2024年9月6日に先行公開される映画『ぼくのお日さま』。今回、本作の監督・撮影・脚本・編集を務めた奥山大史さん、スケートコーチの荒川を演じる俳優・池松壮亮さんにインタビューした。全3回の最終回は、本作でも描いた子どものこと、そして2024年5月にフランスで開催されたカンヌ国際映画祭での作品への反響について。#1 #2
聞こえない声に対して、耳を傾ける
――池松さんは、「池松壮亮が子どもと出会い、週末を一緒に過ごしてみたら」というプロジェクト「Fill Me In!(ねぇ、おしえて)」をされています。小学生の男女のペアとあちこち出かける風景をキャッチアップした映像を段階的にSNSでアップされていて、今作との共通点も感じます。今、子どもとのお仕事に面白さを感じているのはなぜですか。
池松 子どもへの関心、未来への関心は今だけというものではなく、いつからか自分自身がもっているものだと思います。僕はきょうだいやいとこが多い家庭で育って、姪っ子、甥っ子が5人います。それから、建築の会社を営んでいた父が、25年ほど保育園を運営していました。父親が出社前に、保育園に寄って子どもたちに読み聞かせをする姿を見たり、お迎えの時間に間に合わなかった家庭の子どもたちが、僕が帰宅すると我が家を走り回っているということもありました。子どもが周りに多い環境で育ったことは大きいかなと思います。また、映画という文化産業に取り組む中で、より良い世の中について考えるほど、未来と向き合うことや、教育というものは切り離せないものだなと感じてきました。
映画の現場においても子どものパワーってやっぱりすごいなと感じてきました。奥山さんも『僕はイエス様が嫌い』と本作と、子どもを中心に据えた物語を撮ってきています。平成が終わり令和となって、2020年代に入り、僕も30代になって、コロナという世界規模のものを経験し、長く続いた時代の限界と次の時代に向けた大きな変化を迎えているいま、社会のあり方もふくめて、もっと未来へと目を向けるべきだなとより感じるようになって、今のような出会いや活動に繋がっているのかなと思っています。
――『ぼくのお日さま』は、自己表示がうまくできないお子さんが見て、勇気づけられる部分は多いと思います。お二人にとって、励みを得た子ども映画はありますか。
奥山 カンヌ国際映画祭に参加したときによく比較されたのがスティーヴン・ダルドリー監督の 『リトル・ダンサー』でしたね。評論家によっては引用としてあげるには安直すぎて、『リトル・ダンサー』とはむしろこういう違いがあって、と枕詞として使うほどでした。
僕自身、アルベール・ラモリス監督によるフランス映画『赤い風船』は、少年を主人公として描くにあたって、いかに言葉で説明しないかをすごく教えてもらいました。またイランのアッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』や、ジャック・ドワイヨン監督の『ポネット』も、具体的にどこに影響を受けたとかそういうわけではなく、どうしてこの主人公の子どもたちから目が離せないのか、この場面はどうやって撮ったんだろうって思わされた時に、ぐっときて、救われたと言うか、感情が強く動いた作品です。
池松 奥山さんから出てきた4作品全て、自分も大好きな作品ですね。加えるとしたら、侯孝賢監督の『風櫃(フンクイ)の少年』、『冬冬(トントン)の夏休み』、エドワードヤン監督の『クーリンチェ少年殺人事件』、『ヤンヤン夏の思い出』なども大好きです。それから是枝さんの子どもの描き方、映画における子どもと大人の関わり方からも大きな影響を受けてきたと思います。近年、世界においても子どもを描いた良質な作品が増えていると感じます。今年観た中だと『コット、はじまりの夏』が素晴らしかったです。
奥山さんが二作目の監督作に自身の子ども時代をベースにおき、タクヤとさくらを物語の中心に据えて、年齢や時代設定の中で自分の思いをうまく言葉にできない子どもたちの姿をみずみずしく、切なく、優しく描くという今作の試みにとても興味を持てました。
主人公のタクヤは吃音症を持っており、さくらや荒川も同時にうまく言葉にできないことを抱えています。社会ではネットや、SNSなどで誰もが気軽に放てる声や言葉が氾濫している状態にあり、それ以外の沈黙はないものとされがちですが、世界には沈黙の中にある声がたくさんあると思います。そうした沈黙に含まれた声なき声に耳をかたむけるような姿勢を、奥山さんから最初に受け取った6枚のプロットに感じることができました。
荒川はタクヤのように吃音症ではないけれど、精神的な面で近いものを抱えていて、表に出せない声がある。それは誰もが感じたことのある、または身に覚えのあるものなのではないかと思っています。人だけでなく、自然もそうです。この世界には耳を傾けることで見えてくる大切なものがたくさんあると思っています。そうしたことをベースに、荒川という役を膨らませていきたいなと思っていました。
「これは私の映画かもしれない」と思ってくれたら一番いい
――ストーリーの転換として、さくらが荒川コーチに対して抱いたある懐疑心が、荒川コーチ、タクヤ、さくらの完璧に見えたトライアングルを壊してしまうわけですが、奥山監督は映画の中で、さくらからの無理解な言葉に対して荒川コーチに反論も説明もさせません。ある意味、誤解を諦めて受け入れてしまうような場面にも捉えかねられませんが、その意図を教えてください。
奥山 荒川コーチがさくらからの言葉に対して弁解する、もしくは彼女の意図を再度確認して、話し合うというシーンをいれるかどうかは、正直、すごく迷いました。でも、結局、その場面は作りませんでした。それは、子どもの純粋さ故の一種の残虐性がふと出てしまうってことはあるからで、大人の側がぎょっとしてしまう感覚は、映画の鑑賞後にも皆さんの中に残っていてほしかったから。解釈の余白を残すことで、こういう状況がかつての自分にもあったかなと見た人が思い浮かべて、その記憶を保管し、積み重ねることで、最終的に『あ、これは私の映画かもしれない』と思ってくれたら、それが一番いいなと思います。
池松 映画として素晴らしい選択だったなと思っています。その後さくらがひとりでドビュッシーの「月の光」を踊っているシーンが忘れられません。淡々とその姿を映し続けることによって、彼女の感情を観るものに想像させ、光に照らされた踊る少女そのものが祈りのように感じました。
言葉で説明せずに、動機を演じることの難しさ
――カンヌ国際映画祭での出品についてもお聞きしたいのですが、あれくらいの大規模な映画祭ともなれば、戦略なしにセレクトされることはかなり難しいかと思います。今作は、フランス在住のプロデューサーが参加し、脚本の立ち上げから編集の仕上げまで、段階的にフランスのスタッフの目も入り込んでいると思いますが、日本人スタッフだけで構成した場合と、何が一番、違いますか。
奥山 本作は編集に一人、フランス在住のレバノン人スタッフに入ってもらっています。また、脚本の問題点を指摘するスクリプトドクターとしてもフランスの人に入ってもらっています。脚本の制作の段階からコミュニケーションをある程度、積み重ねて、修正を行ってきたので、編集になってから、ああしろこうしろみたいな理不尽なことにはならないことがメリットとして大きいですね。
僕が一番危惧していたのは、池松さん演じる荒川コーチがペドフィリア、すなわち幼児性愛的な嗜好があるような人物に見えてしまうことでした。誰が見ても、そうは見えない人物にしたかったので、荒川がタクヤに向けている感情の映し方は、脚本段階でも、撮影中も、非常に気をつけました。
池松 これは、今後も重要なテーマになってくると思っているのですが、人が人をサポートすることは必要不可欠で、高齢化や都市型の影響からそうしたサポートにおいて人手不足も深刻な状況の中で、その手助けの構図や作業の過程、行動に、ときに危険な関係性が伴っていることがありますよね。その繊細さやモラルが行使されないときに、さまざまな問題が起きてしまう。保育園や介護施設や福祉施設、教育の場などでも耳を疑ってしまうような事件が目立ってきています。
これからの難題だなと思います。人が人のサポートをするためには関心がなければできないし、そこに別の欲が出てくると怖い。荒川を演じるうえで、荒川がなぜ、タクヤの思いに惹かれて、さくらと引き合わせたか、私情を超えての3人の関係性をどう表現するか。荒川にとってタクヤとさくらはどんな存在だったのか。奥山さんが、違う意味合いにならないよう編集してくれると思いながらも、自分でもちょっと足しておくこと、逆にちょっと抑えておくこと、その辺りが非常に繊細な作業だったなと思います。説明せずに、動機を演じていくことも。若葉くん演じる恋人との関係性の見せ方もとても繊細な作業でした。
――カンヌ映画祭での受け止められ方で、印象に残ったことはありますか。
池松 ちゃんと目指してきたことが伝わったんだな、こんなにも受けいれてもらえるんだなという印象でした。そのことが心から嬉しかったですし、ほっとしました。海を渡っても映画言語で繋がれたことが大きな自信となりましたし、その手応えをカンヌから持ち帰って、これからまだ北米やアジア、そして国内でどう観てもらえるのかとても楽しみです。
奥山 LGBTQ+や吃音の描き方に限らず、様々なことについて、国によってはタブー視されたり、逆に日本より理解が遥かに進んでいたり、細部の捉え方が、その人が信じているものや、大切にしている文化で大きく違うように感じました。ただ、評価としては、シンプルにタクヤの成長や、荒川コーチとタクヤとさくらの3人の関係性の変化に目を留めたものが多かった。海外の方々にもちゃんと伝わったっていうことの嬉しさが一度ではなくたくさんありました。
カンヌは、いい意味でも悪い意味でも、映画を仕事とする人たちのお祭りで、映画ファンに向けられたものではありません。プロからの好意的な反応をもらうこと自体は嬉しかったのですが、その後に参加したシドニー映画祭や台湾国際映画祭のように、近所に住んでいる人がふらっと映画祭にやってきて、この映画と出会い、鑑賞後に極めて個人的な感想を伝えてくれたことも嬉しかった。今後も、日本だけにとどまらず、他の国の人たちにどう届くか、意識して受け止めていきたいなと思います。
奥山大史/Hiroshi Okuyama
1996年東京都生まれ。SIX所属。青山学院大学在学中に初の長編監督作『僕はイエス様が嫌い』を制作、第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少の22歳で受賞した。その後も、2021年にエルメスのドキュメンタリーフィルム『HUMAN ODYSSEY―それは、創造を巡る旅。―』の総監督を務め、2022年にNetflixシリーズ『舞妓さんちのまかないさん』、2024年に『ユーミンストーリーズ』などの演出も担当している。米津玄師の「地球儀」などのミュージックビデオの制作も手がけている。
池松壮亮/Sosuke Ikematsu
1990年福岡県生まれ。2003年に『ラスト サムライ』で映画デビュー。その後数々の作品に出演。2014年に出演した『紙の月』、『ぼくたちの家族』他で、多数の助演男優賞を受賞。その後も2017年『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、2018年『斬、』、2019年『宮本から君へ』の各作品で主演男優賞を多数受賞。近作に2022年『ちょっと思い出しただけ』、2023年『シン・仮面ライダー』、『せかいのおきく』、『白鍵と黒鍵の間に』他。第74回芸術選奨文部科学大臣賞新人賞を受賞。2024年は9月27日から『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』、11月8日から『本心』が公開予定。