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2022.11.10

”世界のニセコ”をリードする宿「坐忘林」「SHIGUCHI」を手がけた英国人の素顔とは?

今年5月、北海道・ニセコに開業した宿「SHIGUCHI/シグチ」が話題を集めている。どこにも似ていない空間は、オーナーであり設計・デザインを担ったショウヤ・グリッグの個性そのもの。北海道に住み28年。その半生を辿ると、クリエティブの源がみえてきた。

ショウヤ・グリッグのポートレイト

ここにしかない“ギャラリーステイ”

日本にラグジュアリーを謳うホテルや旅館はいくつもあるが、「SHIGUCHI/シグチ」は別次元に存在する宿だ。

単にラグジュアリーとは言えない。どちらかと言えば、贅沢という言葉の意味を変える場所。価値観の変化を得られる宿はそう多くはない。

ロケーションはニセコの森の中。そこは英国出身のショウヤ・グリッグが16年前に買った土地だ。ショウヤはニセコの旅館「坐忘林」をつくったことで知られるクリエイティブディレクター。写真家、画家でもあり、動画撮影や編集にも長け、アートや音楽のキュレーションまで行う。人生そのものが創造といったクリエイティブ人間だ。

そんな彼がデザイナーとして作ったのが「坐忘林」で、アーティストとして作ったのが「SHIGUCHI」といえる。自らがオーナーとなり、築150年の古民家3棟に美意識と哲学を詰め込んだ。そのセンスがニセコの森と完全に調和している。

SHIGUCHI/シグチ

客室「火」にはアイヌの彫刻を眺めるための特等席がある。

アートや調度品が多く並ぶが、「これは誰の作品ですか?」と聞いたものが、昔、誰かが使っていたストーブの蓋だったりもする。荒波を越えてきた北前船のパーツは壁飾りに。ここに来るまでの背景を想像したくなるアイテムが、歩くごとに目に入ってくる。

民族と時代が交錯するようにモノが配置され、でも、ひとりの人間によって集められているから世界観はブレない。「SHIGUCHI」という箱に多文化の作品が集まる、つまりはギャラリーなのだ。それも客室の岩風呂には天然温泉が引かれ、フランスで腕を磨いたシェフが北海道の恵みをふるまってくれる。ぬくぬくと満たされた状態で作品を見ると、そのものとの距離が近づく気がした。

趣溢れる空間が天候に左右されることはない。雨の日も曇りの日も絵になる。むしろ、暗い天気の方が似合うのではとも思う。

「雨や夜が始まる時がけっこう好き」

軒先から落ちる雨水の波紋を見てショウヤ・グリッグが言う。

「SHIGUCHI」は再現性のない彼の人生の形でもある。以下に紹介する遍歴で面白いと思うことがあったら、この場所にもの凄くはまってしまうかもしれない。

SHIGUCHI/シグチの客室

「地.水.火.風.空」の5タイプからなる客室はすべて4名以上で宿泊できる造り。写真は「地」(144㎡)のリビング。最も広い「火」は351㎡あり8名まで宿泊可。

小さい頃から、両親の家づくりを見て育った

1968年、ショウヤ・グリッグはイングランド北部ヨークシャーに生まれた。両親が17歳の時の子供で、若い父親は一家を支えるため鉄工場に勤めていた。周りの家庭もワーキングクラスの多い、自然豊かで歴史建造物も立つ田舎町で育った。

お金がなかった両親は安い家を買い、DIYを始めた。アンティーク家具をフリーマーケットで揃えては、好みに組み合わせる。週末にバカンスに行く余裕はなかったが、グリッグ少年にとってマーケットでの宝探しはエンターテインメントだった。

ショウヤ・グリッグのポートレイト

「28年経ったいまも、日本の文化と習慣に毎日影響を受けています」

「両親はいまの僕と同じことをしていて、小さい時からその様子を見て育ちました。彼らは想像力とやる気で何でもつくってしまう。普通なら経験がないジャンルに対して“出来ない”と頭で決めつけてしまうけど逆。そこに大きい影響は受けています。僕は建築家ではないし、ホテルの専門家でもない。でも、始めてみれば形になると信じてやってきました」

家をリノベーションしては売り、手にしたお金でまた違う中古物件を買っては蘇らせる。同じ家に住むのは長くて2年。引っ越しが多い家庭だった。ショウヤが13歳の時に一家はオーストラリア・パースへ移住し、そこでも両親は家をつくり続けた。

将来、息子が日本に渡って古民家で宿をつくるとは、当時の両親は想像もしなかっただろう。「SHIGUCHI」の客室につけられた特殊な網戸は、現在も家づくりを続ける父が送ってくれたもの。景観を邪魔しない繊細な網目の向こうには、深い森が広がっている。

SHIGUCHI/シグチの客室風呂

巨岩を削って作った客室風呂。網戸を閉めても森との一体感があり、半露天のような気持ちよさ。

16歳から抱き続けるパンクの心

16歳から20歳まではパンクバンドに熱中し、ボーカルとしてインディーズで活躍。筆者は当時の音源を聞かせてもらう機会があったが、疾走感があって格好よかった。いまもクルマを運転する時にパンクをかけることがよくあるとか。

「思えば、当時から自分の哲学はパンクでした。だってパンクもdisruptor(破壊、混乱)。ある業界のなかに入り、何かを壊して新しいものを生み出す。ただ上手ければいいという世界ではない。ルールだってない。あの頃たくさんのバンドに影響を受けたけど、やっぱりセックス・ピストルズのインパクトは大きかった。パンツを安全ピンでとめるとか、ちょっと金継ぎみたいだね(笑)」

パンク哲学は細部に表れている。例えばダイニングは漆喰の真っ白な壁だったが、完成したあとで“綺麗すぎる”と感じたショウヤは煤(すす)で跡をつけた。まるで鳥がぶつかったような陰である。左官屋には驚かれたものの、その煤は移築した建物の茅葺屋根から出てきたもの。

「あれは150〜160年の間この家に住んでいた煤。何世代にも渡る家族の笑い声も喧嘩も見てきた囲炉裏から上がったものです。途中には戦争もあった。だからこの煤をちょっと加えたら、家のスピリットを守れるかなと思いました」

SHIGUCHI/シグチの壁

ワイングラスを傾けた時に、視線の先に壁上部の煤が見える。

23歳で初めて北海道の土を踏む

パンクバンドと並行して、17歳から世界を旅し始めた。稼いでは各国を巡り、20代前半になっても旅を繰り返していたものの、大学卒業後に働きだした友人たちを見て将来に迷いだす。そう聞くと定職についたかと想像するが、ひと味違った。出した結論は、もっと迷うことだった。

「アメリカの作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが書いたことを思い出したんです。“Not until we are lost do we begin to understand ourselves(迷ってこそ自分を知ることができる)”。じゃあどこに行けば一番lostになるか。日本はまだ行ったことがないし誰も知り合いがいない。日本はlostになれそうだけど、東京では外国人も英語を話せる日本人もいる。都会から離れた自然の多い北海道に決めて、自転車をもって千歳空港に直接入りました」

ショウヤ・グリッグ氏の画家としての活動

北海道の自然を描く画家としても活動。

かくして1994年に北海道の土を踏んだ。地図を持たず、読めない看板に惹かれるままに進むと支笏湖に着き、雄大な眺めに1日目から感動した。

大自然を駆け抜け、4カ月かけて自転車で北海道を一周。厳しい冬が始まると然別湖ネイチャーセンターで働きながら日本語を学んだ。語学を覚えるほどに移住の気持ちは強まり、札幌へ出て仕事を探した。音楽の造形が深かったため、最初はDJとして職を得た。

その頃、札幌で住んでいたのは2階建ての古いアパート。小さな部屋だったが、捨てられていた家具を拾っては自転車で運び、好みの空間を作っていった。価値がないと思われているモノのなかにも本物を見つけることがある。バルコニーは小さな日本庭園のようになっていた。

もともと映像を学んでいたのでカメラマンとしての仕事も入り、広告撮影も多く任されるようになる。そのうちに幼少期から養った審美眼が注目され、2006年頃からは空間デザインの仕事も担っていた。

建築もデザインも学校で勉強したことはない。でも、代わりに旅をする場所の歴史や芸術はむさぼるように吸収していた。

「昔から人類学に興味がありました。なぜ地域によって文化が違うのか。北海道であれば弥生時代が広まらず縄文時代が長かったことなど、もっと知りたいと思います」

知的好奇心を満たすように、ショウヤはアートや民藝品のコレクターとなっていった。縄文土器からアイヌ民族のアクセサリー、アフリカの彫刻まで、博物館のように文化を集める。もとは買いに出ていたが、目利きとしての噂が広まり、いいものが彼のもとに集まるようにもなった。持ち主をなくした樹齢の長い木や、希少な彫刻がやってきたりする。

「SHIGUCHI」と隣接する、古民家のギャラリーレストラン「SOMOZA」では、それらが息を吹き返すように配置されていた。自ら重機を運転して庭に移植した植物は、定型の庭にはない野性味を醸して客を迎えいれる。

ギャラリーレストン「SOMOZA」の外観

奥に見えるのがギャラリーレストランの「SOMOZA」。アプローチからしてただならぬ雰囲気が漂っている。

35歳でニセコの土地を買った時、周りにはバカだと言われた

札幌時代からニセコにはよく遊びに行っていた。「ここに住みたい」と決定的に思ったのは、山に登って「SHIGUCHI」の周辺を見渡した時だ。

「すぐ隣には牧場があって、ヨークシャーの田舎と似た雰囲気がありました。川も流れていて本当に美しかった。クマザサが茂っていたけど、近くの木に登ったら家を建てられる場所の目星もついた。でも、この土地を買った時は周りにバカだと言われました。なんで山奥のひどい土地を買うんだ、何もないでしょって」

それでも直感に従い山道を切り拓いた。2007年に自宅が完成し、2015年には自宅から徒歩3分の場所に「坐忘林」を開業(現在は土地ごと売却)。2017年に自宅横にギャラリーレストランの「SOMOZA」をつくり、「SHIGUCHI」の足がかりとした。

いまではすぐ近くに「パーク ハイアット ニセコ」があり、4ヵ所のスキー場とも近い。価値がないと思われていた山は宝だった。

近年、新築のラグジュアリーホテルが次々と建てられるニセコで、「SHIGUCHI」は里山の風情を保つ。「自分の庭の中につくった」と言うが、庭というよりは森。窓からは電線など人工的なものが一切見えない。

「いまはモノや情報がありすぎてみんな頭がいっぱい。選択肢が多過ぎてストレスが起こったりします。そういうことを忘れて、自然に囲まれた静寂のなかでメディテーションをしたら、頭に新しいスペースが生まれる。人間はもともと自然と一緒の存在。離れすぎると、自分が本当は何が好きで、何がしたいのか分からなくなるんじゃないかな。だから自然との繋がりを戻したら、自分との繋がりも深くなるはず。いまはSNSも多くて外と繋がるのは簡単だけど、自分と繋がる場所は少ない。だから、それができる場所ってラグジュアリーだと思います」

「自然が一番の素晴らしいアーティスト」とも話し、古民家のリノベーションも自然のペースに合わせて作った。前例や知識はあてにしない。そのため普通の現場と違って細かい図面はなく、アドリブを重視。「だって自然は計算しているわけじゃない」と、きっちりコントロールできないことをむしろ楽しむ。重い雪に作業が中断されることもあれば、陽の当たり方にヒントをもらうこともある。

これからもっと、ニセコと日本に貢献したい

「SHIGUCHI」という名は、木材の凹凸を組み合わせる日本建築の接合箇所“仕口”からとった。移築した古民家も、釘や金物に頼らず、仕口によって柱が繋がっている。

「僕たちはお客さんと地域、人、モノを繋ぐ場所でありたい。仕口は素晴らしい日本の技術。強くて、ばらして動かすこともできる。1本1本の柱をいい形で組めば、全体のストーリーが凄くパワフルなものになると証明しています。あの料理が美味しかったとかだけじゃなくて、もっと全体的な経験で地域とコネクトする旅を作りたい」

この地に惚れ込むオーナーがつくった宿という時点で、コネクト率が高いはずだ。しかもその人の家はすぐ隣にあり、直接話す機会だって少なくない。

仕口

庭に置かれた仕口。凹凸に番付があり、合致するものを繋ぐ。「設計図がなくても昔の形に戻せるのが面白い。イギリスのレンガでは出来ないこと」

働くスタッフたちがショウヤに共感していることも大きな強みだ。働かされている感じがなく、高級ホテルによくあるかしづくサービスもない。話し方がいたって普通なのが心地よい。民宿のおばちゃんと話している時と似た感覚だ。それでいて気が利いていて、頭で欲しいと思ったものが数秒後には差し出されていたりする。

いいチームにも恵まれ、いま、若い頃に抱いていた夢が叶いつつある。

「昔、映画をつくりたいと思っていました。映画はストーリーテリング。違う道に入ったけど、いまやっていることもストーリーテリングです。ロケーションハンティングをして、セットをつくり、クルーを集め、役者はお客さん。役者が監督やクルーと一緒に旅するイメージです。はじめが『坐忘林』で次に『SHIGUCHI』。その次も続く三部作を考えています」

実は道内で7万7千坪の古い旅館を買い、そこを現代湯治場に蘇らせようとしている。止まらない創作のモチベーションは何なのか?

「人間はふたつ大事なことがあると思っていて、ひとつは成長すること。何歳になっても成長できます。じゃあなぜ成長が大事かといえば、成長すればもっと社会に貢献できるから。僕は日本人じゃないけど人生の半分以上は日本に住んでいる。ニセコはもちろん、日本にたくさん貢献しなきゃ。特に国内のお客さんにアピールして、日本のいいものに改めて気づくきっかけを生み出していきたいです」

開業した「SHIGUCHI」の仕事もまだまだ終わらない。クライアントが存在しない宿は、つくり手の思いのまま、生き物のように日々変化していく。同じ土地で大工との打ち合わせや庭いじりに勤しむなか、刺激も多い。

「自分がどこかに行かなくても面白い人がここに来てくれて、好きな時に会える。そういう意味ではセルフィッシュだね(笑)」

アーティストとして我が道を進むことで社会に貢献する形を、いまの歳になって確立した。人から与えられる仕事も好きなことばかりだったが、「アーティストの方が向いているのでは?」と思い悩むこともあった。それでも仕事を続けて、オーナーとしてお金を調達できるようになったのは、自転車と少しのお金をもって北海道に来てから二十数年後。

遍歴を聞いて、両親の話を思い出した。幼い頃から見続けていた姿は、純粋につくりたいものをつくるアーティストの姿そのものだったのかもしれない。彼らの作品に住み続け、根付いた感受性はごまかせない。

「ラグジュアリーとは何か?」と、ショウヤはよく考える。旅をする側からのひとつの答えは、一朝一夕にはいかない創作活動に対価を支払うこと。その作品に耽り、新しい刺激をもらうことだと、ニセコで感じたのだった。

SHIGUCHI/シグチの客室

客室もギャラリースペース。アートやクラフトをみせる場所と捉えることで、斬新かつ美しい空間が出来上がった。

SHIGUCHI/シグチの客室

ギャラリーでありながら宿としてのディテールも秀逸。部屋着やリネンは最良の肌触りにこだわり、シーツはスペイン王室御用達の「BASSOLS」の超高密度生地を採用。ベッド横の扉は自身の写真作品を和紙にプリントしたもの。

ショウヤ・グリッグ氏のポートレイト

「SHIGUCHI」内の書斎にて。「ペットホテルがあまりいい所がないから、作るしかないと考えている」と、作りたい空間はまだまだある。

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SHIGUCHI/シグチ
北海道虻田郡倶知安町花園78-5
TEL:0136-55-5235
価:1室1泊(2食つき)¥70,400〜(2名1室の1名料金)

TEXT=大石智子

PHOTOGRAPH=松川真介

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