリを整え、両手で軽くぎゅっと握る。慣れた手つきでカウンターの皿の上に右手でポンと載せる。南青山にある青山グランドホテル「Shikaku」での「鮨 本田」のポップアップレストラン。白衣でカウンターの中に立つ姿は、まるで店の大将のようだ。
所作にもまったく違和感がないのは、短期間ながら一流店で修行させてもらい、自らでも練習を積んだから。知らない人が見たら、本物の鮨職人と勘違いしてしまうかもしれない。
だから、あえて右手首にはクロムハーツを光らせる。そんなプロはいないからだ。そして短髪にはしたが、黒縁の伊達メガネをかけたのも、そのため。帽子は被らない。
これは仕事ではない。あくまで楽しむためなのだ。人生最高の楽しみ。本田直之さん本気で鮨と向き合っている。
「鮨屋をオープンしようというわけではないんです。ビジネスがしたいわけでもない。とにかく、鮨のことをより深く知りたいんです。学ぶことは本当に楽しい」
あの本田さんが、また何か始めたらしい。一部界隈で話題になったが、鮨を握っていると聞いて仰天した人は少なくなかっただろう。だが、ハワイにも暮らし、世界中のレストランを巡る。日本を代表するフーディーとしても世界的に知られる本田さん。手がけた著書は累計で300万部を超え、海外移住やデュアルライフも、トライスロンやサウナも、この人がブームの先鞭をつけたと言っても過言ではない。5年後には、経営者が続々と鮨を習い始めるのではないか、などという声も上がる。
「これまで何百回も鮨屋のカウンターに座って食べてきました。素晴らしい体験でしたが、もしカウンターの中に立てたらどうなるか、とずっと思っていたんです。最高のネタを使って鮨を握る。最高の酒を提供する。最高の道具を使う」
やるならとことん本格的に、が本田さんの信条だ。実際、「鮨 本田」と銘打ったポップアップで自らがカウンターの中に立ったのは、「Shikaku」をはじめ、「鮨麻布」「はっこく」「鮨 佐がわ」など超一流店ばかり。12月には新潟、新発田の名店「鮨登喜和」でも実施予定だ。
レジェンド店でもある、「鮨さいとう」「天寿司 京町店」でも光栄にも握りを体験させてもらった。
ネタは日本で最高峰のマグロの仲卸「やま幸」のマグロや、ウニのトップ仲卸である「海宝」から仕入れたものなど最高級品が並ぶ。ソムリエの資格とSake Dipolomaを持ち、2024年度の酒サムライにも叙任、世界中で飲み比べてきた本田さん自らがペアリングするケースもある。
「そんな鮨店の主役になって、お客さんとなった友人や知人を驚かせ、鮨を味わってもらい、大いに楽しませる。これは、かつてなかったようなワクワクの、超レアな体験になるんですよ。これほどの面白さが、これまでにあったか、と思っています。絶対、やってみたら楽しいと思いますよ」
ネットワークを生かし、多くの店とコラボレーション
鮨店ばかりではなく、さまざまな料理とのコラボレーションも行う。創作料理「No Code」、トリュフ料理の「Margotto e Baciare」、焼肉の「YORONIKU TOKYO 麻布台ヒルズ」、秋田の「日本料理 たかむら」……。これは、鮨職人ではない本田さんだからこそできることだ。
2024年7月のとある日、コラボしたのは麻布台ヒルズの人気イタリアン「DepTH brianza」。本田さんが客として店を訪れて以来の旧知の仲だという奥野義幸シェフと一緒にオリジナルなメニューを考案。醤油とワサビは一切使わない、特別おまかせコースが展開された。シャリにバルサミコを加えたり、ネタにはフォアグラやポルチーニ、生ハムも用意。「やま幸」の鮪を使ったクロケットなどを提供した。
「さまざまなジャンルのシェフとネットワークがある自分だからこそできる鮨をやりたい」
そんな本田さんの想いに奥野シェフは「僕も普段はできないメニューに挑むことができる。面白い食材でいろいろ考えるのは、とても楽しいです。刺激になりますね」と語る。
道具にもこだわる。もともと興味があり、日本中の酒や料理をめぐる過程で多くの職人とも出会いをつくってきた。まずは数十万円もする柳刃包丁や「子の日」の出刀やペティナイフを用意した。とにかくいいものを使いたかった。
この日は、越前の打刃物職人、黒崎優氏の手による柳柳刃包丁のセットを初めて使った。国内外からのトップシェフから注文が殺到する黒崎氏の包丁を手にできたのは、本田の料理に向き合う強い思いをわかっているからだろう。
ほんの1年前まで、料理はまるでできなかった。包丁は果物を切るくらい。実は、それがコンプレックスだった。日本のみならず世界中で、屋台・B級から三つ星レストランまで食を極める日本を代表するフーディとしても世界的に知られていた。もし自分でも料理ができたら、シェフとの会話ももっと盛り上がるし、勉強にもなると思っていたのだ。50歳までに料理ができるようになる、と一時は宣言していたが、そのハードルは高かった。本田さんは言う。
「何から始めていいのか、分からなかったんですよね。やるなら、プロレベルでやりたかったので、家庭料理教室は違う。かといって、調理学校に2年間、今から通うわけにもいかない。ロケットスタートで行きたいと思っていましたから」
55歳で改めてチャレンジに踏み切れたのは、鮨を短期集中で学べるという選択肢に気付けたことがきっかけだった。「東京すしアカデミー」の2ヵ月集中コースに通っていたという知人の妻がおり、彼女が作ったというバラちらしのレベルの高さに驚いた。2022年末のことだ。
翌年秋にちょうどヨーロッパで過ごそうと考えていた2ヵ月があった。そこを当てようと考えた。さらに別の知人から「日本寿司リーディングアカデミー」という新しい学校がスタートすると聞く。こちらはオンラインが中心で、リアルでは六本木の「鮨 佐がわ」の大将に教えてもらえるという。
「2ヵ月集中コースの前に、届いた魚をビデオを見ながら自分で悪戦苦労して捌く経験をしたことは、とてもよかったと思っています」
この記事はGOETHE 2024年10月号「総力特集:人生を変える最強レッスン」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら