三好康児、武藤嘉紀、柴崎岳、中島翔哉……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。2人目は、昨年、6年ぶりにJ1に復帰したヴィッセル神戸FW・武藤嘉紀。2回目。
2019-20シーズンの不遇
思い出すだけで、今も心が締め付けられるらしい。武藤嘉紀は、ふうっと息を吐き出してから、言葉をつむいだ。
「あの頃は、異次元の苦しさでしたね。練習でのパフォーマンスがどんなに良くても、試合に出られない。しかもコロナ禍になって、練習もなくなってしまった。外は雨だし、外食もできないし……息が詰まりそうで。自分で言うのもなんですけど、僕じゃなかったら終わっていたんじゃないかっていうくらい……」
あの頃とは、ニューカッスル・ユナイテッドFCに所属して2年目、2019-20シーズンのことである。
‘15年夏に加入し、3シーズンにわたってプレーしたドイツ1部の1.FSVマインツ05で右膝靭帯損傷の大怪我を三度負いながら、20試合7得点、19試合5得点、27試合8得点の成績を残した武藤は、ロシア・ワールドカップ終了後の’18年7月、念願のプレミアリーグ移籍を果たす。
出足は悪くなかった。トッテナム・ホットスパーFCとの開幕戦で途中出場してリーグデビューを飾ると、10月6日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦での初ゴールを境にスタメンの座を掴み取る。
しかし、11月3日のゲームで左足のふくらはぎを傷めてしまう。約1ヵ月間の離脱ののち、復帰してからしばらくはベンチが続いた。
さらに’19年1月にはチームを離れ、日本代表としてアジアカップに参加した。約1ヵ月後、UAEからニューカッスルに戻ってきた武藤に、収まるべきポジションはなかった。
「その頃にはチームが固まってしまって。それまでにしっかりとした結果を残せなかった自分のせい。何も言い訳はできないです」
17試合1得点という不甲斐ない成績でプレミアリーグ1年目を終えた武藤は、巻き返しを誓って2年目を迎える。ところが、待っていたのは予期せぬ不遇だった。
「実は、プレシーズンの時点で『使うつもりはない』と言われていて」
地元出身のスティーブ・ブルースを新監督に据えたニューカッスルは、FWにジョエリントン、アラン・サンマクシマン、アンディ・キャロルといった新戦力を加えた。彼らは、新監督が獲得を希望した選手たちだった。自ら望んだ選手を試さない監督はいない。ラファエル・ベニテス前監督時代に加入した武藤は、競争すらさせてもらえなかった。
「プレシーズンになんとか結果を出したから、『チームに残そう』ということになって。それなのに、シーズンが始まってみたらベンチだった。だから、冬のウインドーでの移籍を訴えたんです」
タイミング悪くFWに負傷者が出たために慰留され、武藤は残留することになる。しかし結局、負傷者がすぐに復帰したことで、試合に出られない状況は変わらなかった。
お金なんていらないから、試合に出してくれ!
「本当に苦しかったです。プレミアリーグって、試合に出られなくても給料を満額もらえるんですけど、何ひとつ幸せじゃなかった。『お金なんていらないから、試合に出してくれ!』。そんなマインドでした。そのときに思ったのが、自分はサッカーがないと幸せじゃないんだなっていうこと。サッカーが本当に好きなんだなって。その気持ちは死んでいなかった。その気持ちが自分の支えになりました」
心が折れそうになりながら、踏みとどまった武藤は、トレーニングで誰よりも走った。試合後には練習場に戻って走り込み、トレーニング後にはひとりジムに行って体をいじめた。
すべては、ワンチャンスをモノにするため、だった。
「サッカーって、特にFWって、ひとつのゴールですべてを変えられる。僕は大学でも、東京でも、日本代表でもそういう経験をしてきた。だから、ニューカッスルでも状況をひっくり返せるんじゃないかって。その思いしかなかったです。いつチャンスが来てもいいように、準備をしていました」
その後、ヨーロッパはコロナ禍に見舞われ、プレミアリーグはシーズンを中断。クラブも活動を休止した。その間、武藤はオンライントレーニングで自身の体を見つめ直し、アスリートに必要な柔軟性を身につける機会を得た。
6月にリーグが再開してからもベンチという立ち位置を覆すことはできなかったが、翌20-21シーズン、期限付き移籍をしたスペインのADエイバルで26試合に出場できたのは、苦しい時期に準備を怠らなかったからだろう。
6年間にわたるヨーロッパでの戦いを通して、自分を客観視できるようになった、と武藤は言う。
「それこそ、困難ばかりでした。その困難を日本で感じられたかって言ったら、95%は経験できないものだった。言葉や文化の違いもありますし、差別だって受けた。だからこそ、堂々としていなければいけない。それに、なんと言っても結果がすべて。どれだけいいプレーをしても、結果を出さなければ評価されない世界。自分に厳しくなりましたね」
そして、先輩の名前を引き合いに出し、自分を客観的に見ることの重要性を説いた。
「海外でプレーし続けている先輩たち、例えば、(吉田)麻也くんは間違いなく自分を客観視して、努力し続けられる人。サッカーはもちろん、語学だって。代表合宿で麻也くんの部屋を訪ねると、机の上に英単語を書き連ねた紙が置いてあるんですよ。すでにペラペラなのに、まだ知らない単語を覚えている。自分に足りないものを知っていて、見えない努力ができる人が成功するんだと思う」
心残りとなったのは、エイバル時代である。脱力することを覚え、欧州での6年間で最もプレーのフィーリングが良く、楽しんでプレーすることもできた。しかし、わずか1ゴールしか奪えなかった。
武藤が望むセンターフォワードではなく、サイドやトップ下などで起用され、ポジションが固定されなかったこと、チャンスメイクを求められたことも得点が伸び悩んだ要因だが、自身の消極性にも問題があったと武藤は分析する。
「エゴじゃないですけど、もっと自分の感じる“点の取れる場所”に入っていけば良かった。チームの形に合わせすぎてしまったんです。例えば、クロスに対しては、全部ニアに入らなきゃいけない、みたいなルールがあって。ニアで潰れろと。でも、それだけでは相手に読まれてしまう。点が取れるポイントは一人ひとり違うから、監督に対してしっかり主張して、結果を出すことで認めさせなければならなかった。貪欲になるべきだったなって、今でも思います」
だが、いっときの失敗は後々、自分にとって良いこととして返ってくるという武藤のメンタリティが、またしても発揮される。’21年夏にヴィッセル神戸に加入した昨シーズン、半年間で14試合に出場し、5ゴール8アシストという数字につながっていくのだ。
3回目に続く。
Yoshinori Muto
1992年生まれ。慶應義塾大学2年時からFC東京の特別指定選手となり、大学3年時にJリーグデビュー。2014年、FC東京に正式加入。新人最多タイ記録の13ゴールを記録、Jリーグベストイレブンに。’14年、日本代表デビュー。’15年ドイツのマインツに移籍。その後、ニューカッスル、エイバルへ。’21年にJ1神戸に加入。2018年ロシアW杯メンバー。日本代表出場数29。