三好康児、武藤嘉紀、柴崎岳、中島翔哉……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。2人目は、2021年、6年ぶりにJ1に復帰したヴィッセル神戸FW・武藤嘉紀。1回目。
ひとつだけ悔やんでいることがある
武藤嘉紀は後悔したことがなかった。
もちろん、失敗ならいくらでもある。しかし、挫折したおかげでその後の道が開けた成功体験がたくさんあるから、過去を振り返ってくよくよすることがない。
「例えば、僕は中学受験に失敗しているんですよ。そのときは本当にショックで、この世の終わりなんじゃないか、っていうくらい落ち込みました」
だが、望んでいたのとは異なる環境に身を置いたことによって、勉強に対するやる気やFC東京アカデミーにおけるサッカーへの情熱が再燃する。3年後、武藤はFC東京U-18への昇格と慶應義塾高校への進学を掴み取った。
「もう一度這い上がらなきゃいけない、って自分の中のボルテージが上がったんですね。本気で向き合えば、いっときの失敗は、あとで絶対に自分に良いこととして返ってくるんですよ。だから僕は、過去の失敗をああだ、こうだって言わないようにしている」
だから、あっちの道を選んでも良かったかもしれないな、と想像することはあっても、過去の自分を否定することはない。
そんな武藤にも、ひとつだけ悔やんでいることがある。
「もっと早く気づけていたら、また違う結果になったかもしれないなって思うんですよね……」
大学生活を1年残してFC東京に加入し、ルーキーイヤーから開幕スタメンの座を掴んだ武藤が海を渡ったのはプロ2年目の夏、2015年6月のことだった。移籍先はドイツ1部の1.FSVマインツ05。その夏にプレミアリーグへと羽ばたいた岡崎慎司の後釜として、武藤に白羽の矢が立ったのである。
最初の半年で7ゴールをマークした武藤は、ブンデスリーガでも注目を集める存在となった。
ところが、そのあとに大きな落とし穴が待っていた。右膝靭帯損傷の大ケガを負ってしまうのである。しかも、同じ箇所を3回も――。
「日本でうまくいっていたときは何も考えず、ただ努力して、結果が出て。その波に乗って日本代表に選ばれて、海外にも行けた。ブンデスでも最初はうまく入れたんですけど、やっていくうちにフィジカルやスピードの差を感じるようになって。それでもっとトレーニングして強くならないと、という思いがあって、筋トレを人一倍やるようになったんです。ただ、今思えばやりすぎてしまった」
ドイツの屈強なディフェンダーに対抗するため、武藤は鋼の肉体を手に入れようとした。もともと日本にいるときから筋トレに励み、国内では当たり負けしない肉体を持っていた武藤だが、それ以上の武器を求めた。相手の得意分野で上回らないと、ヨーロッパでは生き抜いていけないと考えたのだ。
今ならその考えが間違いだと分かる。しかし当時は、大学時代がそうだったように、自分の体をいじめ抜けば、ひとつ上のステージに行けると信じていた。そして武藤はさらなる筋肉を身に付けた。それが重石となって、ケガを誘発してしまったことは否めない。
「サッカーって、どの方向からも相手が来るから、強いだけじゃなくて柔らかさも必要なんですよね。筋肉をつけて硬いままだと、力を抜くことができない。それに、マッサージの仕方や体のケアの方法も日本と異なる面があって、慣れる前に自分のリズムを崩してしまった。ドイツで3年やってプレミアリーグにステップアップできましたけど、自分の体を完全に理解できていなかった。そこは、本当に間違えてしまったなって思います」
ヨーロッパでひとつの壁にぶつかった武藤が、自身の体を見つめ直すのは、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCに加入して2シーズン目となる2019-20シーズンだった。
シーズンも4分の3が終わろうとしていた頃、新型コロナウイルスの感染が拡大し、各国リーグは中断、打ち切りを余儀なくされた。プレミアリーグも例外ではなく、3月8日に行われた29節を最後に中断し、再開は6月17日まで待たなければならなかった。
「リーグが中断して、練習もできない。どうしようってなったとき、自分でトレーニングを研究してみようって、調べ始めたんです。今はいろんな方がインスタなどでトレーニング動画を上げているじゃないですか。ある人のところで目が止まって。プロのトレーナーの方だったんですけど、肩甲骨だったり、体の動きを大切にするトレーニングで、自分もやってみたんです。そうしたらそんなに難しい動きじゃないのに、何ひとつできなくて!」
そのときまで武藤は、自分の体が筋肉で固まっているとは考えもしなかった。子供の頃から毎日、風呂上がりに柔軟をするなど努力を重ねてきたからだ。実際、ストレッチをしても、体は柔らかかった。
「でも、その人のトレーニングに挑戦して、腰周りやお尻周りといった大事なところは硬いことがわかった。すぐにDMを送りました。『Zoomでトレーニングを見てください』って。それからチーム練習が再開されるまでの約1か月間、毎日合計10時間くらい、やり続けました。あまりにできないことが多くて、よくこの体でサッカーやっていたなって。相手より重たいベンチプレスを持ち上げることができても、サッカーでは意味がない。フィジカルの強い相手には、違う逃げ方で勝負すればいいのに、そこを間違えてしまって……」
20-21シーズンにプレーしたスペインのSDエイバルでの1年間は、本当の意味での柔らかさと、力を抜いてプレーすることの重要性を理解したシーズンだった。26試合に出場し、得点こそ1ゴールにとどまったが、欧州で過ごした6年間で最も調子のいいシーズンだった。
「力を入れることは簡単ですけど、抜くことがいかに難しく、大事かを学びましたね。1ゴールしか奪えなかったのは、僕自身の問題ですけど、頭と体がつながっているような感覚もあって、サッカーの楽しさを思い出したシーズンでした」
脱力を覚え、自分がまだヨーロッパでやれるという自信も掴んだ。しかし、武藤はJリーグに復帰することになる。その決断には19-20シーズンの不遇が大きな影響を及ぼしていた。
2回目に続く。
Yoshinori Muto
1992年生まれ。慶應義塾大学2年時からFC東京の特別指定選手となり、大学3年時にJリーグデビュー。2014年、FC東京に正式加入。新人最多タイ記録の13ゴールを記録、Jリーグベストイレブンに。’14年、日本代表デビュー。’15年ドイツのマインツに移籍。その後、ニューカッスル、エイバルへ。’21年にJ1神戸に加入。2018年ロシアW杯メンバー。日本代表出場数29。